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堀河は文の束を取り出し、震える指でゆっくりとそれをめくり始めた。
西行は冊子を手に取って言った。
「これは?」
堀河は西行の文を探しながら答えた。
「それは、わたくしの家集と思って編んだものじゃ。若い頃からずっと詠み溜めて来た歌の中から、気に入りのものや思い出深いものを撰んでの。京を離れてこの山荘に庵を定めた頃に、今までのことを振り返りながらまとめておいた。それからも、良い歌が詠めたと思った時には、いろいろ付け足したりしてな。だが、近頃は久しくこの箱を開けることもなかった。もう歳じゃからの。良い歌が思い浮かんでも、墨をすって書きつけるのが億劫で」
堀河のおぼつかない指先は、なかなか西行からの文を見つけ出せない。
西行はその間、堀河の家集をめくっていた。
そして、ふと一首の歌に目を止めた。
露繁きのべに傚ひてきりぎりす我が手枕の下になくなり
(夜露に濡れた秋の野辺と間違えたのか、きりぎりすよ。わたくしのぐっしょりと涙に濡れた手枕の下で鳴いているなんて)
西行はその歌を小声で口ずさみ、堀河へ目を投げかけて言った。
「良い歌ですね」
堀河は少し微笑んで言った。
「もう、ずっと前に詠んだ歌じゃ。きりぎりすには、いろいろと思い出があっての。秋になって、きりぎりすが鳴くのを聞くと、つい昔が思われて涙ぐんでしまう」
「あの人を、思い出して……ですか?」
西行は澄んだ目で堀河を見た。
その瞳の色は、桜子と呼ばれた少年の頃と同じだった。
堀河は老いて皺の寄った頬を少し赤らめて言った。
「そなたは、あのことを知っていたのじゃったの。あの男のことを知っているのは、今ではもうわたくしとそなただけか」
「そうでしょうな。あれからもう四十年以上も経つのですから。でも、私はあの人の顔を覚えていないのですよ。私があの人を見たのは、堀河様の局を覗いた時と、あの暗い最期の夜だけですからね」
「そうか。今もあの男の顔を覚えているのは、わたくしただ一人……」




