Episode 20
結局その後も,事件性を疑わせる物証は得られなかった。
ギスギスした雰囲気のヨット部に別れを告げマリンパークから帰宅した僕はひたすら先生からの電話を待っていたが,夜になってもスマホが鳴ることはなかった。
考えれば取材で四国中を巡っているのだ,ホテルに戻るのが遅いのも当たり前か。大体,先生もこちらから連絡して構わないと言っただけだ。向こうから必ず連絡が来る保証はない。
諦めてそろそろ寝ようかと自分の部屋に戻った11時半頃,突如スマホが振動し始めた。反射的に飛び付き画面を見ると非通知だ。期待半分警戒半分に電話に出る。
「残念でした,電話番号はゲットできないよ」
スマホを耳に当てた途端,からかうような先生の声が鼓膜を揺らした。
安堵が胸中に広がるも,それが向こうに伝わるのはさすがに見透かされ過ぎる気がして声を整える。親に聞こえやしないかドアを見遣った。
「先生,それどころじゃないんですよ。今日再度選考レースがあったんですけど,またヨットが転覆したんです」
僕はそれから,ヨット部で再度選考レースが行われるまでの経緯を話した。
「ふぅん,事件の全容が大体見えてきたね」
「先生もこれは事件だと考えているんですね?」
「大島で話を聞いた時点で8割方そうだと思っていたけど,今日の話で確信したよ。これは明確なる目的の下,作為をもって仕組まれた事件だ」
「でも,どうやって偶発的な要因に見せかけヨットを転覆させたんでしょうか? 最初の転覆と違って今日のは一見すると単純な操帆ミスのようですし,同じトリックが使われているとは思えません」
「あれ? ひょっとして麗紋君まだトリックが分かっていない?」
「っ先生はこの事件のトリックが分かっているんですか!?」
思わず叫んでしまい,おずおずと部屋のドアを振り返る。特に扉の向こうから物音が聞こえないのを確かめ再度スマホに耳を当てた。
「えっ? どちらの転覆のトリックですか? 同じトリックではないですよね」
「どちらもだよ」
あっさりと答えられ耳を疑った。今日起きた事件のトリックを,現場を目撃もしていないにも関わらず話を聞いただけで見破ったなんて到底信じられない。
「今日ヨットが転覆した際に用いられていたトリックはそう難しくない。最初の転覆を誘発したトリックは多少手が込んでいるけれど,そっちも麗紋君から話を聞いた段階で推理できていたしね」
「えっ,大島で僕から話を聞いた時点で分かっていたんですか!?」
「そうだよ。だからヒントも出せたんでしょ」
あっけらかんと事件を解き明かしていたことを告げる声に,愕然と言葉を失う。
実際にヨット部員に聞き込みを行い転覆の瞬間も目撃した僕が真相をまだ見抜けていないのに,話を聞いただけの先生はその時点でトリックを見破っていた? これではまるで,本当にフィクションに登場する安楽椅子探偵のようではないか。
「先生,事件の真相を教えてください! 一体どんなトリックが用いられていたんですか?」
「その前に,大島で教えてあげたもう1つの違和感の正体は分かった?」
「それは一応は。相変わらず,それがどういう意味なのかまでは理解できていませんが」
トリックをすぐには教えてくれない先生に不満を抱きつつも頷く。安田君から聞いた話を,これまでヨット部員から聞いた話と照らし合わせてようやくその違和感を抱いたタイミングに気付いた。
「おかしいのは,最初にヨットが転覆した時の2人の証言ですね」
「その通り。当時の状況と照らし合わせると2人の証言には明らかに不自然な点がある。聞いている限り,何がおかしいのかまでは気付いていない感じだね?」
「はい……」
「じゃあトリックを見破るまではもう1歩だけだよ。それさえ分かってしまえばたちどころに事件の真相が見えてくる」
「事件の真相……先生,ひょっとしてトリックだけでなく誰が犯人なのかまで分かっていますか?」
「もちろん」
短い回答に絶句する。一体この人の頭の中はどうなっているのだろう。
「というか,トリックさえ分かってしまえば物理的な条件から犯行が可能だった人物が自ずと絞り込まれるんだよ。そして転覆したヨットに誰が乗っていたかを考えれば,確証はないまでも動機もある程度推理できる」
「動機まで……」
「確証はないけれどね」
「先生,誰が犯人なんですか?」
「だーめ,教えてあげない」
薄々勘付いていたが,この返答には肩を落とさずにはいられなかった。
「言ったでしょ。わたしは推理小説家で君がその読者である以上,君はわたしから与えられた謎を解こうと努力すべき。自ら推理せずすぐに解決編に飛びつくのはファンとしてご法度でしょう?」
「先生はもう事件の全容が分かっているのに,僕がその後追いをする必要がありますか?」
「作家からの挑戦を受けもせずファンを名乗ろうって気概なら,わたしは君を軽蔑する」
「……」
「大丈夫,ちゃんと前には進めている。時間はかかるかもしれないけれど,推理し続ければこの謎は君にも解くことができる」
「ではせめて,トリックを暴くヒントだけでも……」
さすがにしつこく食い下がり過ぎて見捨てられるかもしれないと危惧したが,先生は呆れたように「あーもうっ,分かった分かった」と笑った。
「君には根負けしたよ。もう会うつもりはなかったけど,1度だけ会ってあげる。今週土曜日の午前10時に,このホテルのラウンジに来なさい。分かっていると思うけど誰にも言わず1人で来ること。直接会って少しだけ話そう」
「本当ですか!?」
こうして電話がかかってきただけでもありがたいのに,また会う約束まで取り付けられるなんて。嬉しさのあまり一瞬事件のことを忘れてしまいそうになる。
「但し,それまでに少しは自分で事件について考えてきなさい。何も進展がないと分かればすぐ帰るからね」
「はい,ありがとうございます!」
「それじゃおやすみ~」
こちらの返事は待たず電話は切れる。スマホを持ったまま,諦めかけていた僥倖の余韻にしばらく浸る。宿題も出されたから喜んでばかりはいられないが,ファンとして作家と直接会う以上の幸福はない。
……一生分の運を使い切っている気がするな。
その夜,興奮して中々寝付けなかったことは言うまでもないだろう。




