Epilogue
その後の経緯は陽翔から聞いた話をそのまま載せよう。橋本君は安田君の謝罪を受け入れたそうだ。柳井さんは事件の顛末を吉田先生に報告し,部内選考は再度やり直すことになったらしい。レースに向けて少しでも呼吸を合わせようと陽翔と橋本君は練習に励んでいるようだ。部内の雰囲気も事件前のそれにすっかり戻ったとのこと。
僕の方はと言うと,事件前と同じく代り映えしない日々を過ごしている。ヨット部員のプライバシーを考えるとトリックをそのまま創作に利用するわけにもいかない。かと言ってメインの砂のトリックは,基本的な発想は雪や氷を使った古典的なトリックと同じだからそう物珍しいものではない。部誌用のトリックは正直思いつけていなかった。創作のアイディアでも得られればと思い事件を捜査し始めたが,タダ働きに終わりそうな気配が濃厚だ。先生の取材に同行できた経験が唯一僕が今回手に入れたものだろうか。
……いや,もう1つあるか。
とある秘密の存在を思い出す。僕にとってはその秘密こそ,今回の事件である意味最も重大な意味を持つとも言える。最後に残った謎を解き明かし,この物語を終わらせることとしよう。
いくら地元のファンにストーカー染みた付き纏いをされる恐れがあるとはいえ,先生には容易に僕を撒くことはできたはず。それに取材に同行させた時点で十分過ぎるくらいファンサービスしているだろう。先生の立場からすると,これだけでSNSに悪評を書かれるリスクは回避できたはずだ。
それなのにその後も事件についての相談にも乗ってくれた上,再び対面する機会まで設けた先生は僕を特別扱いしてくれていたのだ。何故先生は一ファンに過ぎない僕をあんなにも厚遇してくれたのか。その理由を読み解くヒントは先生の言葉に隠されていた。
1つは先生が度々口にしていた僕との「縁」という言葉。もう1つが僕のフルネームを聞いた時の「素敵な名前」という発言だ。
ところで名前と言うと,舘賀セティラとスマホやパソコンでローマ字入力で打ち込む際どのキーを叩くだろうか。「ティ」はTEとLIで1文字ずつ入力することも可能だが,まとめて入力したい時はTHIで打つことができる。以上を踏まえてローマ字を並べると次のような並びになる。
TACHIGA SETHIRA
このローマ字をバラバラにして並び替えると,以下の名前に並び替えることができる。
AGATHA CHRISTIE
そう。先生のペンネームの由来はミステリの女王,アガサクリスティから来ているのだ。そうと分かると先生の言っていた「変えられるなら今すぐにでも変えたい」という発言の意味も理解できる。この単純なアナグラムは先生が考えたにしては素直過ぎる。
さて。ペンネームがミステリの女王に由来していると分かれば,先生が僕のことを特別扱いしてくれた理由も自ずと見えてくる。ミステリオタクには最早これ以上の解説は無粋なレベルだろう。
アガサクリスティと言えばポアロとマープルシリーズが特に有名だ。そのポアロシリーズには登場回数が限られているが,有能とされる秘書が何度か登場する。
ミス・レモン。それが秘書の名前だ。
自身のペンネームがクリスティ由来で,偶然道を尋ねた相手が自作のファンでそれもクリスティ作品に登場するキャラクターと同じ名前。僕の名前を知った瞬間の先生の高揚は如何ほどだったろう。先生の言った通り,正しく縁としか言いようがない。
入学できるかどうかはともかく,少なくとも先生の母校であるK大学を目指すきっかけにはなったのだから。




