回想 婚約~婚約解消
馬車は進み、私が7年間過ごした土地を離れ、窓の外には見慣れぬ景色が流れます。
男爵様や息子さんとの別れを済ませたことでやっと住み慣れた土地を離れる実感が湧いてきました。
確か来るときも伯爵家の馬車で一月半ほどの日程が掛かったと記憶しています。今思えば貴族の令嬢の馬車旅ということで随分ゆっくりで余裕のある日程だったでしょう、通常の隊商とかなら半分の2週間程度の日程ではないでしょうか。
当時は18歳になったばかりで一人でそんな長旅もしたことが無く、ジェシカの同伴も断ったので他の侍女が付いてくれていました。
思えば頑なに誰も私の事を知らないところに行くのだと言って、随分お父様やお母様を困らせたものです。
今であればもっと冷静にお父様ともお母様とも話し合う事が出来る気がします。
とりあえず吃驚するかもしれませんが私の元気な姿を見せて安心して貰って、私も二人とお兄様の元気な姿が早く確認したいです。
なにはともあれ私が修道院で7年間、心安らかに過ごせたのはお父様がそれを許してくれたからという事は私ももう解っています。修道院への定期的な寄進と男爵家への資金提供、それ以外にも色々気遣ってくれていたのではないでしょうか。
帰ったらまずは謝ってお礼を言わなければいけません。
それからお兄様の奥様のバーバラ様にもご挨拶しなければいけませんね。
侍女長からの手紙で小伯爵である兄が6年前に婚姻しその後、二人の子供に恵まれたとは聞いておりましたが、お祝いの手紙も送っていなければ、個人の持ち物の無い修道女ではお祝いの品も送れていません。
男の子と女の子が一人ずつと言う事でこちらも会うのが楽しみです。
でも社交が行われないこの時期、お兄様たちは領地に居る可能性が高いですね。
ブーマー家の領地は王国の東、隣国との国境に近い地域にあります。深い森とそこから流れ出る幾筋もの河川が扇状地を作り田園地帯を作っていて小麦やライ麦、ソバ、ジャガイモ、カブや甜菜なども特産品になります。
落ち着いたら『大地祝福:テラ・グレイス』を掛けに行きたいですね。男爵領とは規模が違いますから、時間は掛かりますがカントリー・ハウスでゆっくりして領地の畑を巡るのも良いでしょう。
お父様は7年前の私の婚約解消前後で王宮に出自することが増え、今もお母様と殆ど王都のタウンハウスで暮らしていると聞いています。
元々、伯爵家でも高位でありましたのでそれ自体は別におかしな事ではありませんが、ランドン侯爵家とのなにがしかの取引があったと思うのが普通です。
我がエスクイリン王国には公爵家がありません。王家の下には四侯爵家がありこちらが他の国なら公爵家扱いになり、我がブーマー伯爵家を含む高位の伯爵家八家が侯爵家扱いになることでしょう。
そのランドン侯爵家の令息ダレン・ランドン様とブーマー伯爵家の令嬢ミーガン・ブーマーの婚約は11年前に私が14歳、ダレン様が17歳の時に結ばれました。
ブーマー伯爵家はランドン侯爵家の派閥でしたし家格も釣り合っていましたので、傍から見れば何の問題もない婚約だったことでしょう。
しかし私はダレン様が苦手でした。嫡男で次期当主としての教育を受けたダレン様は16歳の成人に達していましたが、その心は子供そのものでした。
お茶会での話題は剣の訓練や魔物討伐の事ばかり、テーブルから離れた所に居るあちらの侍従たちが微かに顔を顰めていることが何度かありました。
別に私を蔑ろにしたりするわけでもなく、ちゃんとお茶会には顔を出しますし、手紙のやり取りや何かにつけてのプレゼントなども送ってくださっていました。多分プレゼントなどはその時々、相応しい物が送られていましたのでご本人が選んでいないだろうことは解りました。まぁ、貴族では普通の事ですが。
悪い方ではないことは解りますが、何分ご自分の言いたいことを仰っるだけ仰って、こちらのお話はあまり聞いて貰えない方でした。
婚約したのが春、王都で2,3度会った後は双方とも領地に行きましたので次の社交シーズンまで顔を合わすこともなくなり、手紙のやり取りをしていましたが半年後にはダレン様は行方不明になってしまいました。
今ではお顔もよく思い出せません。
当初は誘拐なども疑われたようですが、状況的にどうやら自発的に出奔したらしいことを聞いています。
元々、侯爵様と仲が悪く「出ていけ!」「ああ、出て行ってやるとも!」みたいなことが頻繁にあったとお父様から遠回しな言い方で聞きました。
当初は侯爵様も「探す必要はない。そのうち帰ってくる」とおっしゃっていたそうですが、3か月も経つと捜索を始めましたが杳として行方は知れませんでした。
半年が経ち王都で社交シーズンが始まる頃にはその噂は貴族中に広まっておりました。
私は成人していませんでしたので貴族のお茶会や舞踏会などには参加いたしませんでしたが、成人前の子供たちの集まりというものはあります。
主に同じ派閥の子供たちの社交の練習という意味合いでお茶会や小さなダンスパーティなどが催されます。
四侯爵家のうちの一つランドン侯爵家の令息の行方不明ですのでそちらは大っぴらに話されることはありませんが、私の方は婚約者に逃げられた令嬢という事で扇子の裏側でひそひそと聞こえるか聞こえないか棘のある言葉が漏れ聞こえてきます。
それでも王国で上位から数えた方が早いブーマー伯爵家です。誰も正面から私を非難する者はありませんでしたが、私の心は徐々に徐々に疲弊して行きました。
ダレン様の行方が分からなくなって一年、私が16歳になり成人するタイミングでお父様は婚約解消のお話をしてくれていたようですが、ランドン侯爵家からは待ったが掛かっていたようです。
ダレン様の行方は知れませんでしたが、もし帰って来てもこのような騒ぎを起こした貴族令息の新たな婚約は難しいでしょう。ダレン様は嫡男ですが他に男子はおりません。
兄弟は他に6歳の妹が一人、一度お会いしましたが輝くような金髪にぱっちりした目は少しつり目がちで意志の強さを感じさせる顔立ちも整った美しい少女でした。
我が王国では女性でも爵位は継げますが男子である方が好まれます。
侯爵様はダレン様に後を継がせたいのでしょう。婚約継続を望んでいらっしゃる様子です。
そして、その状況はブーマー伯爵家も同じです。婚約解消すればもちろんランドン侯爵家の有責になりますが、婚約者に逃げられた貴族令嬢に中々、次の良い縁組は回ってきません。
ダレン様が返って来て、侯爵家に嫁入りするのがブーマー伯爵家としても一番いいという事です。
そんな双方の思惑があり、いつ見つかるか、帰って来るか分からない婚約者との婚約は定期的な解消の交渉はありましたが、結局私が18歳になるまで3年にも渡ってずるずると続いたのでした。
その頃には成人していたにも関わらず王都の社交界には顔を出さず、私はほとんど領地のカントリーハウスで過ごしていました。
煩わしい社交をかなぐり捨ててもお父様もお母様も私を叱ることはありませんでしたので、領地で読書や刺繍をしたり、兄や偶に訪ねてくる兄の婚約者のバーバラ様と乗馬やピクニックなどを楽しんでいました。
もちろんジェシカも近くに居てくれたのでとても落ち着いた日々でした。
ですが、兄もバーバラ様も私を気遣って何も言いませんでしたが、明らかに私の件が済んでから兄たちの婚姻を結ぶつもりの様です。
この時、兄が22歳、バーバラ様がもうすぐ20歳となっており、女性は16歳から18歳くらいで婚姻する者が多い貴族の世界ではバーバラ様は行き遅れになりかけているお歳でした。
ダレン様が行方不明になって3年、キリが良い所でしょう。私は両親に世俗を捨てることを告げました。
もう半年前から領地の『大地と農耕の神』の教会経由で王都の『大地と農耕の神』の神殿に修道院に入ることを願っていました。
教会、神殿は世俗の権力の及ばないところです。私が身一つで門を叩けば受け入れてくれます。
しかし、世俗とまったく関りが無いわけではありません。
王都では主神である『光と創造と繁栄の神』や『海と交易の神』の信者が多いですが、農業を日々の糧とする地方では『大地と農耕の神』がやはり一番人気があります。
王都の市民は基本的には住まいで教区が決まっているので、人が生まれた時や結婚した時、死んだ時はその教区の教会で届け出や結婚式、葬式を行います。
しかし地方では大きな街はその中でいくつかの教区に分かれますが、それ以外は町や村が一つの教区になっていることが多いです。なお、この教会の教区リストが大体の人口を把握するのと、税徴収のための基本資料になっています。
そして安息日には教会で司祭様の説教を聞き、日々の生活から寄進し怪我や病気の時は癒しを貰います。
とにかく教会は人々の生活に密接に繋がりがあり、領主も持ちつ持たれつ良い関係をお互いに望んでいますので、私が一方的に入信すると言っても教会も困りますし、伯爵家も困ってしまいます。
お父様は入信を断固反対され、お母様は独身でも続けられる王族の侍女になるのはどうか、お兄様は誰も知るものが居ない隣国に嫁ぐのはどうかなどと提案してくれました。ですがこの段階で私にはもう貴族の生活や社交への希望はありませんでしたので断固として修道女になる意志を変えませんでした。
何度かの白熱した家族会議の末、まずお兄様が次いでお母様が最後にお父様が折れました。
「こんなに聞き分けの無い娘だとは思わなかった。もう好きにしなさい」
最後は喧嘩別れの様になってしまいましたが、私は何とか修道院行きのチケットを手に入れました。
侯爵家も3年も経ってこれ以上は引き延ばせないと観念したようで、婚約解消はすんなり進んだ様でした。
この後、ジェシカの同伴を断るのにもう一悶着ありましたが。
馬車は進み、いつの間にか今日泊まる町が見えてきています。まだまだ小さい町ですがこれから王都に向かうと段々町も大きくなって行くことでしょう。
さぁ、町に着いたら教会に顔を出して司祭様や町長さんに祝福が必要か聞きましょう。
私にできる事は多くは無いですが、出来る事はしっかりやっていきましょう。




