Episode 11
4月26日の午前9時25分頃,黒島港の待合所前で自転車を停め待っているとド派手な青い車が左手に見えた。車は道路を進むと僕の目の前で停まる。運転席の窓が下がりからかうように笑う舘賀先生の顔が現れた。
「本当に来たんだ。随分物好きだねぇ」
こちらの返答を待たず先生は車を港の駐車場の方へ回した。
正直に言えば伝えられていたのとは別の日時の便で大島に渡航される可能性を危惧していただけに,約束通り舘賀先生が現れたことに内心安堵した。思いがけず出会ったファンを撒くために適当な時間を口にしたわけではないらしい。「本当に来たんだ」というのはこちらのセリフだ。
「調べたら9時40分発の便があるみたいだからそれに乗ろう。乗船券はまだだよね?」
車を停めた舘賀先生は待合所を回り込み切符売り場に向かう。昨日の全身黒のコーデと異なり,黒のポロシャツにゆったりとした白色のワイドパンツといった服装だ。2つある待合所の扉の内,海側の扉を開け先生は中に入る。その後を追って僕も敷居を跨いた。
待合所に入って先ず目に映ったのは3脚の木製ベンチだ。一般的なバス停のそれよりも一回りくらい大きいだろうか。比較的新しく椅子の背中央部分が良く見ると四国の形にくり抜かれたデザインで,待合所に入った利用客を出迎えるようにカタカナのコの字に配置されている。他に目立つものと言えば運賃表を始めとした掲示物と券売機くらいか。待合所とは文字通り定期船を待つための場所のようで,売店のようなものはなく人の姿もない。
一見すると倉庫のような見た目の中,部屋奥にぽつんと置かれている券売機の方に先生は進む。先生の隣に並び券売機を覗くと片道・往復と券種別に多くのボタンが並んでいた。ええと,自転車だから往復120円か。あ,これ運転手の乗船券込なんだ。
「ふうん。自転車でも渡れるみたいだけれど,こっちに置いときなよ。助手席に乗せたげる」
言いながら手早くお金を入れボタンを押す。出てきた大人1名分の往復乗船券をこちらに差し出す。自分で払うつもりだったが奢ってくれるらしい。
一瞬形だけでも断るポーズを取った方が良いかと思ったけれど,先生はどの道車込の乗船券を購入する必要があるしそういった儀礼的なやり取りが好きじゃなさそうだ。ここは素直に受け取っておくか。
「ありがとうございます」
「ん? あー別に良いよ。学生にたった120円ぽっち奢れないほど舘賀セティラはケチってSNSに書かれないための必要経費だ。外に自販機あったから,浮いた分で何か買ってくれば?」
先生は苦笑しつつ自分の分の乗船券を購入する。先生は特に意識していないようだが,車内で2人切りになるのだと想像するとすわ緊張してきた。気を紛らわすため言われた通り飲み物を買いに出る。
購入したサイダーを飲みつつ,何となく海面を眺める。昨日と違い今日はほとんど風もなく,波紋のような小さな波が辛うじて見えるくらいだ。天気も良く鏡のように停泊する船や空に浮かぶ雲を映し出している。柔らかな日差しの下,微かに頬を撫でる風が心地良い。
潮の匂いを嗅ぎながらぼんやり波音を聞いていると,沖合から1艘船がやって来るのが見えた。停泊している船よりも大分大きい。穏やかだった水面がゆっくりと揺らぎ始める。近付くにつれ操縦席と思われる場所に「黒島⇔大島」という文字が見えてきた。スマホで時間を確認するとちょうど9時半になるところだ。
「あれが市営渡海船『くろしま』だね。大体1時間周期で黒島と大島を上り下りしているらしい」
いつの間にか隣に立った舘賀先生はフェリーを眺める。潮の匂いに昨日と同じ香水の香りが混じりその存在を控えめながら主張する。しばらく先生はフェリーが近付いてくる様子を観察していたが「車取ってくるね」と言って駐車場の方へ向かった。
フェリーとの距離が縮まるにつれ,波が陸の方へも届くようになってきた。船体右手の欄干に「くろしま」と船名が見える。この距離になりフェリーには客室がないことが見て取れた。車を停める甲板の1段高いところに欄干が設けられたスペースに乗客は立ち乗りするらしい。操縦席があるのは更に上の段だ。
こうしてみる限り,主な乗客対象は観光客というより大島の住人や運送業者なのだろう。専ら島民の生活の足としての利用を想定しているから,乗船券も片道60円という安さに設定しているのだ。今,乗客の姿は見えないが甲板に乗用車が数台停まっている。どこにいたのか,港の職員らしき人が現れ接岸に備える。
船が乗船口に接近し,職員の人はフェリー側から渡されたロープを港側の杭のような設備にひっかけ固定する。通行止めの柵が開かれ順繰りに車がフェリーを降り始めた。と同時に先生の運転する青い車が駐車場から僕の目の前にソロソロと横付ける。助手席の窓が下がりそこからこちらを覗き込む先生の顔が見えた。
「先に乗っといて」
短く告げ顔を引っ込める。捉えようによっては冷淡な態度に思えるが無理を言って取材に付いて行っているのはこちらなのだ,これ以上の距離感を求めるのは贅沢だろう。
フェリーから車が降り切るのを待ってフェリーに近付く。職員の人に往路側の乗船券を渡してフェリーに乗り込んだ。
深緑色の甲板を進み,左側の階段を上る。中腹辺りまで進み欄干越しに船内を見渡す。車を誘導するためか甲板に船員が1名いる他,上部の操縦席に1人座っているのが確認できる。港の職員含め最低限の人員で運用しているようだ。この価格設定で利益を出せるとは思えないから当然か。
車内から乗車券を職員に渡した先生が,船員に促され車をフェリーに乗せる様子を漫然と眺める。多分,これまで大島に渡った車の中で最も派手な車ではないだろうか。車はフェリーの甲板を奥までゆっくり進み停車する。ふと反対の港側に目を向けるも,他に車や乗船客らしき人の姿はない。まだ朝早い便だからだろうか,どうやら貸し切り状態になりそうだ。
「わたし達以外にお客さんいないみたいだね」
船首側の階段を上った舘賀先生がこちらに近寄って来る。そのまま車の中で過ごすかと思ったが道中付き合ってくれるらしい。未だ緊張は解けないが昨日よりは先生との会話にも慣れてきた。
「舘賀先生,いくつか質問していいですか?」
先生は不意に通行止めの柵を閉じ始めた船員に目を向け,海側に身を向け直すと欄干に頬杖を突いた。
「答えられる範囲で良いなら。それと人前ではわたしの名前を出さないように」
身バレを防ぎたいようで釘を刺される。考えなしに名前を口にした軽率さを指摘され,気まずさを覚えつつ質問する。
「えっと,先生は昨日大阪から運転と仰っていたと思うのですが,大阪に住まれているんですか?」
「いいや,自宅があるのは横浜。こっちには取材で滞在している。大阪を拠点に回ろうとホテルを取ったのだけれど,今は一時的に新居浜市内に拠点を移した感じだね」
港の職員が船を停めていたロープを外し船体の脇に留める。職員がフェリーから離れ港に降ろされていた可動式の甲板が上がる。それからゆっくりとフェリーが動き,港から少しづつ離れ始める。10メートルほど離れた辺りで船員は港側に向かって手を上げ操縦席の方へ向かった。
「ゆうれいの片袖に強い関心をお持ちのようでしたが,それはどうしてですか?」




