Episode 3
その日の放課後。
僕は陽翔に案内され体育館とグラウンドの間にある部室棟を訪れていた。
部室棟と銘打っているものの,体育会系の練習場所への立地の良さから分かる通りここに専任の部室を持つのは運動部のみだ。それも予算の付きにくい県立高校となると,必然実績を残している部が優遇される。そうした条件で部室を確保し続けるヨット部は体育会系の中でもかなり優秀な部類といえるだろう。
部室棟自体は天風に晒され薄いクリーム色の外壁はすっかり色あせてしまっているけれど,それでも専任の部室というものは部員数3名で昨年ようやく県大会で入賞できた我が文芸部のような弱小からすると羨ましい限りだ。
まあ,極論すると紙と鉛筆さえあれば活動できるから支障はないのだが。
陽翔が向かうは2階建ての部室棟の内,体育館から見て1階の手前から3つ目の扉だ。ヨット部と記された表札の下,これまた年季を感じさせるくすんだ黄緑色の扉を陽翔は開いた。
「ちわーっす,お疲れ様です」
「はい陽翔お疲れさん。ってそちらの彼が例の探偵君?」
部室の中央,並行に置かれた2つのベンチの一方に座る男子生徒が陽翔の挨拶に応える。座っているから分かり難いが,身長は僕より少し高いくらいだろうか。ただ体の厚みが運動音痴の完全インドア派の僕なんかとは比べ物にならない。
陽翔の体格からも何となく察していたが,ヨット競技というものは世間一般に想像されるよりも筋力が必要なスポーツのようだ。短髪で朗らかな声音も合わさって快活な第一印象を受けた。
部室の中にはもう1人,坊主頭の男子生徒が後ろ手に手を組みベンチ脇に控えていた。体格は座っている方の男子生徒と同じくらいだろうか。ただ固く結ばれた口許と気難しそうな顔つきのせいか,対照的にこちらは職人気質な印象だ。
「そうです,同じクラスの辻井です」
陽翔の言葉を受け座っていた男子生徒は立ち上がり僕に手を差し出す。「探偵君」という言葉にどういう紹介の仕方をされたのか咽喉に引っかかる思いがしたものの,何とか飲み込み僕も両手を出す。
「ヨット部部長で3年の柳井だ。君も陽翔に巻き込まれて大変だろうけど,よろしく頼む」
僕は柳井さんの手を握り握手を交わす。この口調からヨット部内でも陽翔の暴走しがちな性格は周知らしいことが伺える。握手を終えると柳井さんは坊主頭の男子生徒の方を手で示した。
「こっちは3年で副部長の徳丸。部内選考の経緯を聞いているなら,俺達がペアを組んでいることも知っているわけだ?」
「大まかには伺っています」
頷きつつ僕は部室内に素早く目を走らせる。
照明を除けば,出入り口と反対側の壁に換気用の窓が設けられている程度のシンプルな内装だ。他に目につくのはヨット部の普段の活動に用いると思われる備品ばかりで,2脚のベンチの他ロッカーやホワイトボード,ラックなどの一般的なものからダンベルやチューブトレーニングなど体幹トレーニング用の器具も見られる。ラックに納められているのは過去の大会や練習に関連したものと思われるノートや記録ファイルが大半で,一部ルールブックらしき分厚いファイルやDVDが専ら詰められた区画もある。
そんな中特に気になったのはロッカーで,どうやら個人の備品を管理しているようだが明らかに現在使われているロッカーの数は陽翔を含めたこの場にいるヨット部3名よりも多い。他の部員は今日は部室には来ていないのだろうか。
「他の部員の方はどちらに?」
「今日は1年生は基礎練日だけど,それ以外の学年は自由日だ。聞いているかもしれないけれど,ヨット部の練習は基本沖合での実地練習がメインでね。ただうちのような公立校の場合使用するヨットは地域クラブとの共用艇だ,ヨット自体はマリンパークで管理してもらっている。平日実際にヨットで練習しようとなると,学校からマリンパークへの移動を初め諸々のハードルが高い。だから海上練習は主に土日で平日に休みを設けることが多いんだ。体を作る必要のある1年生は今基礎練に出ているけれど,2年生以上だと今日はもう帰っている部員も多いんじゃないかな」
「そういうことですか……」
陽翔以外の部員からも話を聞きたいと思っていただけに拍子抜けだ。特に実際にヨットに乗っていたエースペアの片割れには,転覆した時の状況を詳しく聞きたいと思っていただけに出鼻をくじかれた感が否めない。
……ただまあ,練習がない日に部員を集めてでも転覆の原因を探ろうとしない程度の期待値って考えれば,気が楽ではあるか。
陽翔自身も言っていたが,事故原因が破損による浸水という結論に不審を抱いている部員の方が少数派のようだ。柳井さんからすれば「いつもの陽翔の暴走癖でヨットに詳しくない部外者が連れて来られたけれど,本当に他の原因が存在しそれを特定できればラッキー」といったところなのだろう。それならば事故に繋がった他の可能性を指摘できなくても責任を問われることはあるまい。
懸念点があるとすれば,現状推定されている事故原因に半信半疑の柳井さんでさえそういったスタンスであるなら,特に不審に思っていない他の部員は部外者が首を突っ込むことを快く思わないかもしれないことだろうか。
「それで,真相解明とやらのために俺達は何をすれば良いのかな。探偵君?」
「……改めて当日の経緯を教えてもらえますか? 各部員の事情を含めた部内選考の背景も知りたいです」
「部内選考の背景か。毎年この時期インターハイや国体に出場する選手を決めているんだけど,各大会には出場できる枠が設定されていてな。だからどの大会に誰が出場するかを決める部内選考のレースも例年この時期に開催されていて,大体2,3年の男子ペアが参加するのが通例だ。今年は1年の宙が陽翔と組んで部内選考に出たのが異例と言えば異例か」
「1年生が選考に参加するのは珍しいんですか?」
「どのくらいのレアケースなのかは顧問に聞かないと分からないけど,昨年から2年続けてというのはさすがに滅多にないことだと思う。去年大海が部内選考に出た時の当時の先輩達の反応から推すに,1年生が4月の選考に出ること自体が特例的な扱いのようだったから」
「今回転覆した2年生同士のペアが選考レースの最有力候補だったと伺っているのですが,学年を問わず実力主義での選考というのも例年通りですか?」
「まぁそうだけど,部員のほぼ全員が入部するまでヨット競技は未経験だ。経験の差から3年生がどうしたって有利になる。だから俺達にとっては不甲斐ない話だけど,前評判で2年生ペアが3年生を圧倒するというのもあまりないケースだ」
「……素朴な疑問なんですが,どうしてその2年生ペアは強いんですか? センスが良いから?」
「2人のセンスが良いことは否定しないけど,それよりは相性の良さの方が大きいだろうな。それはヨットという競技の特性に由来するものでもある」
そう言うと柳井さんはラックからファイルを1つ取り出し僕に手渡す。紙製のファイルを開くと「未経験からのヨット入門」というタイトルの下目次らしき文字が並んでいた。どうやら入部し立ての生徒向けの資料のようだ。




