第117話 求婚
「……お帰りなさい。ずっと待ってた」
〈ああ、ただいま。やっと戻ってきた〉
リゼットは、やっと素直に言えた。
抱き締められるとやっぱり分かる。少しも変わらないアレクシスから感じる深い愛情。
離れていて不安だった心が、フワリと溶けていく感じを、もっとゆっくり味わいたくて、リゼットは瞳を閉じた。
するとリゼットを抱き締めていた手の力が、ふっと緩まった。
顎に手がかけられ、上を向かせられる……と、リゼットは慌てて目を開き、腕を目一杯突っ張って、彼から距離を置いた。
「キスはダメ!」
〈なんでだ!〉
アレクシスが不満そうに、眉根を寄せる。
──そんないじけた子犬のような顔をしたってダメよ!
貴族子女として教育を受けたリゼットの理性が、揺らぐことはなかった。
「私は、もう婚約者じゃないもの!」
〈そんなの俺には関係ない! 俺にはリゼが足りない!〉
「そんなこと言われても、ダメ!」
アレクシスは、両手を伸ばしてキスを拒否するリゼットの前に、スッと跪いた。
〈……連絡せず、不安にさせたことは謝る。もう帝国での仕事は、ほぼ終わった。あとは帝国の塔を起動させるだけだ。十八才の誕生日には間に合わなかったが、もう、……もう待てない! 婚約が破棄されたのなら、もう一度婚約しよう! 俺と結婚してほしい!〉
思念通話に乗せられたアレクシスの深い愛情は、ストレートで真摯な求婚の言葉となって、リゼットに伝わった。
リゼットはこの離れて過ごしていた期間、ずっとアレクシスの無事を願い、ずっと彼が再び自分を迎えに来てくれる日を待ち、夢みていた。
……手紙を一通も寄越さない、伯父に婚約破棄されても、何も反論してこない……、そんなアレクシスの愛が信じられなくて、嘆いた日もあった。
一時は、アレクシスのことを諦めようとさえしたのに、今こうして、アレクシスの翡翠色の美しい瞳が、リゼットの愛を希っている……。
リゼットは言葉に出来ない程の喜びと、幸せを感じた。
だが、リゼットの中にいる、もう一人の「理性的なリゼット」が警告する。
──簡単にうなずいてはダメよ! 伯父様も反対しているし、星の嵐に遭ったばかりの今は、それどころではないはず!──
そうだ。ついさっき、自分でも、そう言っていたはずだ……。
だが、アレクシスの熱い瞳に見据えられたリゼットの心は、グラグラと揺れた。
そんな彼女の逡巡する様子を見て、アレクシスはリゼットを見つめたまま、小さく囁いた。
「……もうずっと、リゼと一緒にいたいんだ」
これを聞いたリゼットの顔が、くしゃりと歪んだ。
──こんな時に声を使うなんて、ズルい! 反則だわ……。
アレクシスの低く、リゼットの体に響く声は、魔法のようで、リゼットの中から、素直な気持ちが溢れ出してきてしまう……。
──私も……アレクのそばに、ずっと……、ずっといさせて欲しい……。
そう言おうと、リゼットが口を開こうとした時……、
「ダメだ!!」
と、叫ぶ声がした。
ビクリと体が震えて、アレクシスがリゼットにかけた魔法が、一瞬で解けた。
「トビー!?」
現実に戻ったリゼットが振り返ると、そこには、いつものふて腐れた顔をしたトビーが立っていた。
トビーには二人の会話内容は分からなかったが、アレクシスが跪いている状況からして、彼がリゼットにプロポーズしていることは想像出来た。
トビーは続けて、アレクシスに向かって言った。
「殿下は……、殿下のことは、こんな田舎にも伝わっていた。ここらでも『亡命王子』って呼ばれていた。俺にはよくわかんねぇけど、タルールや帝国に亡命しなきゃヤバイぐらいなんだろ? 命を狙われてるってことなんだろ?」
「……え、そうなの?」
リゼットは、セイレーン・アレクシスが次代の「ハイラーレーン」にならないよう、つまり継承権争いを避けるために、亡命するように王国に戻らないから、「亡命王子」と呼ばれていると思っていた。
──まさか、命を狙われているなんて……、本当に?
リゼットの前に跪いていたアレクシスは、無言で立ち上がった。そのまま、トビーに視線を移し、表情を消したままゆらりとトビーに近付く……。
その雰囲気にリゼットは嫌な予感がして、アレクシスの前に立ち塞がった。
「ダメよ、アレクシス。トビーに当たらないで!」
義弟を庇うリゼットに、アレクシスはフッと笑って立ち止まった。
──リゼットには何でもお見通しだ。
今自分は、「星の支配者:ハイラーレーン」の力を使って、トビーのことを暗示支配しようとしなかったか?
ここでトビーを暗示支配したところで、「亡命王子」と呼ばれているらしい自分の立場は、変わっていないのに……。
「分かった。俺が『亡命王子』なんてモノじゃなければいいんだな?」
魔王が……、魔王がそこにいた……。
トビーの背筋にひやりと冷気が走った。
アレクシスは凄艶な笑みを浮かべた。その瞳には、得体の知れない力と決意が宿っている……。
リゼットはアレクシスが何か、とんでもないモノになってしまいそうで、怖くなった。
「私は、私は! アレクシスが……、アレクシスであればいい!」
アレクシスは一瞬、唖然とした。言った本人も驚いて、呆然としている。
しばらく、お互いの顔を見つめあっていたが、リゼットは自分の口を突いて出た言葉の意味をだんだんと自覚し、ジワジワと顔が赤らみ、泣きそうになっていく。
「……あまり遠くに行ってしまわないで」
それだけ言うと、リゼットは逃げるように食事室を出て、階段をかけ上がっていった。
***
トビーはアレクシスの戸惑っている様子を見て、ムシャクシャした気分になった。
──婚約破棄されても、ずっとリゼットをほったらかして、レイマーフォルスの大旦那を怒らせていたくせに!
アレクシスが出ていったリゼットのことを追いかけもせず、だが結婚を全く諦めていない様子なのが腹立たしかった。
自分は、リゼットのことを姉と思ったことは一度もない。
かといって、レイマーフォルスの大旦那の言うように、リゼットと婚約したいとか、そんな風に思ったこともない。
──では、だったらなぜ、こんなにイライラさせられるのだろう!
トビーは、考え事をしているアレクシスを睨むと、「フンッ」と言って、食事室を出ていった。
***
トビーがいなくなった食事室で、アレクシスは一人、リゼットの言葉をかみしめていた。
──私は、アレクシスがアレクシスであればいい!──
照れ屋であまり浮わついたことを言ってくれないリゼットの強烈な告白? に喜びを感じ、つい緩んでしまう口元を、手で隠した。
リゼットには「ありのままの自分」を好きになって欲しいと、ずっと願っていた。願いは叶い、リゼットの素直な気持ちを受け取り、嬉しかった。
が、同時に、そこはかとない危機感を覚えた。
自分が王国で生きていくためには、「ただのアレクシス」ではいられない現実に、直面している。
ウィリバートが言っていたように、ハイラーレーン・エレオノーラが不在の今、「神の石」を操作出来るのは、自分をおいて他にはいないようだ。
今の自分は、逃げるように王国を去った未成年の「亡命王子」などではない。
もう成年をとっくに迎えた「セイレーン・アレクシス」として、いや、いずれは「ハイラーレーン・アレクシス」として、表舞台に立ち、神々の加護の力で王国を守っていかなければならない立場にある。
そして、アレクシスがリゼットに望むのは、自分の伴侶として、自分のそばに在ること。すなわち、自分同様に、注目を集める立場になることを意味する。
リゼットは、いざというときは、こちらが驚く程の強さを発揮するが、その性質は弱い。精神的にも、肉体的にも……。
リゼットを、自分の妻とすることが、彼女にどれだけの負担を与えるのか……。
ましてリゼットは、他人の負の感情で、倒れてしまう「祝福の副作用」を抱えてしまっている。
それが分かっていてなお、アレクシスはリゼットの手を離してやるつもりは、全くなかった。
……この時のアレクシスは、自分の暗示支配が効かないリゼットの承諾さえ得られたら、二人の結婚に対する周囲の反対などは、どうにでも出来る問題だと思っていた……。




