第129話 貧乏令嬢
一方、アレクシスとリゼットとの仲は、全く進展がなかった。
アレクシスは週末に会う約束を取り付けようとし、リゼットにまめに魔電報を送った。
帝国にいた時期、リゼットの手紙にアレクシスは返事を書かなかった。
リゼットに再会した時、「箇条書きでも良いから返事が欲しかった」と叱られて、彼女を傷付けていたことを知り、反省した。
魔電報なら「箇条書き」でも違和感がないから、アレクシスにもハードルが低かった。
だがリゼットは、「ダラダラとした手紙」と評されたのが悔しかったのか、簡潔な、用件も端折り過ぎの手紙を寄越して断ってきた。
王都へ戻ってきた週末は、「疲れているだろうから休みたい」と言って断ってきた。
翌週は、「用事がある」と断ってきた。ちなみに、どんな用事かは書かれていない。
魔電報と違って安い分、配達に時間のかかる手紙は、前日になって届くこともあり、アレクシスは週末直前までヤキモキして過ごしていた。
今週末は、「副業で始めた本の翻訳で忙しい」と言って断ってきた。
──そんな仕事なら手伝ってやって、さっさと終わらせて、デートしなければ!
アレクシスは、彼女の家に押しかけることにした。
……アレクシスは、リゼットが自分のことを避けようとして、断ってきているとは思いもしなかった。
***
アレクシスは帝国から呼び寄せた巨大馬のエリサに乗って、王都郊外にあるリゼットとジェニファーの家に向かった。
巨大馬は、古代エアデーン人が、体格の大きいジーラント人用に、通常のエアデーン人が乗る馬に、星の原住生物を掛け合わせて作った品種と言われている。
エアデーン人の筋力と体格では巨大馬を乗りこなすのは難しい為、王国ではめったに見かけない。
エリサは原住生物の血が濃いようで、野生の翼竜のように、主人と定めた人間しか乗せない。つまり、基本的には、主人のアレクシスしか乗せない馬だった。
アレクシスもまた、巨大馬はスピードと体力が圧倒的に違うし、愛着のあるエリサ以外の馬には乗る気がしなかった。
アレクシスは元婚約者となってしまったリゼットを、再び婚約者とするまでは、出来れば世間には、騒がれずにいたかった。
王国で急速に顔が知られるようになったアレクシスは、人目を引かないように、変装することにした。
平民が着るような飾り気のないシャツとズボンを着て、ハンチング帽を被って目立つ王族の髪色を隠した。そして、珍しい緑色の瞳は、帝国時代に使っていたような、薄いグレーの色の入った眼鏡をかけて誤魔化した。
だがいくら目立たないよう変装しても、珍しい巨大馬に騎乗している時点で、バレてしまうなと苦笑した。
アレクシスは、リゼットにも懐いているエリサで、二人で遠駆けしたいと思っていたので、仕方がないと諦めた。
***
アレクシスは、あらかじめ転記しておいた王都の市街地図と、マシューに教えてもらった住所を頼りに、エリサを走らせた。
リゼットの家が視界に入ったとき、家の中から同居人のジェニファーが出てきた。
バタバタと戸締まりをしたジェニファーは、スカートの端を持ち上げ、こちらに向かって早歩きでやって来た。
アレクシスがエリサを減速させると、ジェニファーはアレクシスに気が付き、慌てて言った。
「あ、アレクシス殿下! おはようございます! いや、ホラ、私がやっても色々ヘマをやらかすから、リゼがやった方が、二度手間にならなくていいし、圧倒的にうまいし~」
「なんの話だ?」
「あっ、もうこんな時間! 二人のルールで家は男性立ち入り禁止だけど、私はリゼの味方だし、殿下はお立場もあるから、特別に許してあげます! 日付が変わる前には帰ってくるんで、ごゆっくり~。でも、無理させちゃダメですよ~! では、ごきげんよう~!」
と、そそくさと淑女のお辞儀をすると、再びスカートを持ち上げて、早歩きで去っていった。
どうやらジェニファーは、リゼットに何かを任せて出かけたようだが……
──リゼットに無理させるなとは、失敬な!
彼女の意味する行為は、平民はどうか知らないが、婚姻前の王国貴族の男女間には、あってはならないものだ。
そういう発想になること、それを口にすることもあり得ないし、未婚の女子が日付が変わる前まで外出するとは、奔放すぎる! ジェニファーは、リゼットの友人としてどうなのだろう……と、アレクシスは引っ掛かるものを感じ、眉根を寄せた。
アレクシスはリゼットの家の前まで来ると、エリサから降りて、家のベルを鳴らした。
だが家にいるはずのリゼットの返事はなく、家の中からは興奮するバロンの鳴き声だけが聞こえた。
アレクシスは目立つエリサを繋ぐため、彼女の手綱を持って家の裏手に回った。
家の裏にある小さな庭では、リゼットが背伸びをしながらシーツを干していた。
リゼットは平民が着るような、生成りのシンプルなブラウスに、ロング丈の茶色いフレアスカートを着て、金の髪の毛は緩く一本の大きな三つ編みにし、左肩から流していた。
洗濯紐の両端部分は高さがあるので、うまく引っかけられずにいるらしい。シーツの端を持って、ピョコピョコとジャンプしている。
アレクシスがひょいと手を伸ばして、
〈これで良いのか?〉
シーツをぐいっと洗濯紐に引っ掛けてやりながら聞いた。
「ウワアアアア! びっ、びっくりした!」
と叫んだ拍子に、後ろに踏鞴を踏んだリゼットを、アレクシスは腕を持って支え、そのまま抱き締めた。
〈リゼがずっと俺の誘いを断るから、来てやった。翻訳なら手伝ってやるぞ?〉
「いっ、いえ、結構です! 今日は溜まった家事もこなさなきゃいけないですし……」
リゼットは敬語でそう言うと、アレクシスの腕の中からスルリと抜け出し、作業に戻った。
──彼は王族。気安く接して良い方ではない──
リゼットは口を引き結び、改めて自分を戒めた。
アレクシスは、リゼットの言葉遣いに違和感を覚えながらも、ジェニファーがリゼットに任せて、逃げるように出ていった理由を知った。
〈そんなのは家政婦に任せろ〉
「そんなの雇う余裕はありません!」
リゼットは忙しく手を動かしながら、キッパリ答える。
アレクシスは小さな庭に生えている木に、エリサを繋ぎながら、
〈俺との時間を作るためだ。俺が雇う。文句は言わせない〉
と勝手に宣言した。
リゼットはチラリとアレクシスを見て、フゥとため息を吐くと、彼を無視して作業を続けた。
──横暴モードのアレクだ……。どっちにしても濡れたものは干しておかないと……。
洗濯物の皺を伸ばそうとパンパンと叩き始めたリゼットに、アレクシスは後ろから抱きついた。
〈……俺にはリゼが足りない。会いたかったのは俺だけか?〉
感情を読み取るリゼットの耳元に顔を寄せ、愛を囁くと、リゼットの耳がみるみる赤くなる。
──そうだ、俺の気持ちを読み取れ!
可愛らしい耳元に口付けて、次に色っぽく露わになっている彼女の右のうなじに口付けを落とす。そこに所有の印をつけてやりたいと軽く吸い付いたところで、リゼットが我に返ってしまった。
リゼットは、アレクシスに吸い付かれた首筋を押さえてくるりと振り返り、アレクシスから距離を置いた。
「ちょっと! 何やってるの!」
リゼットはさっきの誓いも忘れて、素の言葉遣いで叫んでしまった。
〈いや、だから……、リゼは俺のだと分かりやすくしておこうかと……〉
「もぅ、やだ! 私は誰のでもありません!」
リゼットはそうピシャリと言い放ち、作業に戻った。
アレクシスは不満そうに口を尖らせ、庭に面した窓の、少し空いたレースのカーテンの隙間から、家の中を覗こうとした。
〈ふーん、二人で住むには、小さくないか?〉
リゼットは慌てて窓の前に回った。アレクシスの視線の先に立っても、身長差から無意味だということに気付いていない。
「いやっ、覗かないで下さい! ジェニファーとの約束で、家の中は男子禁制なんです!」
〈さっきジェニファーに会ったが、特別に許すと言ってくれたぞ? 日付が変わる前には戻るからごゆっくり~、って〉
「ギャー! 何それ! てか、私がダメなんです! 家には誰もいないし、上げられませんから、今日は帰って下さい!」
奔放なジェニファーと暮らすリゼットが、どんな風に変化しているのか、アレクシスは気になって、カマをかけてみたが、リゼットは大丈夫そうだった。
だが一つ、先程から気になることがあった。
〈……さっきから、何だ? その言葉遣い……〉
アレクシスは、敬語を使うリゼットにイラッとした。リゼットはピクリとして、
「……だって殿下は……、今は聖王摂政殿下で……」
〈……気に入らない〉
アレクシスは、目をスッと細めると、リゼットの両頬を片手でグイっと挟んで凹ませた。リゼットの唇が前に突き出て、不細工な顔になっている。
「にゃ、にゃにしゅるんれしゅか~!」
リゼットは「何するんですか」と抗議したつもりだったが、尖らされた唇ではうまく発音できなかった。
アレクシスは、面白い顔になったリゼットに、真剣な顔で、
〈俺に敬語を使うな。敬称もだ〉
そう伝えて、リゼットの頬っぺたから手を離した。リゼットは、そのまま口を尖らせ、横暴なアレクシスをにらんだ。
〈そうだ。リゼは不敬なぐらいでちょうどいい〉
アレクシスはそう言って、ニヤっと笑った。
「ひどっ! 私がせっかく一生懸命、敬語を使おうとしたのにっ!」
リゼットは、二人だけの時は今まで通りに接することにしたが、家の中で二人きりになるわけにはいかなかった。
「とっ、とにかく、家はダメ! 今日は帰って!」
リゼットは名ばかり伯爵令嬢だが、貴族子女としての矜持は持ち合わせていた。
リゼットは、アレクシスを窓際から離そうと、一生懸命押してみたが、アレクシスはピクリともしなかった。
アレクシスは内心では、ジェニファーに感化されていないリゼットに安心していたが、意地悪く逆らって、からかってみることにした。
そんなアレクシスに業を煮やしたリゼットが、プリプリと怒って言った。
「もぅ! いつまでそこにいるの! 下着を干すから向こう行ってよ!」
それを聞いたアレクシスは、慌ててリゼットに背を向け、少し距離をおいた。
──伯爵令嬢が下着まで自分で洗濯して干しているなんて、聞いたことがない!
〈グレーンフィーン伯爵家には、補償金が出たはずだが?〉
「出たのかもしれないけど、私は知らないわ。私は、家賃を少なく負担する代わりに家事を引き受けて、仕送りをしてるの! 義弟たちの学費もかかるし……」
〈ハァ? そんなのまでお前が払ってるのか?〉
思わず振り返ると、ペチコートを干しながら、怖い顔を作って、にらんでくるリゼットと目があって、再び背を向けた。
「……あんな何もないグレーンフィーン伯爵家を継いでくれたのよ? 有り難いことだわ。ジャックさんの跡を継いで漁師になるつもりだったトビーも、勉強頑張って寄宿学校へ入ってくれた。これぐらいしなきゃ……」
〈……いくらだ?〉
「え?」
〈トビーの学費っていくら払ってる? あ、いい。こっちで調べる〉
「何言ってるの?」
洗濯物を干し終えたリゼットがおろおろしだした。
アレクシスは二つの国で、爵位を持つ身分である。
帝国で魔鉱脈発見の功績が評価され、名誉称号ではあるが、帝国ではルスラーン大公と呼ばれる身分である。
王国では、聖王継承権第一位を示す儀礼称号であるヴァイフォール公爵を名乗り、聖王の摂政を務めている。
帝国で得た功労金や、王国で得るアレクシスの聖務の報酬や王族費を考えれば、リゼットの義弟妹全員の学費を払うことなど、大したことではない。
〈リゼット、もう副業はよせ。仕送りもしなくていいし、学費も俺が払う。グレーンフィーンを継いでくれて有り難いのは、俺も同じだ。リゼが自由に結婚出来るようになったんだもんな〉
リゼットは驚いて目を見張る。
「そんなことが……」
〈ここには家政婦も、警備も、護衛もこちらで手配する。表からこの裏庭まで、スッと入って来ることが出来る。こんなんじゃ、リゼの下着も盗み放題じゃないか!〉
アレクシスは、シーツに隠して見えないように干してある下着類をチラッと見た。大柄なジェニファーと、小柄なリゼット、どっちがどっちのか丸分かりだ!
そう思ったことは伝えなかったのに、リゼットはハッとして、
「もうイヤ~! ホントに帰って!」
と言うと、アレクシスの背中を押し、表の玄関先に追いやろうとした。
アレクシスは不満に思ったが、エリサでここまで来て、裏庭の木に繋いでいるのに、自分だけを表玄関に追い返してどうしようとするのか、間抜けなリゼットの出方を見ようと、その弱い力に負けた振りをして、黙って従った。
玄関前まで来ると、リゼットが恥ずかしそうに言った。
「ここで待ってて。出かける準備をしてくるから……」
〈じゃあ、もう翻訳の副業はやめるんだな?〉
「いいえ、やるわ! だから図書館に行くわ」
アレクシスは態度の軟化したリゼットに喜び、彼女の頭をポンポンと叩いた。
〈手伝う。さっさと終わらせて、俺とデートだ!〉
リゼットは笑った。笑って裏庭から、家の中に入っていった。
久しぶりに見る、朗らかな笑みにアレクシスはやられた。口元を押さえ、自然と緩まる自分の口を隠す。
この笑顔を早く自分だけのものにしたかった。




