Episode 18
4月29日の10時20分頃,僕は選考レースを見学すべく再びマリンパークを訪れていた。今日は練習を見学した時ほどではないがある程度風が吹いている。荒れていると評すほどではないが,絶えず波が防波堤に打ち付けていた。
レース自体は10時過ぎには始まっていた。帆走は部長ペア,陽翔ペア,そして参考に1年生ペアの順番だ。既に柳井さん達はスタートしており,もうそろそろゴール地点に到着しようとしている。
僕は舟艇の保管場からヨット部員達に交じり,柳井さん達が帆走する様子を観察していた。ヨット部から借りた双眼鏡で2人が操帆する様子を見ているが,これまでのところ目立ったミスはなく順調に走れているように思える。
スタートとゴール地点にはブイが浮かび,ゴール地点にはボートに乗った吉田先生がスタートとゴールの合図を送ることになっているらしい。スタートは僕らから見て左手,ゴールは防波堤の近くだ。先生の合図を見て陸上でタイムを計る手筈だそうだ。
今ちょうどゴール地点に柳井さん達の乗ったヨットが到着し,吉田先生が白いフラッグを上げる。
「19分32秒06」
ストップウォッチを持った佐々木先輩がそう言って,記録用紙が挟まったバインダーを持つ長野さんがタイムを記入する。スマホで海洋情報をモニタリングしている仲里さんに聞いてみる。
「このタイムってどうなの?」
「結構風があるのも影響しているけれど,かなり良いタイム。特に20分切れたのは大きい」
「陽翔達も同じくらいのタイム出せそう?」
「どうだろう。急造ペアでそれほど海上練習できていないことを考えると,同じくらいかより良いタイムを出せる確率は3割くらいじゃない?」
部内選考という意味では陽翔達はかなり厳しい状況に追い込まれているわけだ。再度双眼鏡を覗くと,講評だろうか吉田先生が柳井さん達に何か話している。先生が話し終えると柳井さん達は防波堤を迂回し始めた。一方で吉田先生が赤いフラッグを上げ,陽翔達がスタートの準備をするのが見える。その様子からは別段重心の偏りなどを感じているようには思えない。防波堤を迂回し終えた柳井さん達はこちらに向かって操帆している。
吉田先生が白いフラッグを上げ,陽翔達がスタートした。帆走している様子を見ても特に不自然な動きはない。
柳井さん達はやがて桟橋にヨットを係留する。桟橋から保管場に架かるスロープを上るとこちらに向かって来る。良く見ると2人共肩で息をしている。
「はぁーっ,きっつ! 今日波ちょっと荒れてるな。1年にはちょっと厳しいかも。というかこれ午後の練習体力持つか?」
「お疲れ様。でもその甲斐あってかタイムは良かったよ」
「おっ,どんなもん?」
「19分32秒」
「マジで? ヨッシャ,レースで初の20分切り」
柳井さんと徳丸さんはハイタッチを交わす。それから柳井さんは照れ隠しのように苦笑する。
「だから言ったろ,大会出たければ自分達でタイム出せば良いだけだって」
タイムを計っている佐々木先輩は海上から目を離さず答えた。
「自分達でも出来過ぎって分かっているでしょ。今日のこの風で多分全員タイムは底上げされる。正直参考記録ね」
「手厳しいことで。ま,でもこの難しい海況で上手く操帆する技術も実力の内だな」
「それを言うなら,急造コンビとはいえ個々に見れば大海と陽翔の操帆は部内でもトップレベルでしょ。噛み合えば20分切る可能性も十分ある」
佐々木先輩のこの指摘は強ち間違いではなさそうだった。それから10分以上が経過しただろうか,陽翔達の操帆するヨットはスタート地点とゴール地点の中間点を既に過ぎていた。これまでに目立ったトラブルはなく,順調に帆走しているように見える。
「体感的には大体同じくらいのペースか。うーん,大ピンチってところか」
手を翳し帆走しているヨットを眺める柳井さんは,けれど愉快そうに笑みを浮かべている。純粋に公平な条件での競争を楽しんでいるようだ。その様子を横目に見た佐々木先輩は呆れたように溜息を吐く。
「随分能天気ね。少しはタイム抜かされる心配したら?」
「いーや,まだ分からんぞ。後半バテても操帆の水準を維持できるかどうかだな」
急造ペアにしてはタイムロスも特にないことからも,橋本君との相性が悪くないという陽翔の言葉は誤りではなさそうだ。ふと気になり隣で同じく双眼鏡を覗く安田君に訊ねる。
「安田君と橋本君のペアなら,今日みたいな波だったら20分は余裕で切れるものなの?」
「……どうだろう。後半に向けたスタミナ配分次第かな」
「過度な謙遜は厭味にしかならんぞー」
安田君の見立てに柳井さんが割って入った。
「器用なだけあって陽翔は良くやっている方だが,さすがに大海との相性は明らかに透真の方が良い。辻井君に補足しておくと大海・透真ペアの練習での最速タイムは17分台だ。基本的に風が出るほどスピードに乗りやすいがその分操帆も難しくなるし,波が荒れるから体力の消費も激しくなる。そういった状況で驚異的なタイムを出したこと自体が,2人が全国レベルの実力を持っている何よりの証明なんだ」
因みに俺達のベストタイムは18分台半ばだ,と柳井さんは付け加える。安田君は気まずそうに口ごもり,誤魔化すように双眼鏡を陽翔達の方へ向ける。
最速タイムを出した時の海況は異なるのかもしれないが,それだけ差があるのなら謙遜していると見られても仕方ないだろう。しかし橋本君が自分達の実力に自信を持っており強気な性格である反面,安田君は多少控え目な面があるようだ。




