第三十一話 チケット。
ここまでのあらすじ
高校一年生の千葉司。中学までは人気者だったが、父親の死をきっかけに困窮し、ボロアパートで母親と二人、爪に火をともすような生活を送っていた。
偶然合格した高校では、特権階級である花菱や二階堂、黒丸たちからの苛烈ないじめに遭う。そして、母親の死という残酷な現実に世をはかなみ自殺未遂を図る。
が、その際にバンシーという神の使いに出会い、仕方なく生きていくことを決める。
司はバンシーから課される膨大な課題をこなしていく。それは、いじめの辛さを忘れるほどの超人的なタスクだった。その中、司は肉体的、能力的に成長を遂げていく。
そして、二階堂たちの差し金により、理不尽な火事で家を焼かれ、後見人である阿倍の事務所へと転がり込むことになる。
が、そこでもさらなる課題が与えられ、司は孤軍奮闘する。が、そんな時、学校からも退学処分を言い渡された司。
だが、多忙の中「ただの人生相談」だと思ってこなしていた案件は、実はハーバード大学からの面接で、司は大学側から招待される形でアメリカへと飛び立っていくことになるであった。
学校から解き放たれ、僕は重い足取りで校門を後にした。
退学処分。母さんは悲しむだろうか。それとも、僕の不甲斐なさを叱るだろうか。
そんな感傷に浸りながら歩いていると、背後から電話で聞き慣れたガサツな声が響いた。
「おい、待てよ、タコ」
振り返ると、そこにはタバコを指に挟んだ阿倍さんが立っていた。学校をクビになった人物にタコはないだろ、と思っていたところ、彼は面倒そうに、茶封筒を僕の胸に押し付けてきた。
「これ、言われてたやつだ」
「……なんですか、これ」
封筒の中には、厚手の紙に印字されたeチケットの控えが入っていた。
「明日、昼過ぎの便で取った。12時くらいには成田空港にいろ。……俺は見送りに行かねぇからな。じゃあな」
阿倍さんはそれだけ言い残すと、滑り込んできたタクシーのドアをだるそうに乗り込み、去っていった。
僕は、手渡されたチケットをまじまじと見つめた。
『NRT(成田) → DTW → BOS』
飛行機なんて一度も乗ったことがない。けれど、ここに書かれた「ボストン」という地名が、よく本などに登場していたことを思い出させた。
「なにこれ……?」
デトロイトで乗り継ぎ、アメリカの東海岸へ。
片道15時間を超える空の旅。それは、僕がこれまで生きてきた狭い世界から、物理的に、そして運命的に切り離されることを意味していた。
呆然と立ち尽くす僕の背後から、また、別の声がした。
今度は、耳を突き抜けるような冷たい怒鳴り声ではなく、優しい声だった。
振り返ると、そこには息を切らせた詩さんが立っていた。
「千葉君……! ハーバード大学に行くって、本当なの……?」
詩さんは、校門から必死に追いかけてきたのだろう。肩を大きく上下させ、乱れた呼吸を整えようと僕を見つめていた。その瞳は、驚きと、それ以上の深い動揺に揺れている。
「ハーバード……? 僕が? なんで?」
僕は思わず聞き返した。
退学処分を受けたばかりの僕が、世界最高峰の大学へ行く? 冗談にしては悪質すぎる。けれど、彼女の視線は僕の手にあるチケットに釘付けになっていた。
「え……明日の便なの!? どうして……どうして、何も言ってくれなかったの?」
詩さんの顔が、みるみるうちに悲しみに染まっていく。
「ごめん、僕も今これをもらったばかりで……何が起きてるのか、さっぱり分からなくて」
僕の言葉に、彼女は何かを耐えるように唇を噛んだ。
「……そっか。千葉君らしいね。でも、せっかく掴んだチャンスだもんね。……分かった。私も、千葉君に負けないように、ここで精一杯頑張ってみる!」
詩さんは無理に作ったような笑顔を浮かべると、溢れそうになる涙を隠すように、足早に校舎へと戻っていった。
遠ざかる彼女の背中を見送りながら、僕はチケットの文字を指でなぞる。
……チャンス?
阿倍さんが用意してくれたこれに従えば、僕は明日、成田空港という場所へ行かなければならないらしい。
「でも、成田空港って……どうやって行くんだろう。電車かな」
僕が一人で思案に暮れていると、不意に視界の端で黒い影が揺れた。
「そりゃあ、走っていくに決まってるでしょ? つかさっち」
いつの間にか現れたバンシーが、僕の肩に乗り、退屈そうにあくびをした。
「……は? 冗談だろ。ここから成田まで、何十キロあると思ってるんだよ」
「これから飛行機の中に十五時間も閉じ込められるのよ? 運動不足で脳が鈍るわ。ちょうどいいウォーミングアップじゃない」
バンシーは他人事だと思って、無慈悲なことを言い放つ。
僕は深く、今日何度目か分からないため息をついた。
……母さんに、なんて言えばいいんだろう。
退学になったこと、そして明日からアメリカへ行くこと。
理解が追いつかない現実の重さに、僕は夕暮れの街を、引きずるような足取りで歩き出した。




