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ゆうれいの片袖  作者: 阿久井浮衛


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13/29

Episode 12

「幽霊が現れ着物の片袖を残したという伝承が残っているのは願行寺だけじゃない。特に追善供養や成仏思想と結びついて全国各地に伝わっているけれど,最も有名なのは大阪大念佛寺の『亡女の片袖』だろう。こちらも回向を受けるよう懇願した幽霊が自身である証拠として着物の片袖を残すというもので,実際に着物の片袖が残されているそうだよ。上方落語にはこの伝承を基にした落語まである」

「へぇ」


 願行寺の他にも似たような話が伝わっていることは意外だった。ただ,それだけならゆうれいの片袖に拘る理由はないはずだ。先生の目的が読めず話の続きを待つ。


「文学的にはこうした説話は『片袖幽霊譚』と言う類型に分類され,元を辿れば富山の立山信仰に辿り着くらしい。幽霊譚と言うとお岩さんやお菊さんのような怨霊を思い浮かべがちだけれど,片袖幽霊譚は亡者が現れ僧侶等に遺族へ言伝を依頼する時に証拠として着物の片袖を残すというものだ。追善供養を促す説法的な側面が強いのだけれど,ゆうれいの片袖の場合は特に恨みや復讐の要素が少ない。どちらかと言うと母と娘の直接のやり取りによる母性愛が強調されている。西日本では片袖幽霊譚は近畿から瀬戸内海路沿いにかけて分布しているから,恐らく西国巡礼や四国遍路により伝播する際に変異していったのだろう。全国的に見ると寺院幽霊譚は怨霊型が多い反面,四国に関しては救済型が多いという特徴があるのも面白いね。ただゆうれいの片袖の場合最大の特徴は,縁起書と実際の着物,そして幽霊画が全て現存していることだ。全国的には説話だけ,あっても文献だけ残っているって所が大半の中,これはかなり珍しいことだよ」


 だからどうしても見ておきたかったってわけ。そう付け加え先生は説明を終える。地元のお寺に伝わる遺物がそれほど希少なものであることを驚きだったが,それと同じくらい舘賀先生が文学にも明るいことが意外だった。噂されている限りでは,先生は工学部出身のはずだ。学生の頃に身に着けた知識だろうか。それとも,プロならこのくらい朝飯前に調べられるものなのだろうか。


 フェリーは白い泡と共に波を後ろに引きながら港を出る。囲う物のない海洋に出て少しだけ海風が強くなる。潮風が戦ぎ先生の髪が涼し気になびいている。そのせいで香水の匂いがより際立った。身バレ防止のためか,今日もサングラスをかけた先生は顔を外へ向けているけれどその視線の先はどこに向いているのだろう。


 船首側へ目を移すと,既に見えていた大島がその姿を少しだけ大きくしていた。待合室にあった時刻表によると15分で到着するらしい。船内にふと視線を向けた拍子に,先生の車が視界に入った。


「……あれ? ってことは先生態々横浜から運転してきたんですか!?」

「そうだけど,そんなに驚くようなこと?」


 先生は僕の反応を見ておかしそうに笑うけれど,実家に帰省するわけでもないのに個人がこの距離を運転する方が珍しいのではないだろうか。少なくとも,公共交通機関の利用を第一候補に考えるのが普通だろう。


「松山空港から新居浜市ってそんなに遠いですかね?」

「さっきも言ったけれど,取材対象は願行寺以外にもいくつかある。散らばっている取材先に公共交通機関を乗り継いで向かうくらいなら車で直接向かった方が早い。それに時間の制約を受けることがあまり好きじゃないんだ。運転は嫌いじゃないしね」


 先生は頬杖を外し,腕を組むように欄干に手を載せる。思えば車も本格的な2ドアだし,本人の言通り運転嫌いではないのだろう。車好きという意外な一面を知れて少し誇らしい気分になる。全国の離島シリーズファンでその事実を知る者が一体どれくらいいるというのか。そう思うと下世話染みた好奇心が擡げた。


「先生のご出身はどちらですか?」

「福岡」

「創作を始めたのはいつからですか? 最初から推理小説を書いていましたか?」

「本格的に書き始めたのは中3の時。言われてみれば確かに,推理小説以外書いたことないな」

「デビューまでにどのくらいかかりましたか? 大学在学中デビューしたという噂は本当ですか?」

「その質問は年齢を推定できるからノーコメント」

「舘賀セティラという名前は本名ですか?」

「いいや,学生時代友人と飲みながら考えたペンネーム。麗紋君の後学のためアドバイスしておくと飲みの席,それも深夜のテンションで出てくるアイディアなんてロクなもんじゃない。少なくともわたしみたくそのペンネームでうっかり受賞してそのままデビュー,なんて間抜けな失敗は避けることだね。正直変えられるなら今すぐにでも変えたいくらいだ」

「先生はハーフなんですか?」

「見た目,特に瞳の色で勘違いされがちだけれど両親共に日本人。因みに両親もハーフではないよ」

「次回作の構想を教えてもらえますか?」

「企業秘密」

「では現時点で既に離島シリーズの最終作のアイディアがあるのか教えてください」

「SNSで拡散されるリスクがあるのに教えるわけないって分かっているでしょ。はい,ファンサービスはおしまい。車に乗って。下船に備えるよ」


 こちらの思惑はすっかりお見通しらしい。先生はそう言って身を翻すと船首側に歩き始める。見るとフェリーは大島に大分接近し,これから入港するところだった。


 慌てて先生の後を追って船首側の階段を下りる。助手席側に回った時に初めて甲板両端に簡素なベンチが設けてあることに気付いた。運転席側に回った先生はもちろん躊躇いなく車に乗り込むも,僕はそうはいかない。いよいよかと思うといつの間にか忘れていた緊張感が再燃する。一度目を瞑り深呼吸すると,意を決し助手席のドアを開けた。


 車内を見て第一に,外観の割にシンプルで落ち着いた印象を受けた。シートやステアリング周り全て黒を基調としたカラーリングで,ボタンやシートベルトのバックルなど一部の部品に赤色が用いられている。シフトレバーが見当たらず困惑したのだけれど,運転席と助手席の間のボタンに「D」「N」「R」の文字を見つけた。シフト含め,車内の操作は全てボタンで完結しているようだ。座席は運転席と助手席のみの2シートだった。


「お邪魔します」


 あまりの緊張に萎縮しつつ車内に乗り込む。ドアを閉めシートベルトを締める。持ってきたショルダーバックは膝の上に置くことにした。ドアを閉め切って初めて車内に微かに漂うバニラのような甘い香りに気が付いた。


「地図アプリで願行寺へのルートを調べてくれない? この車スポーツカーだからナビ付いてないんだ」


 そう言いつつ先生はシフトボタンの下にある赤いボタンを押しエンジンをかける。昨日言っていた道案内という言葉の意味はそういうことらしい。


 僕がアプリで願行寺へのルートを調べている間にもフェリーは港を進み陸地へと近付いて行った。階段を下りてきた船員がフロントガラスの向こうの甲板を陸側へ歩いている。岸の向こうには大島側の待合所や古い民家が建ち並ぶ。助手席の窓越しにおおしま7と船名が記された一回り大きいフェリーが港に係留されているのが見えた。


 やがて可動式の甲板が下りてゆっくりとフェリーは接岸する。通行止めの柵が開くのを待って先生は車を進めた。下船際窓越しに手を上げ船員に謝意を伝え,そのまま発着場から赤い橋を通り過ぎ大島へと上陸する。


「右に曲がってそのまま進んでください」


 左手に待合所を見ながら願行寺への経路をナビゲーションする。僕の案内に合わせているのか,先生は徐行に近い速度で車を進めた。


「次の道を左折したいんですけど……」


 恐らく大通りであろう道路をしばらく進んだところで,アプリで左折する必要があるのを何度も確かめる。しかし目の前の脇道は明らかに先生のスポーツカーでは通れない道幅しかなかった。

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