Episode 22
「うーん。まぁ概ね正解と言っていいかな」
正攻法でないアプローチが気に食わないのか,先生は不承不承認める。その歯切れの悪さがひっかかるものの,正解という言葉に僕は勢い付く。
「2回目の選考レースが犯人にとって予想外だったとすると,橋本君と陽翔は容疑者から外すことができます。また顧問の吉田先生も事前に2人から部内選考への参加を申し込まれていたので除外できる。では残るヨット部員の中で,橋本君の乗るヨットが立て続けに転覆したことで得をした人物がいるでしょうか? 先ず女子部員3名は容疑者から外れます。部内選考は男子ペアを対象としたものです,女子部員にレースの結果は関係がありません。1年の男子部員の場合はどうでしょう。陽翔と組んでレースに参加した鈴木君は初めの選考では部内での優先順位が2位でしたが,2度目の選考レースのタイムは30分オーバーのため,ヨットの転覆は選考に影響していません。彼が犯人ならそもそもペアの再編に反対するはずです。となると1年生男子部員2名も犯人ではない。1度目の転覆で骨折した安田君はそもそも大会への参加ができなくなってしまっている。部内で唯一身体的な被害を受けている彼は犯人というよりむしろ被害者として扱うべきでしょう。となると,容疑者は3年生の2名に絞ることができる。柳井部長も徳丸副部長も,前評判では実力は部で2番目でしたが転覆の結果優先順位は1位となっています。ヨット部で2人だけが転覆の恩恵を受けているという点で疑わしい」
一気に話し通し,ようやく一息吐く。最初に話した2つの視点からのアプローチは一通り話してしまったが,先生の態度に大きな変化はない。ただ僕だって今話した推理に穴があることに気付いていないわけじゃない。敢えて触れるのを避けていた点に言及する。
「しかし2回目の転覆が水溶性の潤滑剤によるものだとすると,その潤滑剤はいつハリヤードに塗られたのでしょう。基本的に陸上でのヨットの準備は,そのヨットを利用するペアの手で行われています。橋本君達の目を掻い潜ることも完全に不可能とまでは言いませんが,少々難しそうです。そこで僕は,一体誰が最もハリヤードに潤滑剤を塗ることが容易であったか考えました。そこで容疑者として浮上したのが橋本君です」
「ほう」
これまで芳しくない反応しか見せなかった先生が,ここで初めて面白そうに声を上げ笑った。
「橋本君自身であれば,陽翔の目を盗んでトリックを仕込むことも可能だったでしょう。それに陽翔はクルーとして実際のレースでスピネーカーを使えるほどの腕前ではありませんでした。極端に言えば潤滑剤を使わずに滑った振りをするだけでも良かったわけですが,万一選考レース中に陽翔がハリヤードに触れた場合に備えて潤滑剤は使っていたと思われます。また最初の転覆でも同様に陸上での準備中にトリックを仕掛ける余地があったはずです。つまり転覆は橋本君による狂言ということですが,何故そんなことをする必要があるのでしょうか? 1つ可能性として考えられるのは,転覆を仕掛けた犯人が柳井部長か徳丸副部長のどちらかと思わせることで選考そのものからの落選を狙ったというものです。下馬評では橋本君と安田君のペアが優勢でしたが,海況によっては練習で部長ペアの方が良いタイムを出すこともあったそうです。100%自分達が上位の優先順位を取れる保証はない。ならば選考で不正があったと思わせることさえできれば,落選により確実に自分達が大会に出ることができます。この場合安田君の怪我は橋本君にとって完全に予想外であったと断言できます。陽翔との急造ペアを組んで再選考に取り付けたものの,上位の優先順にありつくのがより難しくなったため,2度目の事故を装う羽目になってしまった」
「ふむ」
先生は興味深そうに頷く。先生が何を考えているのか相変わらず読み取れないものの,この反応を見て僕はある疑いだった考えが正しいことを確信する。
「ですが橋本君が犯人であった場合,少々不自然な点があります。1つは2度目の転覆で何故痕跡が残らないようなトリックを用いたのか。再選考は橋本君が主導して漕ぎつけたのだから,トリックを考える時間は十分にあったはず。それなのに単純な操作ミスと取られかねないようなトリックを仕込んだ理由が分からない,明らかに作為ある介入があったことを示すトリックを採用すべきだ。現にそのせいで再選考だけでなく最初の転覆も単純な事故だったのに,言い訳のため人為的な仕掛けを主張していると今は疑われてしまっている。ここまで考えた時,この状況そのものが犯人の狙いだった可能性を思いつきました。橋本君に何らかの恨みを持つ者なら自分の利益のためでなく,橋本君を陥れるために犯行に及んでもおかしくない。ただ,今調べている範囲では橋本君を恨むような部員がいるというような情報は入手出来ていません」
これで,予め考えてきた推理は全て話し切ってしまった。先生は微笑んでいるもののやはりその思考をトレースすることはとてもできそうにない。むしろ,この程度の推理で先生がまだ離席していない状況は奇跡的と言える。
「……以上が,麗紋君が今の段階で導き出せた推理ということかな?」
話し終えた僕に口を開く気配がないと見たのか,先生はそう問いかける。これが引導でないと気付かないほど鈍感なつもりはない。
予め用意してきた手札は全て切ってしまったが,幸い出せる手はまだ残っている。切り札というにはあまりにも急繕えだが,今はこれに縋るしか術がない。
心許なさに震えそうな咽喉を必死で抑える。時間をかけ,できるだけ平常な声音を整え口火を切った。
「ええ。確証がないもののこれまでに挙げた仮説のどれかが真実で,調査を続ければいずれ仮説を支持する物証が得られると思っていました。今日先生と会話するまでは」
「今はそう考えていないと?」
「はい,その通りです。2回目の転覆に水溶性の潤滑剤が用いられていたこと以外は,僕の推理は全て間違っているんですよね?」
矢庭に,先生の顔から笑みが消えた。




