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ゆうれいの片袖  作者: 阿久井浮衛


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Episode 13

「仕方ないね。車は停めてここからは徒歩で行こう」


 これ以上車で進めないと分かるや否や先生は車を路肩に停める。助手席から降りた僕はてっきりそのまま目の前の脇道を進むのだと思ったけれど,先生は車体の後方に回りトランクルームを開く。


 車体を迂回して僕の前に再度現れた時には首にかけたストラップの先に提げた本格的なレンズ付きのカメラに,牛革のビジネスバッグが追加されていた。取材時の舘賀セティラの出で立ちをスマホに納めたい衝動を懸命に堪えるファンの心境に構わず,先生はリモコンキーで鍵をかけると「じゃ,行こうか」と颯爽と脇道を歩き出す。


 先生の後を追って僕も脇道を進む。思い返せば地元民であるが大島には上陸した憶えがない。物珍しさから辺りを見回すと大島公民館と記された建物以外は武家屋敷風の建物が多く見えた。


 確か村上水軍の頭領邸宅跡が大島にはあったと記憶しているが,何か関係があるのだろうか。


 路地を歩くことものの1,2分。スロープ付きの石段の向こうに山門と透き通った青空が見えた。その右脇には「浄土宗願行寺」と掘られた石柱が立っている。ここが件の願行寺らしい。


 先生に続いて石段を上がる。山門まで上がると太子堂だろうか,正面に小さな蔵のような建物が見える。その左手に更に石段があり,その上には観音堂と思しき建物と墓石が並んでいる。更にその左手に建つ本堂の方へ,先生は石畳の参道を進んだ。本堂の前の石段を登ると,僕達は靴を脱いで縁側に上がった。


「ごめん下さーい」


 唐戸を開けた先生はサングラスを外し,襟にかけながら本堂の奥へ呼びかける。返事は聞こえなかったが,しばらくすると作務衣姿の中年男性が右手に見える廊下を歩いてきた。坊主頭に眼鏡をかけた男性は先生を見て一瞬たじろぐも,すぐに落ち着きを取り戻した。


「どのようなご用件でしょう」

「昨日ご連絡いたしました,作家の舘賀セティラです。お約束していた通り『ゆうれいの片袖』についてお話を聞かせていただきたいのですが,お時間よろしいでしょうか」

「ああ,ご連絡いただいていた作家先生ですね。お待ちしておりました,こちらへどうぞ」


 男性は腑に落ちた顔を見せ廊下を奥へ進む。先生と僕は敷居を跨ぎ唐戸を閉じてその後に続く。板張りの廊下を歩いている途中,不意に先生が僕に顔を近づけてきたため急激に鼓動が高まる。


「住職さんには麗紋君は取材に関心のあるわたしの親戚って伝えているから,話を合わせてね」


 住職に聞こえないようそう耳打ちすると,何事もなかったように顔を離す。僕はあまりの衝撃に思わず足を止めた。


 全く,自分の言動がどれだけ周りを振り回すのか分かってほしいものだ。


 赤くなっているであろう頬に触れるとやはり熱を帯びている。深呼吸を何度か繰り返し2人の後を追った。


 住職が案内したのは畳の部屋だった。願行寺の歴史を伝えるための部屋らしく,壁際の棚の上にはパンフレットのような冊子が何種類か並んでおり,一番奥に黒い枠組みのガラスケースが置かれている。ガラスケースの中には明らかに年代物と分かるくすんだ布がかけてある。黒い木枠の正面側には銀色のプレートが張られており,幽霊の袖という文字が記されている。あれが片袖の実物のようだ。


 けれど先生と住職はそちらに向かわず,部屋の中央に置かれた桐箱の方へ向かった。


「こちらが例の?」

「ええ,縁起書です。ゆうれいの片袖の謂れを説明するために作られたものではと思いますが」


 住職はそう言いながら桐箱の中から数本ある巻物の1つを手に取り解いていく。住職が巻物を開くと,綺麗な模様の欄に挟まれた本紙が姿を見せる。


「保存状態が良いですね。これは御家流か……」


 先生は畳の上に正座し,興味深そうに巻物を覗き込む。先生の傍らで僕も本紙に目を落とすが,所々判別できる漢字は有れど崩し字のためほとんど読めない。元禄という文字を見つけ,辛うじて江戸時代に書かれたものと分かるくらいだ。けれど先生は内容が理解できるらしく,薄く微笑みながら文字を追っている。


 先生はしばらく縁起書を読んでいたが,思い出したように立ち上がる。


「写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」

「お気の済むまでどうぞ」


 住職の許諾を得て先生はカメラを構える。細かくレンズを調整しながらシャッターを切る。どうやら全文が読めるよう,分割しながら巻物を取っているようだ。数分ほど時間をかけ写真を撮り続けた。


「次は幽霊の描かれた掛け軸を見せていただけますか?」

「それはこちらですね」


 住職は白い木の軸棒に巻かれた,外側が紫の掛け軸をするすると解く。


「作者・年代共に不詳です。恐らくですがこの寺に幽霊のお話があると聞いて,江戸時代頃に寄付されたものではないでしょうか」


 そう言いながら住職は巻物の隣に掛け軸を広げる。紫の布は上下だけで絵が貼られた部分の布は模様の入った深緑色だった。掛け軸の中央に墨で女性と思われる,髪の長い幽霊の絵が描かれている。


「こちらも撮影してもよろしいですか?」

「もちろん」


 掛け軸も許可を得て先生は撮影し始める。


 レンズの先の絵に目を向けると,先ず夜を表現しているのか紙の四方に大小の黒い斑点が配されている。幽霊は中央に描かれており白い粗末な着物を着ている。長い髪は書き乱れ,哀れむような顔つきで首を傾げるように顔を下に向けている。角度から恐らく娘を見つめていると思われた。


 幽霊の絵と言うとおどろおどろしい絵をイメージしがちだが,作者がそうした印象を与えないようにしていることくらいは読み取れる。


「あまり怖い顔はしていないでしょ」


 巻物の方を片付けながら,住職が僕に声をかける。どうやら先生が撮影している合間,手持ち無沙汰な僕が退屈しないよう話しかけてくれたらしい。


「そうですね,思っていたのと違いました」

「恨みつらみのこもったような表情ではなさそうだものね。作者は娘を案じて現れた母親の姿を描きたかったんだろうなぁ」


 僕達が話している間も先生はシャッターを切る。こちらは全体を何度か撮影するだけで十分なのか,すぐに「ありがとうございます」と撮影を終える。


「着物の実物がこちらですね」


 掛け軸の片付けを終えた住職が,部屋の奥に保存されているゆうれいの片袖の実物の方へ僕達を案内した。


 近くで見ると結構大きい。金属製の棒がガラスケースの天井に取り付けられておりそこに袖がかけられているのだが,長さが50cm,幅が40cmくらいだろうか。全体的に薄茶色に変色してしまっており元の色が何色だったかは全く分からない。所々シミのようなものを見える。


 先生はガラスケース越しに角度を変えながら何度かシャッターを切る。これも全体像が分かれば十分なのか,最後にガラスケース左側から袖の後ろ側が分かる角度で撮影すると「ありがとうございました」とカメラを首に提げ住職に向き直る。


「撮影は以上で大丈夫です。本日はご歓待いただきありがとうございました」

「取材はもうよろしいですか?」

「はい。最後にお参りだけさせてもらって帰ろうか」


 先生にそう促され僕は頷き返す。


 ここまでの滞在時間はようやく30分を超えたくらいか。以外と取材に時間をかけないんだという感慨と共に,もう帰路しか先生と共に過ごす時間が残されていないと気付き焦燥が胸を占める。廊下を渡っている間,何とか取材を延長する口実がないものか懸命に頭を捻るも妙案は思い浮かばない。


 結局本堂入って直ぐの部屋に戻りそのまま参拝も終わってしまった。参拝を終えると先生は浄財と書かれた賽銭箱にバッグから取り出した封筒を入れる。一拍遅れて,それが謝礼を兼ねたお賽銭であることを理解する。


「本日はありがとうございました」

「いえいえ。辺鄙な所ですがまたいつでもいらっしゃって下さい」


 交わされる別れの挨拶を聞きながらちりちりと胸の内を炙る焦りを堪える。


 ああ,取材も終わってしまった。もうフェリーで黒島港に戻るまでの時間しか残されていない。それにしたって往路のように話をしてくれるとは限らないのだ。

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