Episode 17
「良いっすよ。じゃ,アップから始めんぞー」
そう応えると橋本君1年生3人を引き連れ部室を出て行く。制服姿の佐々木先輩と仲里さんはこのまま帰るようで身支度を始めている。同じく制服姿の安田君も帰る素振りを見せるも,柳井さんが僕と共に呼び止める。
「悪い透真,もうちょっとだけ残ってもらえるか。辻井君待たせたね,こっちおいで」
柳井さんの手招きに応じ部室の奥手へ進む。安田君は突然現れた部外からの訪問者に戸惑っているらしく怪訝そうに僕の顔を伺った。
「じゃあウチら帰るわ,お疲れー」
「はいお疲れさん……さて。彼が前に話していた,陽翔の友人の辻井君。透真が骨折した時の事故原因について調べてもらっている。んで辻井君,こっちが大海の本来のペアの透真だ」
柳井さんに紹介されようやく得心が行ったらしい,安田君は頷きながら僕と目を合わせる。
「辻井君って確か,理系トップだよね」
「……理系トップって言ったって,1年次の成績から相対的に押し上がっただけに過ぎないよ。っていうか良く知っているね」
「クラスは違うけど,一応僕も理系だから」
ということは文系科目が苦手なタイプか。
内心の気まずさを表情に出さないよう神経を使った。1年次の総合成績を踏まえ文理が成績順にクラス分けされるこの新居浜北高にあっては,隠れ実力者が下位クラスに潜んでいるというのはあるあるだ。僕が暫定理系トップであることを知っていることは,理系科目に限ると「自分の方が上なのに」というやっかみの裏返しである可能性も捨てきれない。
水面下のやり取りを知ってか知らずか,あっけらかんと柳井さんは割って入る。
「辻井君は事故のことについて透真にも聞き込みしたいことがあるらしい。俺はミーティングの内容を吉田先生に報告しに行くから,その間認識の齟齬などのフォローは英明と陽翔に任せたぞ」
そう言うと柳井さんはメモ帳に何か書き込みながら部室を出て行く。正直フォロー役に任命された2名が役割を全うできるのか不安しか感じないのだけれど,とやかく言える状況ではない。半ば開き直った気持ちで安田君に向かい合うようベンチに腰掛ける。
「聞きたいことと言っても,これまでに他の部員の人に聞いたことの確認がメインなんだけどね。橋本君はレーススタート直後から左舷側にバランスが偏っていたと感じていたようだけれど,安田君はどう感じていた?」
「確かにスタート直後からバランスが取りにくいと感じていたことは確かだね。言われてみれば重心が偏っていたのは左舷側だったかも」
橋本君同様安田君も重心の偏りは感じていたものの,その反対側へ転覆した不自然さには気付いていないようだ。表情からはとぼけているかどうかは読み取れない。ただ少なくとも,橋本君の証言の客観性をある程度補完するものと言えるだろう。
「……レース前船底に損傷がなかったことは確か? 加えて損傷に気付いたのが事故後というのも確定事項と判断して良いかな?」
「それはどちらも断言して良いと思う。そのまま病院に搬送されたから,僕は破口自体を見たわけじゃないけれどね」
「バランスの取りにくさ以外におかしな点はなかったか思い出してもらえる? 特に転覆の前後の様子が知りたい」
「うーん,重心の偏り以外か……。特に不審に感じたことはないな。転覆前は,確かバランスを取るため右舷側に移ったことは覚えている。その後ヨットが右舷側に傾いて,気付いた時には海中だった。そこで初めて転覆したんだって分かったくらいだから,何かに気付ける余裕はなかったな」
「海の中で損傷に気付かなかった?」
「無理だね。気泡のせいで視界は一面真っ白だったから。海上がどの方向か分からない中,左腕を怪我したことだけは確信していたからひたすら浮上することだけを考えていたよ」
まただ。また何か引っかかった。
安田君の発言に,僕の直感が何かがおかしいと告げる。違和感の正体を掴もうと考えこむも,発言内容に特に不自然な箇所があるようには思えない。
粘って考え続けるも,安田君と陽翔が急に黙り込んだ僕を不思議そうな顔で見ていることに気付き一旦棚上げすることにした。後でこれまでに違和感を覚えたタイミングと併せて精査しよう。
「橋本君は転覆の原因は単純な船底の損傷だけじゃないと考えているみたいだけれど,安田君はどう思う?」
問いかけられ安田君は伏し目がちに考え込むも,やがて力なく首を振った。
「分からない。確かに状況にいくつか不自然さは残るものの,ヨットの運搬時に損傷した可能性が最も現実的な線に思える。何かの衝撃で船底が痛んでいたものの破口自体は陸上では開いていなくて,タイム計測を待っている間に何かの衝撃で穴が開いたとしか考えるしかないんじゃないかな」
「なるほど。ありがとう,聞きたいことはこれで終わり」
安田君は不自然さは感じているものの,明確な他の原因を示す根拠があるわけではないから損傷による事故と判断せざるを得ない,といったところか。
正直陽翔に安田君への聞き取りを提案された時は期待していなかったしそれほど目新しい情報を得られたわけでもないが,転覆したヨットに乗っていた2人から話を聞いている最中に違和感を覚えたというのは示唆に富んでいるように思われた。
さて,そうなると残すは……
「次の選考レースの様子を見学したいんだけど,僕も同席できるか?」
「先週練習の見学できたし,先生に許可取ればいけると思う」
僕と陽翔の会話に,これまで滅多に口を開かなかった徳丸さんが割って入った。
「……見学したいなら,僕の方から吉田先生に話を通しておこう。日時等詳細が決まったら陽翔経由の通達で問題ないね?」
「お願いします」
徳丸さんの発言に驚きつつも頷く。いずれにせよ後はレースの結果次第だ。僕の方で打てる手は打ち切った。
僕はヨット部の部室を辞去し帰路に就いた。




