Episode 9
ふと誰かを呼んでいるらしい声が聞こえ辺りを見回す。辺りに歩行者の姿はなくどうやら自分が呼ばれているらしいと理解すると共に,車道に真っ青なカラーリングの車が信号待ちしていることに気付いた。車の窓は上がっており,その向こうの運転席に座る女性がこちらを覗き込んでいる。
うわぁ,ド派手……
車体はやや水色に近いブルーのカラーリングが全体に施されていて,真っ黒なホイールとのコントラストが印象的だ。車高は低く,いわゆるスポーツカーのような見た目で街中にあっては異彩を放っている。詳しくはないが外車ではないだろうか。
けれどそれ以上に目立つのは運転席に座る女性だ。肩の下辺りまで伸びるストレートの髪は真っ赤に染まっている。濃い色のサングラスをかけておりはっきりとは判断が付かないが,鼻筋が通っておりシャープな輪郭からもハーフのように思えた。年齢は20代後半くらいだろうか。
このド田舎では先ずお目にかかることのない人種だ。はっきり言って車と共に周囲から浮いている。その人物から今まさに自分が話しかけられているとは信じたくない。
気付いていない振りをしてやり過ごそうかと一瞬思ったのだけれど,どうやら目が合ってしまったらしい。薄い唇が上品に弧を描く。
「少し道を聞きたいのだけれど,時間はあるかな?」
「……時間は大丈夫ですけど」
「良かった。じゃあそこの駐車場に少しお邪魔しよう」
と女性は交差点を過ぎた先の駐車場を指差す。信号を渡りそちらまで向かえということらしい。
強風の中肩で息しながら自転車漕いで向かった結果,手がかりらしい手がかりを得られなかった挙句にこれか。
トコトン今日はツイていないようだ。脱力し青に変わった信号を渡った。
指示された駐車場傍の歩道に自転車を停める。一方青い車は駐車場の隅に停まった。ドアが開き運転席から赤い髪の女性が出て来る。
「悪いね時間を取らせてしまって。黒島港から大島に渡りたいのだけれど,この道を真っすぐ進めば黒島港には行けるのかな?」
スマホの画面を見せながらその女性が近寄った拍子に,ふわりとボディソープのような香りが広がる。香水か何かだろうか,厭味に感じない落ち着いた香りだ。
「平和通りって言うんですけど,基本的にはここを道なりに進んでいけば良いです。ただ途中でマリンロードという通りが横切っているのでそこを右折する必要があります。マリンロードも道なりに進んでいけば良いですけど,確か黒島港へは途中で枝分かれしているんじゃなかったかな」
「時間はどのくらいかかる?」
「車なら5分くらいで行けると思います。……あれ? フェリーで大島へ渡るんですよね?」
「そう。車ごと渡りたいのだけれど,それはできる? それか港に駐車場はある?」
「それは大丈夫ですけど……」
応えながら僕も自分のスマホを取り出す。気になったのは今日の天候だ。ヨット部が午後の練習を中止するほどならフェリーの運航にも支障が出ているのではないだろうか。適当なキーワードを打ち込みしばらく検索する。
「……あ,やっぱりだ。今日高波のため終日欠航しているみたいです」
「えっ,本当?」
驚く彼女に僕は画面を見せる。女性はしばらく画面に見入っていたが,やがて明らかにガッカリした様子で腕を組んだ。
「うわぁ。そうか参ったなー,どうしよう。……本当にどうしよう,完全に日帰りのつもりだったもんな。今日行けないとなると困る」
ぶつぶつ呟くその女性の様子を不思議に思う。どうも市外から訪れているようだが,何故そうも大島へ行きたがるのだろう。
大島には村上水軍関連の史跡こそあれど,テーマパークのような意味での観光スポットはない。釣りやサイクリングのアクティビティはあるが黒シャツにデニム姿の彼女がそれを目的としているとも思えない。地元民からすれば正直見るべきものもやるべきこともないただの島だ。
「……どうしてそこまで大島に行きたいんですか?」
「島というより,願行寺を訪ねたいの。地元の人なら『ゆうれいの片袖』を知っているかな?」
「あぁ,あの話ですか」
と相槌を打ちつつ益々疑問は深まる。地元民でも知らない人もいるくらいの伝承に,この年代の女性が興味を持つものだろうか。
ゆうれいの片袖とは大島にある願行寺に伝わる伝説だ。曰く,昔大島に漁師の家族が住んでいたという。一家は漁師とその妻,娘で幸せに暮らしていたが,ある時漁師が妻以外の女に惚れ込んでしまう。心変わりした漁師は妻の言葉に聞く耳を持たず,離縁しその女を新しく妻として向か入れてしまう。新妻は娘に辛く当たり食事も十分に与えず,漁師もその言いなりになり娘を叱るようになる。娘は実家に帰った実母を訪ねては泣いて辛い現状を訴え,母親も娘を不憫に思い嘆き悲しんだという。
そんな日々が続く中,娘のことを心配するあまり母親は気が狂い漁師と新妻を恨みながら死んでしまう。実母の死後もいじめられ続けた娘は母親の墓を毎晩訪ねては泣くようになる。ある夜継母にぶたれた娘がいつものように実母の墓の前で泣いていると,娘を心配した母親の幽霊が現れる。母親の幽霊は娘に出家し尼となり,自身を弔うよう懇願する。そして別れ際自身の着物の袖を引きちぎり娘に渡すと立ち消えてしまった。
その娘が尼となった寺が願行寺で,母親の幽霊が娘に渡した着物の片袖とされるものが実際に今も展示されているらしい。
ゆうれいの片袖の話は耳にしたことがあるものの,地元民の僕でさえ願行寺を訪れたことはない。言い伝えも別段印象に残るようなストーリーでもないし遺物も耳目を集めるものでもない。態々労してまで見に行く価値があるとは感じないのだ。それなのに,どうして市外から訪れたらしい彼女はこうも願行寺に行きたがっているのだろう。
しばらく独り言を呟いていた彼女は僕の目線で悟ったらしい。きまり悪そうにコホンと咳払いする。
「他の人には言わないでね。これでもわたしは専業作家で,主に推理小説を書いている。願行寺には次回作に向けた取材に行きたいんだ」
「推理小説ですか? お名前を伺っても良いですか?」
知っている先生だろうか。少なくとも僕の知る限り著者近影で該当する先生はいないように思えるが。というかこの見た目なら先ず忘れるはずもないか。
本格派でないかデビューしたての新人だろうと当たりをつけ尋ねると,赤髪の女性は少し逡巡する仕草を見せ答えた。
「多分知らないと思うけれど,舘賀セティラという名前で何作か出版しています」
「……は?」




