第4章 神と鬼【7】
「イテルのこと、どう思った?」
鏡台の前で髪にブラシを通すフロルに、鏡の中で険しい表情を浮かべるアクレシオが問いかけた。フロルは一旦、手を止め、夫を振り返る。初めて会った子どもの悲運を嘆いているのだ。
「とても重たいものを感じたわ。あの子の魔力は心地が良いのに、何か……肩に圧し掛かるような……息苦しくなるもの」
レイシーが保護し、神官見習いとして神殿で暮らすようになった幼い子。六年間も家の奥に閉じ込められ、陽の光を浴びることもなく、まともな食事を与えられず、ただ勉強だけをしていた日々を思うと、心の中に鉛が入ったような気分になる。
「けれど、何も視えなかった」
人間の内側に蓋がかかることはよくある。だがフロルは、僅かに漏れ出すものを感じ取ることができる。どんな人間でも大抵、ほんの少しでも滲み出るものがある。イテルの中にはまるで、抜け穴のない大きな蓋がかけられているようだった。
「レイシーも同じように言っていた。千里眼でも何も視えないと。……まるで、鬼の手を持ちながら、鬼の因子を持たないように」
三百年に一度の鬼の子。アクレシオは、どこかに手掛かりはないかと書籍室の本を読み漁ったが、これといって当てになる情報はなかった。
「前例がないというだけで、可能性としては充分にあり得るわ。イテルは左手に癒しの手を有している。その不均等さが、あの子を不安定にしているのかもしれないわ」
通常、鬼の手を宿している異能者は、鬼の因子と呼ばれるものを有し、何某かのきっかけで因子が覚醒する。覚醒しなかった事例もいくつかあるが、鬼の手とは別の異能を持って生まれた者の情報はどこにもなかった。
「あのままあの家で放置されたらどうなっていたか……」
イテルの育って来た環境は、鬼の因子が覚醒する条件として最適なものだった。人間が暮らす環境としては劣悪であるとしか言いようがないのだが。
「なぜハーグレイヴズ神はもっと早くレイシーに神託を授けなかったのかしら……。まるで、あの子が発見されることに、何か不都合があるような……」
イテルを発見したのは、レイシーに神託が降りたためであった。だが、イテルは六年間も秘匿され、発見されることがなかった。本来であれば、イテルが生まれた時点で神託が降りていてもおかしくない。まるでイテルの存在を隠すように、ハーグレイヴズ神は沈黙を守っていたのだ。
「あのままでは十六歳になるのを待たずに鬼神化していた可能性もある。そうなれば、苦しむことになるのはイテルだ」
鬼の子の覚醒は、この公国において危険な存在となる。だからこそ、ハーグレイヴズ神は公国の神官に神託を授けるのだ。公国の危機を防ぐために神官がいる。その神官に神託が降りなければ、公国の平和が脅かされる可能性もあるのだ。
残念ながら、アクレシオもフロルも、鬼神化した鬼の子がどれほどの力を持つのかは知らない。鬼の子が公国にとってどれほどの脅威なのかは計り知れないのだ。
鬼の子の鬼神化を防ぐためには「愛」が必要であるとされている。愛情を充分に注がれた鬼の子は、鬼神化する確率が下がるのだ。
「愛を知らずに育った子が愛を実感するには時間がかかるでしょうね」
「私たちが愛してやろう。我が子のようにな」
「ええ。きっと笑顔を取り戻せば、この子の良いお兄様になってくれるわ」
お腹を優しくさする。神から授かった新しい命。イテルもそれに等しい愛される価値を持っている。あとは、イテルにそれが浸透するときを待たなければならないのだ。




