第4章 神と鬼【4】
イテルが手に取った花はどれも瑞々しい。花は愛情を込めて育てると綺麗に咲く、と何かの教本に書かれていた。この花たちは、レイシーの愛情を存分に受けているのだろう。
レイシーは、この神殿での仕事があまりなく、自分のことをこの庭園専属の庭師のようなものだと言っていた。それはいつかイテルの手に渡る仕事なのかもしれない。これまで、花に触れたことなどなかった。そもそも身近に花がなかった。もしかしたら、この右手で触れれば花は枯れてしまうかもしれない。それは花にとって不幸なことであろう。
「さあ、花の量はこれで充分でしょう」
デラの声でイテルは顔を上げる。デラに預けた花は、彼女の手から溢れんばかりの量になっていた。花束など作ったことがなく、どれくらい摘めばいいかわからなかった。それでも、デラならきっと綺麗な花束を作ってくれることだろう。
「きっと奥方様もお喜びになりますよ」
イテルは小さく頷いた。まだ会ったのことない奥方様。突然に現れた神官見習いの花束で本当に喜んでもらえるか。イテルにはその自信がなかった。だが、デラが嘘や適当なことを言っているはずがない。きっと奥方様は喜んでくれるのだろう。
「花束の用意はできたかい」
ゆったりとした声とともにレイシーが三人のもとに歩み寄って来た。
「あとは束ねるだけです」
デラの持つ花を見て、レイシーは満足そうに頷く。エイカーに教えてもらった通り、藤色の花をふんだんに詰め込んだ。レイシーの表情を見るに、どうやら綺麗な花束を作れそうだ。
「緊張しているね」
レイシーが微笑む。イテルの緊張はすでに高みへ昇っており、口から心臓が飛び出しそう、というのはこのことを言うのか、とそんなことを考えていた。もしかしたら比喩でもなんでもないのかもしれない。
「無理もない。公爵閣下はこの国で最高位の身分だからね」
表情を硬くしたまま頷くイテルに、レイシーは小さくくすりと笑う。それから、優しい手付きでイテルの頭を撫でた。
「心配は要らないよ。新しい家族に会うと思えばいいんだ。公爵閣下も奥方様も、イテルと会えたらお喜びになるはずだよ」
まだ公爵閣下と奥方様がどんな人かをイテルは知らない。自分のような特質な異能を持つ自分を歓迎してくれるか。それはまだわからない。レイシーはイテルの能力のことをすでに報告しているらしいが、それについてどう思っているかをイテルは聞いていない。怖くて聞けないのだ。
そして、まず声が出ない。イテルは自分で挨拶をすることができない。それが本当に挨拶になるか。イテルはわからなかった。
イテルがそれをミィに伝え、ミィがレイシーに伝える。そうだね、と頷いたレイシーは、相変わらず優しく微笑んでいる。
「大丈夫。それはもう伝えてあるよ。不敬に問われるようなことはないから、安心していい」
「は、はい……」
それでも、自分の名前すら言えないのは失礼なのでは、とイテルは思う。朝の発声練習でなんとか声を出せるようにはなった。返事くらいはできるが、まだ自分の名前を言うことができない。それでも、レイシーが大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫なのだろう。
本館には裏口から入るようだった。レイシーがイテルを連れ立って行ったのは、馬車でここへ来る際に見た正門ではない。神殿から奥へ進んだ門は小さく、配備されている兵もふたりだけ。ふたりの兵は、レイシーを見ると敬礼をした。それからイテルにも視線を遣ったが、敬礼をしたまま彼らを見送った。
「ここが本館だよ。宮廷と呼ばれているけれど、実際は公爵閣下と奥方様のお住まいだ。最高位の身分の方々のお住まいだから、便宜上“宮廷”と呼んでいるんだ」
レイシーは躊躇いなく廊下を進んで行く。裏口から入ったとは言え、使用人が多く行き交っている。使用人たちはレイシーを見ると、恭しく辞儀をする。それだけレイシーの身分が高いのだ。そして、その視線はやはりイテルに注がれる。その視線に不快感はないが、スタイナーが言う通り、物珍しく思っているのだ。
イテルは思わずレイシーの袖にしがみついた。イテルの不安を感じ取ったレイシーは、優しく微笑んでイテルの頭を撫でた。
「大丈夫。みんな、きみが可愛くて目を奪われているだけさ。……そ、そんな顔で見ないでくれ」
イテルは自分がどんな顔をしていたかわからないが、心の中では少し呆れていた。そんなふうに励まされても、よく意味がわからないだけである。
『本館の者はお前を初めてみる。珍しく思っているだけだ』
足元を歩くミィが言う。そう言われたほうが納得できるというものである。




