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鬼の手の神官が総溺愛されるまで  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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第5章 呼び声【3】

 イテルがデラとエイカーとともに聖堂を訪れると、最前列の座席に男性ふたりと女性ひとりの姿があった。レイシーは教壇に立ち、手を組んでいる。すでに祈祷は始まっているようだ。

 イテルは邪魔をしないしよう足音を潜めながら、最後列の座席に着いた。そうしていると、レイシーが教壇に置かれた本を開く。そして、イテルにはわからない言葉を紡ぎ始めた。まるで歌っているようで、イテルの意識はあっという間に引き込まれた。

 聖堂内の空気が冷たくなるような感覚になった。少し肌寒くなる、冬の始まりのような冷たさ。その中で、レイシーの声だけが響いている。まるで現実世界が遠退いていくようだった。

(ミィ、これは何?)

『神に祈りを捧げているのだよ。これはハーグル言語といって、神に通ずる言葉だ』

 イテルは耳を澄ませる。ハーグル言語というものが、普段、自分たちの使っている言葉とはまったく違うことがよくわかった。

『神官が聖書を読み上げているあいだに神に祈りを捧げるのだ。祈りはなんだっていい。自分の夢や願望でもいい。誰かの無事や、病気の快復でもな』

 最前列に腰掛ける三人は、きつく手を結び、真剣に祈りを捧げているように見えた。普段は人の寄り付かない聖堂は、まるで目に見えない何かに祝福されているような、そんな空気に満ち溢れているような気がした。

『この国を加護するハーグレイヴズ神に祈りを捧げる。神官がその橋渡しをするのだ。特別な祈りなのだよ』

(……レイシー様……かっこいい……)

 教壇に立つレイシーは、普段の温厚な笑みを消し、別の人に変わってしまったのではないかと思うほど、まったく違う表情を浮かべていた。

(でも、普段は誰も訪れないのはどうして?)

『ただで祈祷できるわけではないからな。それなりのお金がかかるのだよ』

(そうなんだ……)

『だから民は街の教会で日常的に祈りを捧げる者が多い。ここは特別な場所なのだよ』

 イテルは街の教会には行ったことがないが、ここが特別な場所であるということはわかる。まるで別世界に迷い込んでしまったような感覚だ。

『お前の祈祷を聞ける日が楽しみだよ』

 そこでイテルは、いずれ自分も神官としてあの教壇に立つのだとようやく気が付いた。この不思議な言語を習得し、民の祈りを神に届けるのだ。

『そろそろ祈祷が終わる。出よう』

 ミィがすくっと立ち上がるので、イテルは首を傾げた。

(最後まで聞いていかないの?)

『いまはお前のことを知らない民が多い。妙な噂を流されても困るからな』

 見つかる前に出る、ということだ。神殿に新しい神官見習いがいることが民のあいだでどれほど知れ渡っているかはわからないが、確かに妙な噂を流されては、レイシーにも迷惑がかかるかもしれない。見つからないに越したことはないようだ。



 聖堂を出ると、イテルはまた庭園に戻った。ここは神官以外、立ち入り禁止。あの民たちに見つからない絶対的な隠れ場所だ。

「素敵な祈祷でしたね」デラが頬に手を当てる。「レイシー様の祈祷は何度、聞いても惚れ惚れしてしまいます」

 それはイテルも同じだった。祈祷する姿を初めて見たということもあるが、引き込まれる魅力のようなものがあった。普段の温厚な表情とはまったく違うレイシーの雰囲気には、特別な祈りという言葉がよく似合う。

「いずれイテル様も練習が始まるっスよ」と、エイカー。「イテル様の祈祷を聞ける日が楽しみっス」

 いまのイテルは、発声練習だけで精一杯だ。いずれあのよく聞き取れない不思議な言葉を自分の口で発する日が来るとは、いまはまだ思えなかった。

(僕もちゃんと読めるようになるかな)

『なるさ。お前はまだ六歳。これからたくさん練習すれば、上手に読めるようになる』

(うん……)

『確かに、お前にはまだできないことが多くある。だが、時間はいくらでもある。これからゆっくりできるようになっていけばいい』

 イテルにはまだ学ぶべきことが多い。フロントから少しずつ習っているが、それもほんの一部に過ぎない。これから、多くの知識を身に付ける必要があるだろう。

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