Episode 27
「部長達のため?」
「2度の転覆で最も利を得ているのは柳井部長と徳丸副部長のペアだ。いずれの選考レースでも最大のライバルである橋本君のペアが自滅しているわけだから。さっきも言ったけど安田君の狙いは部内選考で最速のタイムを叩き出す可能性のある橋本君のペアを妨害することだったんだ。そうすれば部長ペアが部内での優先順位が繰り上がり,最後の年に国体などの大きな大会への出場の道が開けてくる」
「……元々,高校でヨット部に入る気はなかったんだ」
最早言い逃れすることは不可能と観念したのかもしれない。だんまりを決め込んでいた安田君は徐に口を開いた。
「昔から親の影響でサーフィンとかカヤックとか,海で遊ぶことが多かった。でも,僕にとってマリンスポーツは遊びなんだ。競技として相手と争うのは本音を言うと好きじゃない。それに1人乗りしか経験がなかったし,ペア競技には興味がなかった。態々部活でやらなくても普段から遊ぶ機会は多いから,それで十分だったんだ。それでもマリンスポーツの経験が豊富だからぜひ仮入部だけでも,って柳井先輩に熱心に誘われたから仕方なく入部した。最初はヨットを経験しておくのも悪くないかなって軽い考えだったんだ。だけど実際にヨットを体験してみて,ただ風や波を読むのではなくペアの考えや狙いを察知して艇を操らなければならない難しさを面白いと感じるようになったんだ。特に大海と組んでからは,マリンスポーツは完全に未経験で海況を読むのが下手なのに,時折僕ですら意表を突かれる一手を捻り出すあいつの狙いを汲み取って艇を操るのが楽しかった。教えたら波や風を読み取るコツをぐんぐん吸収して成長していく大海を見て,あいつのペアは僕にしか務まらないという自負もいつの間にか芽生えていた」
ヨットという競技の面白さを語る安田君の表情はどこか晴れやかで,犯行を暴かれた悲壮感は影を潜めていた。けれど不意に何かを思い出したのか,疲れたように溜息を吐く顔に影が差す。
「だけど去年,予選落ちして国体へ出場できなくなった3年の先輩達が泣いている姿を見た時思ったんだ。このままだと柳井先輩達から,挑戦するチャンスすら僕達は奪ってしまうんじゃないかって。去年の部内選考ではさすがに経験の差から柳井先輩達には勝てなかったけれど,シーズン終了頃には大海が急成長したこともあって,練習では先輩達に勝つのが当たり前になっていた。このまま順調に実力をつけて行けば今年の選考レースで僕達が部内最速タイムを出せる公算が大きいことは目に見えている。僕達には来年もチャンスがあるのに,柳井先輩達から国体やインターハイに挑むチャンスすら奪ってしまって良いのか。それはヨットの面白さを教えてくれた先輩に対する不義理になってしまうんじゃないか。僕には恩を仇で返すようにしか思えなかったんだ」
「だから俺達に席を譲ったわけか」
ガチャリと部室の扉が開く音共に,怒気を含んだ声が室内に鳴り響く。目を向けると激情を抑えられないあまり肩を震わせる柳井さんが出入り口に仁王立ちしていた。
まさか懺悔の最中当人が現れるとは予想だにしていなかったのだろう,安田君は不憫に思えるほど狼狽える。
「どうして柳井先輩が……っ」
「騙すような真似してゴメン。でも,部外者である僕が当事者であり部を率いる立場でもある柳井先輩が不在のまま真相を暴くのは筋違いだと思ったから。先輩には部室の裏手,僕達の話が聞こえるところに最初から待機してもらっていたんだ」
予め換気用の窓を開け放していたのも,その近くに立っているようお願いしていた先輩に室内の声を届けるためだ。もっとも陽翔と同じく事件の真相を柳井さんには明かしていなかったから,安田君の告白は先輩にとっても寝耳に水だったろう。
選考レースで勝ちきれない実力不足を同情され剰え事故に見せかけ大会への出場を譲られていたのだ,無理もない。プライドがズタズタになって当然だろう。すっかり血がのぼり顔は赤くなっている。柳井さんは僕や陽翔の目も憚らずずかずかと安田君に詰め寄り肩を掴む。
「透真! 自分が何を仕出かしたのか分かっているのか!?」
「ゴメンなさい! でも,僕は――」
「骨折だけでは済まなかったかもしれないんだぞ!!」
この予想外の怒号に,安田君だけでなく僕も思わず虚を衝かれ目を見開いた。
「一番経験のある透真なら良く分かっているだろ,海上で怪我をする怖さは! 腕じゃなくて頭を打っていたかもしれないし,ロープに絡まって溺れていたかもしれない。場合によっては命の危険も伴うのがヨット競技だ。今こうして話すことができているのがどれだけ幸運なことか分かっているのか!?」
「……柳井先輩は,僕が選考で先輩達が優位になるよう仕向けたことに怒っていないんですか?」
「そんなもん,どう考えたって実力で勝ち切れず気を遣わせた俺達が悪い。自分の不甲斐なさを後輩に押し付ける馬鹿に部長が務まるか」
他意はなさそうに柳井さんは言い切るけれど,僕はこの発言に感動すら覚えた。
正直に言うと柳井さんは公正ではあるものの,反面競争心が弱くリーダーとして部を引っ張っていくには役不足だと思っていた。けれど柳井さんが第一に考えるのは個人としての都合ではなく他の部員の立場に寄り添うことなのだ。だから公平性を重視するし,同情された自分のプライドよりも部員の身の安全を慮って激怒する。そんな人柄だからこそ安田君も今回の事件を引き起こしたほど慕っているのだろう。
どうやら僕は柳井さんを見誤っていたらしい。相応しくないなんてとんでもない,この人以上に部長として優れた人材はいまい。
「……ゴメンなさい」
気付いた時には,安田君の目からボロボロ大粒の涙が零れていた。元々悪気があっての企みではないのだ,柳井さんも溜め息を吐き優しく語りかける。
「悪いと思っているなら先ず大海に謝ろう。頑張っているのに肩身の狭い思いをしているあいつこそが一番割を食っている。後,次の部長にはお前を指名するからな」
予想だにしていなかったのだろう,柳井さんの発言に安田君は戸惑った様子で顔を上げた。
「大海は部長に推すには勝気が過ぎる,部内全体を見渡す役回りは向いていない。陽翔は自由人過ぎるしな。2年の中で一番全体を見る能力があるのは透真だ。元々吉田先生に推薦するつもりだったから,そのタイミングが早まる分には構わないしな。だから,部活辞めて楽になろうとするなよ。本当に申し訳ないと思っているなら,逃げずにちゃんとその苦い経験を活かせる努力に向き合うんだ」
「……はい」
嗚咽を堪えながら,安田君は懸命に柳井さんの言葉に頷いた。




