第3章 価値【1】
イテルが神殿で暮らすようになって、一週間が経った。朝、早くに目が覚めると、声を出す練習をする。簡単な音なら、なんとか出るようになった。それでも、まだ誰かと話をすることはできない。言葉を発そうとすると、どうしても詰まってしまうのだ。無理をする必要はない、とレイシーは言っていたが、イテルは、デラやエイカーと話をしたかった。
控えめなノックが聞こえ、デラが顔を覗かせた。デラはいつも、こうして静かに訪れる。イテルがまた寝ているかもしれないと、気を遣っているのだろう。
「おはようございます、イテル様」
デラの明るい笑顔は、イテルに安心感を与えてくれる。ここに居てもいいのだと、そう思わせてくれる。
「最近は起きるのが早いですね。それともあたしが遅いんでしょうか」
ふふ、と笑いながら言うデラに、イテルは首を横に振った。言葉を使わないコミュニケーションなら取れるようになったため、デラもこういった悪戯っぽいことを言うようになった。
朝の支度は相変わらず、デラが満足するまで髪の手入れをする。伸び放題でぼさぼさだった頃の面影はひとつも残っていなかった。
すっと窓が開く。いつものように、ミィが器用に自分で開けて入って来た。
『おはよう、イテル。マダム・グランドが作った手袋と服はよく馴染んでいるようだな』
イテルは小さく頷く。マダム・グランドがイテルのために作った手袋と服は、サイズもぴったりで、イテルのためだけに作られた物だということがよくわかる。
(とても動きやすいよ。家で着けてた手袋は、ペンが持ちにくかったから)
『マダム・グランドの店は公国で随一のブティックだ。その品質は王国にも劣らない。お前が神官として認められるまで、お前のことを守ってくれるだろう』
イテルにはよくわからなかったが、この手袋と服には様々な「効果」と「耐性」が付いているらしい。イテルが大人になるまでに必要なお守りのようなものだ、とレイシーは言っていた。
(神官って、何歳になったら認められるの?)
『年齢より能力だな。能力が充分に開放されたとき、神託が降りるとされている。レイシーから聞いただけだから、真偽のほどは定かではないがな』
(しんたくって何?)
『レイシーの場合、神の声が聞こえたらしい。そうすれば公爵閣下に神官として任命される。それが何歳になるかはわからないそうだ』
ミィは難しいことを話しながら、ゆったりと顔を洗う。一昨日も顔を洗っていたが、雨は降らなかった。
『レイシーは千里眼を持っていたので早かったそうだ。確か十六と言っていたか。ちょうど先代の神官が引退したばかりの頃だったよ』
(じゃあ……僕が神官になったら、レイシー様は引退してしまうの?)
『しないさ。レイシーはお前の面倒を見る。すぐには引退しないだろう』
イテルは安堵している自分がいることに気が付いた。レイシーとはまだ出会って一週間である上に、デラのように長い時間をともにするわけでもない。それでも、すでにイテルに安心感を与えるひとりになっているのだ。
「さ、できましたよ」
楽しげな声に鏡へ視線を戻すと、デラが満足するまでブラシを通した髪はつやつやで綺麗に仕上がっていた。
「朝食に行きましょう」
神殿の食事は、イテルの大きな楽しみだった。最初はイテルにとって刺激的な食事であったが、ミィによると、いまの料理はイテルの口に合わせているらしい。そのおかげか、何を食べても美味しかった。
「おはようございまーす」
部屋を出たところで、エイカーが朗らかに手を振る。エイカーはイテルが寝る頃にも部屋の外にいて、起きる前にも部屋の前にいる。
(エイカーはいつ寝てるのかな)
『イテルの眠りが深くなった頃合いを見計らって、他の者と交替している。彼はショートスリーパーなのだよ』
イテルは心の中で感心した。睡眠時間が短くとも、こうして元気な顔をしているのだ。
(レイシー様はエイカーのことを護衛って言ってたけど、僕は神殿の中でも護衛が必要なの?)
『神官の素質がある異能者だからな。神官は神に通ずる力を持つ。異能持ちともなれば、その利用価値は高い』
ミィの言うことはよくわかる。イテルの「利用価値」の高さから、家族はイテルを家の奥の部屋に閉じ込めた。この先、イテルが同じ目に遭う可能性はまだあるのだ。
『お前の異能は公表されないが、子どもともなると攫いやすい。お前が自分の身を守る方法を身に付けるまでは、彼らの護衛が必要だろうな』
(レイシー様はいつもひとりでいるけど、自分の身を守れるの?)
『あいつは、あれでもいろんな魔法を持っているのだよ。お前も魔法の練習をすれば、自分の身を守ることができるようになるだろう』
異能を持つ者は須らく魔法の力を持つ、と教本で読んだことがある。イテルも異能を持っているため、魔法を使うことができるだろう。実家にいる頃に魔法を学ぶことができていれば、あの家から脱するのは簡単なことだったかもしれない。




