閑話 執事ミスマルの憂鬱
それは私がアルテン侯爵様からアリスティアお嬢様が住む為の屋敷の執事を任された事が切っ掛けでした。
「美しい」
それは正しく一目惚れでした。私の視線を釘付けにした女性は、同じく私と共に屋敷でメイド長を任されたリアと言う名の腰まで伸ばされた綺麗な翠の髪を持つ女性でした。
ドレスを着て社交界にでも出れば男性が放っておかない程の美女。
けれども今は地味なメイド服を着ている為その美しさを引き出せ切れていないのです。まるでわざとそうしているかの様に。
私が想像を膨らませてしまうのは仕方のない事です。彼女は女神のように美しいのだから。
同じ職場で屋敷を取り纏める同じ様な立場故に私はリアさんを積極的にアプローチしました。
ですが一年経っても一向に芽が咲きません。彼女と話した話題で盛り上がるのは仕事の話ばかり。そう、彼女は仕事人間だったのです。
プロとしての意識が高く、それは尊敬するのですが彼女にはプライベートがありません。仕事、仕事、仕事です。
確かに領内から集められた令嬢たちを預かり使用人としての教育を任されていると言う大役が有るのですが自分にももう少し気を遣って貰いたいものです。
変化があったのはお嬢様が訪れてからです。
目に見えてリアさんと令嬢たちの様子がおかしいのです。
その理由は明白でした。何故ならお嬢様と一緒に屋敷に来た人間。リョウと名乗る少年であやしげな存在がそこにはあったのです。
何故あやしいか。それは彼の雰囲気と従者たちの存在です。
お嬢様の話によると彼は貴族ではありません。そして大商会の者でもないようなのです。そんな彼や従者が身につけている服はとてもではないですが平民が買えるような物ではないのです。
ならば盗んだ?
それはないでしょうね。
なぜならまるで彼らに合わせたかの様な仕上がりで、まずオーダーメイドで頼んだと言われた方が納得出来ます。
それに聞くところによるとオークの集団の手からお嬢様を救い出した、オークキングという災害級の魔物を討伐した。とまるで英雄の如き働きをしたと言うではないですか。
彼の雰囲気は明らかに少年のそれではありません。私も多少なりと武術を嗜んでおり心得があります。それでも正直どこに打ち込もうと、不意を突こうと攻撃を当てられるビジョンが浮かんで来ないのです。そしてそれは従者の者達も同様です。
私の中で得体の知れないなにか、そんな思いが駆け巡ったのです。
その翌日に彼は信じられない事を口にします。
リュードのダンジョンを1日で攻略する?
彼は何を言っているのでしょうか?
確かに彼は強い、それは分かります。ですがそれはあり得ない。飛躍しすぎです。
そもそもダンジョンとは強さだけでは攻略など出来ないのですから。それで出来ると言うならアレックス殿下でも可能なのです。そして強さなら彼よりアレックス殿下の方が強いと断言出来ます。私は遠目からしか見た事がありませんがあの方の覇気は彼とは比べ物になりませんでしたから。
確かにある程度の実力者には違いありませんがアリスティアお嬢様を任せられるかと言えば無理でしょう。侯爵様もお許しになられない筈です。なによりこのままではアリスティアお嬢様の身が危険に晒されます。
彼は何故かお嬢様をダンジョンに連れて行こうとしているのですから。
お嬢様には戦闘能力などありません。ましてや貴族の令嬢、肉体的な体力も一般的で冒険者の真似事など出来はしないのです。そんなお嬢様をわざわざダンジョンに?
私が尋ねると彼は平然とした様子で言い返します。当たり前の事を言っているだけだ、とでも言いたげな様子に私も少し苛立ちを感じます。
やはり彼の事は信じられません。お嬢様の為にも屋敷から出て行って貰いましょう。それが侯爵様の為にもなります。
私はきつい口調で彼を叱責し即刻屋敷から出ていく様に伝えました。
ですがそこで思いもよらぬ反撃を食らう事になるのです。
先ず彼の従者たちからの殺気、これだけで私は死を覚悟した程です。殺気で体が震え上がりましたよ。
そしてシェリーさんからも殺気を飛ばされます。彼女は言っては何ですがそこそこ、という使い手だったと思うのですがいつの間にこれ程の殺気を放てる様になったのでしょうか。従者の方達程ではありませんが一流であるのは間違いないようです。
そして何よりも、私が想いを寄せるリアさんに強く叱責されたのが一番のショックでした。お嬢様は彼を好いているようなので反発はあると思っていましたがまさか仕事一筋のリアさんが彼を弁護するなど。彼の危険性に気付かない筈が無いのですが。
私はリアさんとお嬢様、屋敷の使用人を務める令嬢たちにまで叱責され針のむしろです。それからは令嬢たちは口を聞いてくれませんし参ったものでした。
ですがまだまだこんな物ではありません。
彼がダンジョンから持ち帰った肉が食卓に並びました。そして彼はお嬢様に命じて私達使用人まで一緒の席に着かせたのです。
使用人が主人と席を共にするなどありえません!
私はこれまで感じた事の無い憤りを覚えました。それは執事という仕事に対するプライドでした。
とは言えここで叫んでもお嬢様は耳を傾けてくれないでしょう。既にお嬢様たちは彼を信者の如く信じ切っているのです。
私は気分を変え冷静になろうと目の前の料理を見やります。
確か、ブラックドラゴンの肉でしたか?
はっ!ありえませんね!
正しく失笑物です。
確かにドラゴンと言う種族は存在します。ですがブラックドラゴンなどは伝説上の生き物であり現実には存在しません。
ましてやドラゴンを討伐するなどアレックス殿下ですら不可能でしょう。ドラゴンとはそれ程の脅威なのですから。
では目の前の肉は何の肉なのでしょうか。上肉と言った所ですか、それなりにいい物のようですが。どちらにしろ私達を騙す為に仕入れた物なのは間違いありません。
私はため息をつきながらカットされた肉を一口、口にします。
「!」
これは!?
「・・・美味い」
私は一口、また一口と無心になって目の前の肉を食べ尽くす勢いで口にします。
止まりません。
一口が止まらなくなったのです。
う、美味すぎるっ!
まさかこれ程の美食がこの世に在ろうとは。
ドラゴンの肉というのは信じ難いですがこの肉が最高なのは理解しました。
ええ、認めましょう。この肉は極上品です。
あっという間に目の前の皿に盛られた肉料理の数々は私の胃袋に消えてしまった。
ああ!足りない!
全く足りないぞ!
もっと! もっとだ!
血走った眼で周りを見渡すがそこにあるのは令嬢たちが食べきってしまった空の皿が並ぶだけだ。
普段は小食の彼女達もこの肉の前では完食した様子だ。
くっ!もう無いと言うのか!そんなバカな!
そんな思いが頭を過ぎると。
「失礼します。ミスマルさん、どうぞ旦那様からです。遠慮なくお召し上がり下さい」
そこには妖精の様に美しく私にとっては女神のような慈悲深さをもたらす女性が声をかけてくれたのです。
「美しい」
思わず声に出してしまい私は顔を赤くしてしまう。
私にはリアさんがいるのに、これではリアさんに対する裏切りではないか。ですが男ならばこの反応も仕方ない筈です。女神のような慈愛に満ち、妖精のような美貌を持つ女性でまるで現実離れしたかのような美しさを持つのです。
彼の従者で名をフィア様と言いましたか。彼女はエルフ族で寿命が長く男女共に美しい容姿が多い種族です。その中でも彼女は別格の美しさだ。私が動揺してしまうのも無理はない、そう自分に言い聞かせる。
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
私の失言を軽く流して上品に礼をして自分の席に下がっていくフィア様。
その動きを何も言えないまま私は静かに眺めていた。
フー。
一息つく。
これは彼からの賄賂という訳ですか。まあいいでしょう。彼の事はともかくフィア様は素晴らしい女性のようですね。
私は気分を良くして肉に食らいついたのです。
その後もやはりリアさんの様子が変なのです。
これは話を聞く必要がありそうです。
「リアさん、何か悩み事でもありませんか?」
私はリアさんをお茶に誘う事で2人の時間を作る事にした。これで誰の邪魔も入らずに話が出来る筈です。
「悩み、ですか。いえ、大丈夫ですよ」
困ったような表情で目をそらすリアさん。
珍しい。彼女はきちんと向かい合って話をする人だ。このような態度を取る事は無かったのだ。
やはり何か悩みがあるんですね。
「問題ありません、私が相談に乗りますよ。何でも言ってみて下さい」
「・・・」
無言で曖昧に微笑むリアさんにかまかけをしてみると。
「もしかして彼の事ですか」
ぴくっ
やはり彼が原因ですか。確かにドラゴン肉(仮)は評価しますし、フィア様は素晴らしい女性ですが私は彼を認める気は断じてありません。何しろ彼はアリスティアお嬢様にメイド服を着せるような男ですから。まぁ服の趣味は悪くはありませんが。
ですが私のリアさんを悩ませるような奴を相手に私が黙っている訳にもいきません。
「安心して下さい。私が彼に一言きつく言って差し上げましょう。そうすれば彼も身の程を弁えるでしょう」
「いけませんっ!絶対にやめて下さい!」
「うお、ど、どうしたのですか」
リアさんが急にテーブルに乗り出して大きな声を上げたので私も驚いた声を上げてしまった。それにしても先程から彼女らしくも無い。
「い、いえ。何も無いんです、ですから絶対に何もしないで下さい。ミスマルさんがわざわざ気を遣う必要はありません」
「そんな、それこそ私に気を遣わなくて結構ですよ。私は屋敷の執事なのですからこれも仕事の内ですよ」
「でしたら私にとってもこれは乗り越えなければならない壁のような物なのです。この壁を超えた時、私はもう一歩先に進めるのです」
な、何という向上心なのでしょう。彼女は今明らかに苦しんでいる。その苦しみを与えている相手は明らかだ。普通なら誰かに手を差し伸べて貰いたい筈です。それを自分の手で、自分の力で乗り越えようとしているのです。
これだけの覚悟を見せられたら私も黙って頷くしかありません。
ただ一言。
「リアさんなら出来る筈です。私は疑っておりません、頑張って下さい」
陳腐な言葉ですがエールを送ったのです。
そして彼女が乗り越えた壁の先にあったのは。
「今日の料理は誰が作ったんだ」
「私ですご主人様。口に合いませんでしたか?」
「いや、美味いぞ。褒めてやるからこっちに来い」
「はい、ご主人様っ!」
お嬢様とお揃いのメイド服に身を包み、首輪を付けたリアさんの姿だった。
彼女は彼の前で屈みまるで犬のようにリードを付けられているのに嬉しそうに頭を撫でられている。
彼がこっちを一目見てリアさんに声をかける。
「リアは俺のなんだ?」
「私はご主人様のメイドです!」
「良い子だ、よく言えたな」
「はぅー、ご主人様ぁ」
一層気持ち良さそうに頭を撫でられて声を上げる私の想い人であるリアさん。
まさか壁を越えると言うのが彼のメイドになる事だなんて思いもしなかった。私は自分の浅はかさを呪わずにはいられない。
そして彼が手を出したのはリアさんだけに留まらず屋敷の令嬢全員が彼のメイドとして囲われてしまっている。
どうにかして彼を倒してリアさん達を救い出さなければ。
幸せそうな表情で言ったリアさんを見て、私は決心したのです。必ず倒す、と。
「はぅー、リアはご主人様が大好きですぅ!」




