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鬼の手の神官が総溺愛されるまで  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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第3章 価値【4】

 庭園の花に水をやっていると、イテルの勉強部屋が覗ける。窓から、イテルが真剣のフロントの授業を受けている姿がよく見えた。正直なところ、レイシーはあまり勉強が好きではなかった。神官の素質があると判明したのは、ちょうどイテルと同じくらいの歳の頃だったか。師匠である神官に跡を継ぐよう命じられ、まずは王立魔道学院の卒業資格から始まった。神官の素質がなければ、王立魔道学院の入学資格試験すら受けなかったかもしれない。それくらい、勉強には興味がなかった。神託さえなければ、と思ったこともあったが、それも良い思い出だ。

「あの子が神官見習いか」

 威厳に満ちた声に振り向くと、強面の男性が歩み寄って来る。きっとイテルはこの強面に怯えることだろう。黒髪に青い瞳が映え、非情に美形ではあるのだが。

「公爵閣下、ごきげんよう」

 レイシーは正式な神官の辞儀をする。彼はアクレシオ・フラール公爵。このフラール公国の君主だ。この庭園に神官以外の者は立ち入りできないが、君主はもちろん例外である。ただし、従者を連れて入ることはできない。

「思っていたより小さいな。だが、賢そうな顔をしている」

「ええ。賢い子です。賢いからこそ、あの劣悪な環境でも逃げ出さなかったのでしょう」

 イテルのことはすでにフラール公爵にも公爵夫人にも報告してある。イテルが実際に会うのはまだ先のことになるが、公爵はイテルのことが気になっているらしい。

「もっと早く見つけてあげられたらよかったのですが……」

「それは私の台詞だ。鬼の手を持つ子どもが六年も隠されていたとはな」公爵の目が細められる。「三百年に一度の鬼の子……。異質と言わざるを得ない存在を見逃していたとは」

 レイシーは勉強部屋のイテルを眺める。何も知らないまま、穏やかに過ごしている。まだ何も知らなくていい。現実は、いまのイテルには眩すぎる。いまは何も見えない繭の中、ただ健やかに成長するだけでいい。

「鑑定士は見つかったか」

「すでに王国にすら居ませんでした。このまま見つからないでしょう。鬼の子を申告しなかった罪は、公国において最も重いものですから」

 サンドライト家の証言が真実かどうかは判然としない。公爵の温情を受けておきながら虚偽の申告をしたのならば、今度こそ、無事では済まないだろう。そこまで愚かではないと思いたいところだ。

「イテルにはまだ話していないのだろう」

「珍しい異能ではないとは伝えてありますが、いずれ気付くことになるでしょう」

 神殿はあらゆる情報から遮断される箱庭だ。特にイテルにはデラとエイカーが付いている。通り抜けを許可している騎士たちも、決して口は軽くない。そうでなければこの庭園への立ち入りは許されないのだ。

「鬼の子は国を傾けるとされている」と、公爵。「神殿で保護したのは正解だろう。ハーグレイヴズ神の加護があれば、イテルが鬼の子と化すことは防げるはずだ」

「……ですが、本当によろしかったのですか? 鬼の子を隠した一家を罰金だけで済ませて」

 サンドライト家は貴族の家としてそれなりに繁栄してきた家だが、この先、没落は避けられないだろう。だが、投獄されなかっただけマシというものである。

「罰金で済ませると決めたのは妻だ」

「奥方様が……」

「妻が身籠ったのだよ」

 公爵の表情がふっと明るくなる。ふたりは結婚してから数年、不妊治療を続けていた。念願の第一子。ふたりの喜びは海より深いものだろう。

「妻は母親としての自覚が芽生え、イテルの家族への気持ちを考えた。例え冷遇されていたとは言え、イテルにとっては家族だ」

「……そうですね。イテルは彼らを憎いと思っていないでしょう」

 イテルには、望めばサンドライト家を投獄させることもできる。それをミィを経由してレイシーに伝えれば、レイシーはイテルの思いを実行することを躊躇わない。だが、イテルはそれを望まなかったのだ。

「いずれお祝いに伺います。そのときはイテルも連れて行きましょう」

「ああ。ふたりの神官に祝われる我が子は、公国いちの幸せ者になるだろうな」

 公爵はすでに幸福感に満ちた表情で去っていく。きっと公爵夫人も同じように微笑んでいることだろう。長らく子を望んでいたふたりは、子どもに対する愛情だけが育っていった。イテルをよく気に掛けているのも、その愛情によるものだろう。

 鬼の手を持つ者が鬼神と化すのは、平均で十六歳程度とされている。あと十年。それまでにイテルから鬼の因子を取り除かなければならない。鬼の因子を打ち消すものは“愛”だとされている。あの一家のもとで育てば、イテルは間違いなく鬼神と化したことだろう。

(私も六歳の子を持ってもおかしくない歳だ。結婚せず子どもができたのは僥倖だ)

 親になったことは一度もなく、イテルがどう思っているかもわからないが、レイシーはイテルを家族として受け入れる準備がすでにできている。イテルはいまだ、神殿の暮らしに慣れることだけで精一杯だろうが。

「……レイシー様、なにニヤニヤしてるんですか……?」

 怪訝な声にハッと顔を上げると、中廊下からお盆を手にしたデラが変なものを見たような目でレイシーを眺めている。

「あ、やあ、デラ。イテルの授業は終わったのかい?」

「これから休憩に入るところで、レモネードを作って来たんです」

「そ、そうか。授業の様子はどうだい?」

「イテル様はとても意欲的ですよ。フロント様との相性も良さそうです」

「そう。授業が終わったら自由に過ごすようにしてくれ。また様子を見に行くよ」

「はい」

 イテルを心から受け入れているのは、レイシーだけではない。デラは宮廷に仕えている女官の中からレイシーが選んだが、きっと正解だった。エイカーもそうだ。ふたりとも親となるにはまだ若い。それでも、イテルの幸せのために尽くしてくれるだろう。レイシーの千里眼が見誤ることはないのだ。

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