第三十五話 ボストンに、さよならを。
「そうか……ついに卒業か。わずか数年で医学博士と法学博士を同時に取得してしまうとは。前代未聞だよ、司」
ローガン国際空港の喧騒の中、エディーは名残惜しそうに僕を見送ってくれた。
「少しは、我が校のカリキュラムも君の血肉になったかね?」
エディーが茶目っ気たっぷりに微笑む。
「もちろんだよ、エディー。これほど『間違いだらけの論文』を一度に、かつ大量に査読できる環境なんて、世界中探してもそうそうないからね」
僕は至って真剣に、感謝を込めて答えた。
「ははは! こいつは手厳しい。最後まで君のシニカルなジョークには一本取られっぱなしだ」
エディーは愉快そうに肩を揺らした。……ジョークだと思われているのなら、それでいい。実際、僕にとっては既存の学問の矛盾点を見つけ出す作業こそが、最高の娯楽であり、唯一の「勉強」だったのだから。
「これから、すぐに日本へ帰るのかい?」
「いや……。少しフランスとドバイに寄ってから、日本に帰るつもりだよ」
「そうか。次に戻ってくる時は、特別講義として教壇に立ってくれないか?」
「了解。前向きに検討しておくよ」
「……楽しみにしてるよ」
エディーは出会った時と同じように、分厚い手で僕の手を握った。
けれど、掌から伝わる感触は、あの頃よりも少しだけ細く、小さくなった気がする。
それもそのはずだ。あれから六年もの月日が流れていた。僕はもう、二十二歳になっていた。
エディーは別れを惜しむように、なかなか僕の手を離そうとはしなかった。僕はもう片方の手をそっと添えて、「また」とだけ告げ、空港の自動ドアの向こうへと足を進めた。
「帰国前にフランスとドバイ? 随分と贅沢な遠回りね」
背後から、最新のパリ・コレクションをチェックしているバンシーが、弾むような声で話しかけてくる。
「ああ……。ちょっと野暮用で、どうしても断れなかったんだ」
「私はちょうど行きたかったからラッキーだわ! エルミタージュもいいけど、やっぱり本場のオートクチュールが見たいもの」
ウキウキと浮き足立つバンシーを横目に、僕は深く、重いため息をついた。
「……ファッションショーなんて、一番苦手なんだけどな」
うっかり本音が口を突いて出た。
飛行機の窓の外にはカスタムハウス・タワーの尖塔が見える。
ぐらりと揺れるその姿がまるで、僕に手を振っているように見えた。




