第121話 恋の終わりと始まりと
マシューは、上陸座標が「グレーンフィーン領」と聞いた時、妹に先週言われたことを、真っ先に思い出した。
……リゼット嬢は今、グレーンフィーン領にいる!
マシューは数瞬、目の前のマグノリア王女の存在を忘れてしまうほど、頭が真っ白になってしまった。
その後、アーエリオスの保護プログラムが作動し、最悪の状況からは脱したと思われた。
だが、それでも被害は免れ得ないだろうグレーンフィーン領にいる、彼女の無事が気がかりだった。
だから、突然「星の塔」に現れ、何かを「星屑」に転記し終わり、立ち上がったセイレーン・アレクシス王子に、そのことを伝えずにはいられず、思わず思念通話を送った。
〈アレクシス様! リゼット嬢は今、グレーンフィーン領に里帰り中です!〉
アレクシス王子は、驚きに目を見開き、急いで星の塔を飛び出して行った。
マシューは彼が消えていった魔電梯の扉をしばらく見つめていたが、そのまま床に視線を落とし、目を閉じた。
そうして、襲い来る心の痛みを、どうにかやり過ごそうとしていた……。
***
マシューが心ひそかに「天使」と呼ぶ令嬢に出会ったのは、今年の始めに招待された、キャスバーグ伯爵家の夜会だった。
エドガートン家は平民だが、二代続けて祝福者を神官として輩出したことで、貴族達との繋がりが深まり、マシューも貴族社会の夜会に誘われることが度々あった。
マシューは思念通話に特化型の祝福者のため、幼少の頃から話すことが苦手だった。また、内気な性格のせいもあり、未だ夜会のパートナーとなる女性はいない。
両親はそんな自分に恥をかかせないよう、妹を同伴させた。自分と同じく内気な妹にも、異性との出会いのチャンスを与えるためでもあった。
マシューは、ホールに入ってすぐ、退官した元上司のキャスバーグ前伯爵に捕まり、現在の神殿の状況などを報告させられていた。
妹ローズマリーは、思念通話を始めた自分から少し離れて、早速、「壁の花」となっており、申し訳なく思った。
ようやく元上司から解放され、妹を探している時、ふと、窓際で冴々とした冬の月をひとり見上げて、そっとため息を漏らす「天使」に出会った。
その姿は息をのむほどに美しく、儚げに見え、一瞬で心を奪われた。
──天に還っていってしまった神々のように、あの天使は月の世界に還っていってしまうのではないか……
と思い始めたとき、また別な同僚に声をかけられ、現実に呼び戻された。
その同僚との会話の隙に、マシューはもう一度、先ほど天使がいた窓際を見たが、もう彼女の姿はなかった。
──あの天使は、どこのご令嬢だろう?
マシューの遅い初恋は幻のようで、誰にも明かされることなく、彼ひとりの心のうちに留められていた。
***
それから時は過ぎ……。
二月になり、さらに冬の寒さも一段と厳しくなってきたある晩、内気なエドガートン兄妹は、王都の夜会に再び出席させられていた。
そして、今日も今日とて、マシューは上司に捕まり、ローズマリーは壁の花となっていた。
そんなマシューの視界の隅に、慌てた様子のローズマリーが映った。ローズマリーは、見知らぬ中年の夫人に声をかけ、彼女を連れて、急いでもと来た方向へ案内して行った。
マシューは、そのただならぬ様子を見て、上司に詫びて、妹のあとを追った。
ローズマリーが、その夫人に説明している視線の先には……あのいつかの夜会で見かけた「天使」がいた。
「天使」のダンスの相手の男のリードは、女性のことを考えない強引なものだということは、ダンスに疎いマシューにも分かった。「天使」は青い顔をして、辛そうに振り回されている。
マシューは、その相手の男には、どこかで見覚えがあった。
ハラハラと天使を見つめている妹ローズマリーは、隣に立っていた自分にようやく気付いた。
「あっ、お兄様! 彼女を、リゼット様を助けてあげて! さっきから足を痛めているような動きをしているの……」
と、マシューは頼まれた。
マシューは期せずして、天使の名を知った。
──リゼット嬢……。天使に相応しい、可愛らしい名だ……。
初恋の天使の危機に、マシューは震える拳を握りしめ、床に縫い付いてしまったかのような足を叱咤し、彼女を助けるために一歩踏み出そうとして……、曲が終わった。
ダンスを終えたリゼット嬢が、ローズマリーが呼んできた付添人らしき中年の夫人の元に、フラフラと戻ってきた。
もう立っていられないようで、夫人にもたれるように目を閉じて気を失い、横にいたマシューは慌てて天使の体を支えた。
あの後、夫人と妹に頼まれ、そのままリゼット嬢を抱えて、馬車まで運ぶという栄誉を与えられた。
天使の名は、リゼット・グレーンフィーン・レイマーフォルス。
最後の「星の理解者:グレーンフィーン」にして、次期グレーンフィーン女伯爵となる女性。
それゆえに、セイレーン・アレクシスとの婚約を破棄し、婿入り可能な結婚相手を探しているらしい……。
社交界にデビューした昨年は、婿入りを狙う次男以下の貴族子弟にとっては、最良物件であり、社交界の一番人気だったらしいが、現在は、王族との婚約を隠し、さらには破棄した令嬢ということで、腫れ物扱い、ひどい時は、傷物扱いされるようになっているらしい。
マシューは、度々社交界に出ておきながら、妹から聞くまで、そんな彼女の事情を、何も知らなかった。
彼女のダンスの相手をしていた男は、どこかで見かけたことがあると思い、記憶を総動員した。
自分の狭い行動範囲を思うと、神殿関係者だと当たりをつけ、夜会の主催者の上司と、神殿人事部の同期に頼み、名簿を見せてもらって、あの男の名前を割り出した。
彼の名は、ヒューイット・オブライエン。
祝福者ではないため、準神官として五年前採用され、昨今の人員整理により、二年前、国王陛下の侍従職に抜擢され、神殿を辞めていた。
リゼット嬢がセイレーン・アレクシス殿下の元婚約者であることも関係しているのかもしれない。ヒューイットが、国王陛下の伝言か何かを彼女に伝え、体調を崩したのかもしれない。
それにしても、公衆の面前で、あんなリードでダンスをするとは、か弱い淑女に対して、何たる仕打ちだろうか……。
マシューはヒューイットを許せなく思った。
これがきっかけで、母と妹は、レイマーフォルス家と親しい関係を築き、特に妹は、毎日のように、リゼット嬢のお見舞いに通い、親友になったようだった。
だが内気なマシューは、妹を通じて彼女と親しくなろうとは、考え付きもしなかった。
マシューは、体調を崩したリゼット嬢の慰めになればいいと思い、見舞いを装って、名乗らずに花を贈り始めた。
その匿名の行為が、彼女に誤解を与え、ヒューイットからではないかと、怖がらせていたと知った。
マシューは、彼女を怯えさせたことを詫び、安心して受け取ってもらえるよう、それ以降は、少しばかりの言葉を添えて、花を贈ることにした。
だが、どうしても名を告げる勇気が出せず、ただ「崇拝者」とだけ名乗った。
マシューは、彼女の足の怪我が治ってからも、彼女が引っ越してからも、花を贈り続けた。
……安息日には花屋の配達の後をつけ、花を受けとる彼女を物陰から眺める……。
花屋の配達を告げる声に、貴族とは思えない質素な服を着て、犬の鳴き声とともに、彼女は家の中から現れる。
……その顔に浮かぶのは、驚きと困惑。そして、少しはにかみ、配達人を労って、お礼とともに見せる笑顔……。
情けない話だが、それを見届けるのが、マシューのひそかな楽しみになっていた。
だが先週末、リゼット嬢に名を伏せて花を贈っていることを、妹ローズマリーに知られてしまった。
ローズマリーが彼女の家に遊びに行っていた安息日、ちょうど花屋が配達に訪れた。
花束にマシューが添えるよう頼んだカードの筆跡と、物陰から少し身を乗り出していて、さっと引っ込んだ自分の姿で気付いたらしかった。
家に帰ったローズマリーに問い詰められ、マシューはとうとうリゼット嬢に花を贈っていることを白状した。
ローズマリーは、リゼット嬢に名乗り出る勇気のない自分を見守ると告げ、彼女には、花の贈り主は伝えないと、知らなかったことにすると言ってくれた。
マシューが礼を言うと、ローズマリーは教えてくれた。
……でもリゼットは来週から夏期休暇で領地に里帰りするから、お兄様の贈り物は届かないわよ?……と。
では、いつ王都へ戻ってくる予定なのか尋ねると、ローズマリーは、少し考え込んで、言いにくそうに、教えてくれたのだった。
……お兄様。お兄様にこんなこと言うのは酷かもだけど……。
リゼットは、元婚約者のアレクシス様にもらった指輪を、今でも大事に、首からかけているのよ……
……これを聞いて思ったのは、「ああ、やはり……」ということだった。
初めて見かけた時、天使と錯覚した、月を眺めるリゼット嬢の、あの儚げな憂いを含んだ表情は、遠く離れた恋人を想って浮かべたものだったのだ……。
……そう。何となくマシューには、分かっていた。
名乗れなかったのは、自分が内気で臆病だからだが、それだけではなかった。あの「天使」リゼット嬢に、自分の気持ちを伝える気には、最初から、なれなかったのだ。
自分は本当に、ただの「崇拝者」で、彼女を応援したいだけ……。彼女が笑顔なら……、彼女が幸せならそれでいい。
先ほど、アレクシス殿下の血相が変わったことを確認できた。殿下もリゼット嬢を想っている。
──もう自分が花を贈る必要はない……。
マシューは、胸の辺りがツキツキと痛んで仕方なかったが、それでも、アレクシス王子が見せた反応に、心底ほっとしていた。
……マシューは、アレクシス殿下がリゼット嬢を「星の嵐」から救い出して、幸せにしてくれるよう「神の石」祈った。
***
マグノリアが王宮に戻ったのは、まだ夜の八時前だった。
侍女のルシエラに、
「急いで準備すれば、今日の夜会に間に合いますが、如何なさいますか?」
と聞かれて、当然断った。
マグノリアはまだ夢見心地だった。
──セイレーン・アレクシス様……。
四つ年上の従兄。
彼の高速で動く指、整った鼻梁、真剣な眼差し……。
ワイルドな髭も男らしく、ハンサムな彼には似合っていると思った。
アレクシスは突然塔に現れ、何も言わず、「神の石」を高速で操作した。
後で神官達に聞いたが、アレクシスのやっていたことは「空の『星屑』に何かを転記する作業」だったらしい。
彼が操作する「神の石」に映る映像を見ることが出来るのは、自分だけだったのに、マグノリアは「星の塔」に通わず勉強不足で、何が起こっているのかさっぱり分からなかった。
そして現れた時と同様、アレクシスは何も言わずに去っていった。
別な神官が話していたが、アレクシスは大きな角の生えた白い角翼竜で現れ、再びそれに乗り、帝国に戻るのではなく、南西の方角……「星の嵐」が来ていた方角へ飛んでいったらしい。
その事から、「星の嵐」の襲来と、彼の突然の帰国、保護プログラムの発動は、無関係ではないような気がしていた。
マグノリアは、気が付いたら、アレクシスのことばかり考えていた。……それは崇拝者との恋愛ごっことは、まるで違っていた。
マグノリアは、本物の恋に落ちてしまった自分に、気が付いていた。




