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ゆうれいの片袖  作者: 阿久井浮衛


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Episode 26

「砂で作った栓!?」

「蓋と言い換えても良い。予め砂の塊を作っておき,その形状に合わせてヨットに穴を開けたんだ。穴にその塊を詰めて塞いだ後,外側から塗装したんだよ。だから陸上で準備している時には破口に気付くことができなかったんだ」

「ちょっと待って。砂で作った蓋なんてすぐ海水に溶けてなくなるだろ」

「だから砂を固めるのに水溶性の接着剤を使ったんだよ。高校生でも手に入れられることを考えると,多分使ったのはポリビニルアルコールだ。木工用ボンドやジェルボールなど身近な製品に幅広く使用されていて簡単に入手しやすい。抽出の手間を考えると,洗濯のりから水分を蒸発させて手に入れるのが最も楽な入手経路だろう。後はそれを砂と混ぜ乾燥させるだけ。海水に触れた瞬間溶けては困るから,事前に何度も濃度を変えて実験したんでしょ? 厳密には当日の水温や塩分濃度,海流によって溶ける速度は細かく異なってくるのだろうけれど,大まかにレース途中で溶けてしまう濃度を調整したんだ」


 問いかけるも安田君に反応はない。仕方なく溜め息を吐いて説明を続ける。


「恐らく砂の栓は少しずつ溶けて海底に沈んでいった。そして完全に栓が溶け切ると次の仕掛けが発動したんだ。それがさっき言った砂の重りだ」

「次の仕掛け?」

「単純に砂の栓だけだったら,破口から海水が浸水し徐々に重心が傾いていくだろう。それならスピードは落ちるけれど安田君達ならそのまま帆走できる見込みが高い。単に砂の重りを仕込んでいる場合でも重心の偏りが最初からかかるだけでそれは同じ。だから安田君は砂の重りと栓を組み合わせて,ある種の時限装置を作り上げたんだ。それが,砂の重りもポリビニルアルコールで固めるというものだ」

「栓が溶け切って浸水しても,別に砂の重りは溶けないんじゃ……あっ,濃度を変えたのか!」

「そう,重りの方はむしろすぐに溶ける必要があった。橋本君も安田君も,重心は左舷側に偏っていたと証言している。それにも関わらず実際に転覆したのは右舷側だ,単純に左舷側に重りが載せてあっただけではこれはちょっとおかしい。恐らく砂の重りは栓のすぐ内側,海水面に近い側に貼り付けてあったんだ。それが栓が溶けることで重りも崩れ,船底側に滑り落ちた。すると相対的にバランスが左舷側から右舷側に一気に傾くことになる。風や波以外の影響による,目に見えない予想外のバランスの傾きに2人は対応できずヨットは転覆。事故後陸上でいくら調べようと転覆した際に流れ込んだと思われる海水と砂があるばかりで,意図的に転覆を誘発するような仕掛けは見つけられないってわけだ。言ってしまえば推理小説で雪や氷を使って密室を作る定番トリックを砂で転用した形だな」


 砂だけを残しトリックが仕掛けられた痕跡は全て消えてしまう。


 先生のヒントは,この砂を使ったトリックを母親の幽霊に準えていたのだ。


「でもそれじゃあ,俺達が転覆した時は?」

「そっちは簡単。競技用のシリコンスプレーを必要以上に吹き付け過剰に滑りやすくしただけ。調べてみたんだけどロープの潤滑性を良くするスプレーは何タイプかあるらしいな。中でもシリコーン系のスプレーは流れにくさよりも滑りやすさに重点を置いている。被膜をロープ表面に作ることで滑りを良くしているから塩水や転覆の衝撃で,比較的簡単に膜が摩耗してしまう。ヨット部員であれば陽翔が実際のレースでスピネーカーを操れるほどの実力ではないことは知っているだろうし,急造ペアで追い詰められた状況になれば強気な橋本君なら打開するためスピネーカーを使う判断を下すことも予想できる」

「え,でもいつスプレーを使ったんだ? 当日透真は俺達が乗っていた艇に近付いてすらいないぞ」

「特に砂の方の仕掛けがそうだけれど,選考レース当日にトリックを仕掛けることはほぼほぼ不可能だ。となると前日までに仕込んでおかなければならない。それができるのは親がマリンパークのボート会員の安田君だけだ。ただのヨット部員なら従業員に不審がられるだろうけれど,幼い頃からマリンスポーツに親しんでいた安田君なら従業員とも顔馴染みでもおかしくない。競技用のスプレーも親が持っているものを使えば良いだけだ。実際,2度目の選考レースの前日安田君がマリンパークを訪れていたことを従業員の方が覚えていたよ。ヨット部員でも親族にマリンパークの会員がいるわけでもない僕には聞き出すのに苦労したけれどね」

「いや,でもその日に乗るヨットは各ペアで決まっているわけじゃないぞ。どうして俺達がどのヨットを選ぶか分かったんだ?」

「全部のヨットのハリヤードにスプレーを噴射していただけさ。スピネーカーは競技上級者にしか上手く操れないんだろう? 安田君は部長ペアがリスクを冒してまでスピネーカーを使う確率は低いと見たんだ。それに万が一スプレーの使用が露呈しても,従業員の人が誤って使用したと誤認される期待も小さくはない。正直かなり運頼みの要素が多く危ういトリックだけれど,入院中に自分の知らないところで橋本君と陽翔がペアを組む話が進められていた安田君には,十分にトリックを練る時間がなかったんだ」

「……確かに麗紋の説明なら状況を上手く説明できるし,転覆を誘発する仕掛けを用意できるのも透真だけなのは分かった。でも,肝心の動機が分からないままだと納得できねーよ……」


 転覆に不審を感じその真相を明らかにすることを望んだものの,それが同じ部活の友人が意図的に誘導した事故であると分かり落ち込んでいるのだろう。陽翔は力なく抵抗する。事件を画策した張本人の安田君はがっくりと項垂れ最早抵抗する余力すらなさそうだ。


「……動機は想像するしかないんだけれどね。安田君,僕の勝手な想像を話しても構わない? できれば君の口から語ってもらった方が余計な誤解を招かなくて済むと思うんだけれど」


 語りかけるも,重たく降ろされた安田君の頭が上がる気配はない。


『そう,娘のためだ。決して前夫や後妻に復讐したかったからじゃない,恨みつらみではなく偏に娘への愛情のためだ』


 フィクションで憧れた探偵の役回りは,実際には何と残酷なのだろう。先生が残した最後のヒントの意味が重くのしかかる。


 決意を固め僕は口を開く。


「……陽翔から最初の選考レースでの転覆の話を聞いた時,僕が真っ先に検討したのは得をしたのは誰かということだった。仮に事件性が疑われるのなら,転覆を誘発した人物は自身に何らかのメリットがあるからトリックを仕掛けたと考えるのが推理小説のセオリーだから。2度目の選考レース時に転覆を目撃した時は,犯人の狙いは自らのメリットのためでなく橋本君を部内で孤立させるためかもしれないという可能性も考えた。要は自分が利するためでなく,橋本君に恨みがあって貶めるための犯行じゃないかと疑ったんだ。でも,安田君が犯行に及んだ動機はそのどちらでもなかった」


 自分のためでも恨みつらみのためでなく,誰かのための犯行。それが先生が僕に伝えようとした真意だった。


()()()()()()()()だったんだね?」


 ピクリと,それまで反応のなかった安田君の肩が動いた。

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