第4章 神と鬼【1】
イテルの鑑定結果を書き出した紙を前に、レイシーは溜め息を落とした。もう何日もこうしている。どうしてもわからないことがあった。
鬼の手と癒しの手を同時に持つ特質な子ども。だが、イテルにはそれ以上の何かが隠されている。
この千里眼も、年齢を重ねて役立たずになってしまったのだろうか。まだ老眼の始まるような歳でもないが、そうなってしまったような気分だ。
『今日も難しい顔をしている』
器用に自分で窓を開け、ミィがレイシーの執務室に入って来る。猫というのは自由な生き物だ。あっちへ行ったりこっちへ来たりしても誰も文句を言わない。レイシーが神殿内でうろうろしているところを誰かが見たら……きっと何も言わないだろう。レイシーが暇を持て余した神官だということは、神殿に仕える者なら誰でも知っている。レイシーも暇したくて暇しているわけではないのだ。
『イテルのことは何かわかったか』
「何も。私の目に何も映らない。イテルの本質が見抜けないんだ」
この目に見抜けないものなどなかった。なかったはずだ。それも疑いたくなるほど、まるで靄がかかったように、イテルの中の何もかもが視えない。鑑定でわかったことは、右手が鬼の手、左手が癒しの手。ただそれだけだ。
「イテルの中の鬼の因子……。まるで、鬼の手を持ちながら、鬼の因子を持たないように」
『そんなことがあり得るのか?』
「あり得ないとは言えない。前例がない、というだけだ。鬼の手を持って生まれた子どもは、その大半が鬼神化している」
実に悲惨な運命だ。異能という特異な体質だけでなく、鬼の因子が覚醒し鬼神となり、人間に戻れなくなる運命も持って生まれた子ども。ただ、それも歴史に残されているだけだ。鬼の子が生まれるのは三百年に一度。それでもこれだけ資料が残されているということは、鬼の子がその運命を辿ることが確定している証拠のようにも思える。とは言え、鬼神化しなかった子どものことを、わざわざ資料として残す必要もないということだろう。歴史書に残されているのは「鬼の子の大半は鬼神化する」という頼りない記述のみだ。
「鬼神化しなかった子どもも、鬼の因子は持っていた。きみはどう思う」
猫に意見を求めるのもどうかと思うが、レイシーはミィを友人のように思っている。こうして言葉を交わせるのだから、人間だろうが猫だろうが関係ないのだ。
『イテルの癒しの手が鬼の因子を消した可能性はあるだろうな』
「ふむ……」
『鬼の手と癒しの手を同時に持つ子どもなんて初めて聞く。だが、鬼の因子がまったくないとは言えない。鬼の手を持つ以上はな』
イテルがこのことを知れば、きっと傷付くだろう。フロントの授業も、異能の科目は異能について触れるだけで、どんな異能があるかという点については除くよう指示を出している。フロントはもちろん、鬼の手を持つ子どもが鬼の因子を持つことも、鬼の因子が覚醒すれば鬼神化することも知っている。それをイテルに教えることがイテルのためにならないことも。
『ハーグレイヴズ神の加護がどうにかしてくれるんじゃないか?』
のん気な声で言いつつ顔を洗うミィに、レイシーはまた重い溜め息を落とした。
「相変わらず適当だな」
『私はただの猫だ。そういうのは神官の役目だろう』
レイシーは何度目かわからない溜め息をつく。溜め息をつくと幸せが逃げる。そんな逸話がどこかの国にあることを前任の神官から聞いたことがある。確かに、溜め息は憂鬱だからこそ落とすものである。
「わかっている。今日もイテルを頼むよ」
『任せておけ』
ミィは大きく伸びをして、また自分で窓を開けて出て行く。猫というのは、本当に自由な生き物だ。
「イテルも猫くらい自由に生きられるといいんだがな」
意味のないことだとわかっていても、ふとそんな言葉が漏れた。そうであってほしいと願っているが、イテルが自分の自由に気付くまで、まだしばらく時間がかかるだろう。




