第130話 図書館デート
リゼットが王都に戻ってきてから三日もたたないうちに、彼女の元に、アレクシスからの魔電報が届くようになった。
週末に会う約束を取り付けようとするアレクシスからのメッセージに、リゼットは戸惑っていた。
リゼットは、聖王継承権第一位の聖王摂政殿下となったアレクシスに、これからどんな風に接して良いか分からず、気持ちの整理がまだ出来ていないうちに会うのはよくないと思って、実際忙しかったこともあり、断ってばかりいた。
魔電報は早く届くが料金が高いので、リゼットには打てなかった。だから「だらだら」していると言われないよう、なるべく簡潔に返事の手紙を書いた。
いつかは避けていると気付かれるだろうな、とは思っていたけれど、まさか今日、「会えない」と断っているのに、強行突破されるとは思わなかった。
アレクシスは、あまりにもいつものアレクシスだった。いつものように意地悪だけど、深い愛情を真っ直ぐに伝えてくれて、リゼットの心は大きく揺らいだ。
それでも、こんな名ばかり伯爵令嬢が、本当はハイラーレーンの、セイレーン・アレクシス王子に近付くのは「大変恐れ多い」ことなのだと、自分に言い聞かせ、敬語を使って、彼との間に壁を築こうとしていたのに……。
アレクシスは昔から、リゼットに言うことを聞かせたいときは、手荒な手段に出る。……今日は頬の肉を寄せられ、不細工な顔にさせられた。
強引で横暴。トビーの学費を払うとか、家政婦や護衛を雇うとか、次々勝手に決めてしまった。
リゼットは裏庭に干した下着を見られたくなくて、彼の背中をグイグイと表玄関の方へ押し出した。
アレクシスに抵抗する気があるなら、こんな弱い自分の力で動くはずはない。
……ずっと大好きだったアレクシスの大きな背中が、いま目の前にあって、こうして触れることが出来る……。
この些細なじゃれ合いに、リゼットは昔のタルール時代に戻ったような気持ちになった。
リゼットは、彼と距離を取ろうとしていた誓いを、気が付いたら、自分からアッサリ破ってしまった。
自分は翻訳の仕事をしなくてはいけないけれど、折角会いに来てくれたのだから、アレクシスと一緒に過ごせるように、図書館に行くことを、自ら提案していた。
何だかんだ誓ってみたところで、リゼットも、アレクシスのことがやっぱり好きで……。
……彼には、昔から流されやすかった。
リゼットは成人女性らしく薄く化粧をし、髪を簡単にアップにすると、家着のブラウスから、襟元にレースのついた、お気に入りのフェミニンなラベンダー色のブラウスに着替えた。
つばの広い帽子をかぶり、肩には仕事道具の入った大きめのトートバッグをかけて、鏡の前で最終チェックする。
鏡の中のリゼットは、ウキウキとした気分を抑えられず、笑顔がこぼれてしまっていた。
***
「お待たせ~」と言って玄関ドアを開けると、玄関の外で待っていた、アレクシスがこちらを見て、口元に笑みを浮かべた。
本人は変装しているつもりなのだろうが、少々色のついた眼鏡ぐらいでは、その整った顔立ちを隠すことは出来ず、むしろアレクシスに、よりいっそう知的な印象を与えていた。
一般的なエアデーン人とは異なる筋肉質な体つきと、長い足はよく目立ち、彼がただ者ではないという隠しきれないオーラが、バシバシと放たれていて、リゼットはぽぉっと見惚れてしまっていた。
アレクシスは、
〈図書館までエリサで行くか?〉
と尋ねた。
改めて感じた彼の存在感に、リゼットは気後れを感じ、返事をするのを躊躇った。
でも、ここで断ったところで、今さら引き下がるアレクシスではないことも、彼との長い付き合いで承知している。
リゼットは、
「そう遠くはないし、街中でエリサは目立つし、歩いて行くわ」
と答えた。
すると、アレクシスはリゼットのバッグを奪い、反対側の手で、手を繋いできた。彼はリゼットの歩調に合わせながらも、道を知っているような足取りで歩きだした。
リゼットは自分には慣れた道を、こうしてアレクシスと歩くのが信じられなくて、ご近所さんに見られるのが恥ずかしくて、俯いて歩き始めた。
巨大馬エリサに乗らなくても、アレクシスと歩くのは、十分目立っているような気がした。
そんな風に、最初は尻込みしていたリゼットも、この町で、二人暮らしを頑張っていることを、アレクシスに知ってもらいたくなった。
普段、買い物するなじみの店や、通勤に使う馬車の乗り場、バロンの散歩コースを説明しながら歩いた。
家政婦がいないと大変そうに見えるけど、慣れてしまえば、同じ年頃の女子二人の生活は気楽で、楽しんでいることを知ってもらいたかった。
リゼットはずっと一方的に話していて、対するアレクシスは思念通話だし、浮かれて独り言を言ってるみたいだと、急に恥ずかしくなった。
なので、リゼットはアレクシスのことを聞こうと、質問してみた。
「アレクシスの眼鏡はやっぱり、見つかると困るからしてるの?」
アレクシスはハンチング帽を深く被り直して答えた。
〈ああ。今はまだ騒がれたくない。面倒なことになりそうだから……〉
リゼットは、アレクシスとの婚約を破棄した元婚約者だ。
帝国では、自由に二人でデートを楽しめたが、ここ王国では、貴族令嬢のデートには付添人の同行が必要となる。
……確かに、そんな二人がデートしていたと噂になるのは困る。
「私は付添人も用意できない、元婚約者ですものね……」
リゼットは顔を曇らせた。
アレクシスは、そんな卑屈になったリゼットにイラっとした。
〈何を考えている? リゼはリゼだ。勝手に元婚約者になったから、もう一度求婚している。付添人がいなくても、身分は伯爵令嬢だし、問題ない。例え、自分の下着を隠して干す技を身に付けている『ほぼ平民』であってもな〉
……リゼットは黙った。
アレクシスはいつも通りの皮肉っぽい意地悪を言っただけだ。いつもなら、ここで「ヒドイ」とか、「意地悪」とか、リゼットが騒ぐところだ。
──だけど、本当に問題ないの?
〈……ごめん。言い過ぎた〉
「……うん」
〈伯爵令嬢でも、平民でも、リゼがいいんだ〉
「……」
〈俺が悪かった。機嫌直せ……〉
「……うん。……大丈夫、怒ってないよ」
アレクシスはリゼットの顔を覗き込んで謝り、リゼットはそれを軽く微笑んで許したが、リゼットの気分は浮上しなかった。
そこから二人は黙って歩いた。
***
アレクシスとリゼットは、十五分ほど歩いて王都郊外の図書館に到着した。
二つ並んだ席を確保し、バッグから翻訳する本と筆記用具を取り出して机に置くと、リゼットは早速、辞書を探しに書架へ向かった。家にある辞書は重いから、持ってこなかったからだ。
アレクシスはリゼットが翻訳を頼まれている本を手に取った。
拡張脳機能を使い、画像処理をかけてパラパラとページをめくるうちに、この仕事をリゼットにさせてはいけないと思った。
小説前半はただのドロドロとした恋愛小説のようだが、中盤から、主人公たちの倒錯的な性描写が続く。互いに不倫関係に陥ったり、暴漢に凌辱されたり……。狂気じみた人物も登場し、内容もキツいし、表現も過激。読後感も、最悪だ……。
……この本の翻訳を手掛けた、というのは、将来リゼットの汚点となる。
アレクシスは、辞書を抱えて戻ってきたリゼットに、厳しい口調で伝えた。
〈リゼ、この翻訳の仕事、断れ〉
「なんで? 他のと違って、すごいお給金良かったんだよ? せっかく見つけた美味しい仕事なのに……」
リゼットは不服そうに言った。アレクシスは努めて冷静に尋ねた。
〈お前、この話、最後まで読んだか?〉
「イイエ! わたくし、頭から精密に訳していくタイプですから!」
リゼットは、何故かそこで胸を張った。アレクシスは呆れ、ため息をついた。
〈……これはいわゆる官能小説だ。しかも、胸糞悪くなる感じの……〉
「えっ?」
リゼットは口元を手で押さえ、頬をサッと赤らめた。そんなリゼットに、アレクシスは続けた。
〈俺の……、王族の妻になる者がする仕事じゃない〉
リゼットは驚いて、言葉なくアレクシスを見た。
アレクシスに、「自分は王族である」と、初めて線を引かれたことにショックを受けていた。
アレクシスが言う「王族の妻」とは、リゼットのことを指しているということも、理解するのに数瞬かかった。
リゼットだって、この本がそんな内容と知っていたら、いくらお給金が高くてもお断りした。まさか、そんな経験もない未婚の女子に、そんな仕事を勧める人がいるとは思わなかったのだ。
……「王族の妻になる」リゼット・グレーンフィーンは、「恥となる事」をしてはならない……。
「アレクシス王子殿下」の重い言葉が、リゼットの心に、深く刺さった。
「……ごめんなさい」
と悲痛な顔で謝るリゼットの肩に、アレクシスは手をおいて、優しく言い聞かせた。
〈……ごめん。こんな本を若い娘に訳させようとするなんて、リゼは足元見られて、騙されたんだ。リゼはやっぱり世間知らずの伯爵令嬢なんだ。この仕事は断ろう、な? 俺が一緒に行って話してやろうか?〉
リゼットは力なく首を振った。
「いいえ。私が受けた仕事だもの。私が断るわ」
〈いや、やっぱりダメだ。俺が断る。リゼにこんな仕事の依頼をするヤツを、二度と会わせたくない。もうこれのことは忘れろ〉
そう伝えて、リゼットから依頼本を取り上げ、その連絡先を書いた手紙も取り上げた。
アレクシスは、落ち込むリゼットの頭を撫でながら、明るく語りかけた。
〈よし! そうと決まれば、午前中はどうする? せっかく図書館に来たんだ。好きな本でも読むか? 昼はどっかで食べて、午後からはエリサと遠駆けしよう!〉
リゼットもアレクシスの気遣いを、今は受け取ることにした。
「うん。今の家を選んだ理由のひとつが図書館が近いことだったのに、全然まだ読めてないの」
〈よし、じゃあ探してこいよ〉
「アレクは?」
〈俺はいい。ちょっと仕事する〉
そう伝えると、ジンシャーン時代から御用達の、充魔電式の「神の石」を机の上に置いて、弄りだした。
リゼットは書架に戻そうと、辞書を再び抱えた。
ふと、アレクシスの「神の石」に触れていない左手の指先も、膝の上でクラヴィアを弾くように動いているのに気が付いた。
……リゼットはそれを見て、机の上に置いた「神の石」はダミーで、アレクシスはハイラーレーンの「神の指先」で、「星の塔」の「神の石」を使っているんだと確信した。
リゼットはそれに気付かなかった振りをして、そっと彼のそばを離れた。
そして辞書を書架に戻し、アレクシスや他の利用者にも見えないところまでやって来ると、両手で顔を覆い、ずっと我慢していた涙を流した。
……「自分の下着を隠して干す技を持つ」ほぼ平民な自分……。
……お金に目が眩み、未婚の娘にあるまじき仕事をしようとしていた自分……。
あまりの情けなさに、立っている力もなくなって、壁にもたれてしゃがみこんでしまった。
……自身の仕事も忙しいのに、会いに来てくれた彼……。
……王族として、ハイラーレーンとして、活躍しだした彼……。
自分とアレクシスとの間にある溝が、どうしようもなく、どんどん広がってゆく……。
──ダメだ! あんまりここで泣いたら、泣いていたことがバレてしまう!
リゼットは立ち上がった。
リゼットは瞳を閉じて、大好きな自分のモットー「前向き」を、久し振りに心の中で唱えた。
深呼吸しながら何十回と唱えているうちに、涙が引っ込んだ。
さらに続けて唱えると、心が落ち着いて来たので、歩きながら本を探した。
探しながらも「前向き、前向き……」と、ずっと心の中で唱えていた。




