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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第3章】 過去からの亡霊

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第39話 死闘、そして決別

 ミッドナイト・エグジットのアジトである洋館の1階は、硝煙と血の匂いが立ち込める凄惨な戦場と化していた。

 無数に投げ込まれるスタングレネードの閃光と、アサルトライフルの乾いた銃声。対する俺たちの迎撃は、物理と化学の極限の攻防だった。


「あんたたち、下がるわよ! 固まらないで散開しなさい!」


 ボスの青木裕里子が、舞い散る粉塵を切り裂いて叫ぶ。

 彼女の右手で黒光りするダマスカス鋼の退職届は、迫り来る特殊部隊員のアサルトライフルを次々と両断し、時に放たれた弾丸すらも火花を散らして弾き返していた。人間離れした動体視力と反射神経。だが、圧倒的な「数」の暴力が、徐々に彼女の体力を削り取っていく。


「クソッ、数が多かばい! 叩いても叩いても湧いてくるとよ……!」


 潜入担当の冬美ちゃんが、ボロボロにひび割れた愛用の木刀を振るいながら、荒い息を吐いて後退する。


「冬美、右から来るわ! 目眩まし、行くわよ!」


 彼女を援護するように、シルクのガウンを翻した三浦陽子さんが、化粧コンパクトに偽装した強力なフラッシュバンを敵陣へと投げ込む。炸裂する強烈な光に敵が怯んだ隙を突き、冬美ちゃんが木刀を叩き込んでいくが、それでも敵の波は止まらない。


「私の劇薬ストックも、残り3本よ。……最悪の場合、味方を巻き込む広範囲性の神経毒をばら撒くしかないわね」


 ガスマスク越しのグレタの声には、焦燥が混じっていた。

 さらに絶望的なことに、玄関の瓦礫を吹き飛ばし、クロノスの強化兵士である「処理班」――重厚なパワードスーツを身に纏った3体の巨漢が、重い足音を響かせてホールへと侵入してきたのだ。


『みんな! 1階の物理バリケードが完全に突破されたよん! これ以上は防衛システムも持たないから、早く地下の脱出ルートに退避して!』


 インカムから、地下サーバールームで防壁を操作しているアストリッドの悲痛な叫びが響いた。


「チッ……しつこい連中ね」


 裕里子はダマスカス鋼でパワードスーツの豪腕をいなし、床を蹴って大きく後ろへ跳んだ。


「全員、地下へ撤退よ! アストリッドと合流して、サトルの後を追うわ!」


 ――その数分前。


 アジトの地下深く、冷たいコンクリートで覆われた秘密の地下ルート。

 俺は、先ほどパワードスーツの小隊を「グルテントラップ」で無力化した後、息を切らしながら通路の奥へと進んでいた。

 俺は、先発してチビを隠しておいた分厚い鉄扉の「配管メンテナンス室」の前に戻り、そっと扉を開けた。


「ミャン」


 フリース毛布で防音対策を施したキャリーバッグの中で、チビは大人しく丸くなっていた。俺の顔を見ると、安心したように琥珀色の瞳を細める。


「よしよし、いい子だ。もう少しだけ、そこで待っててくれよ」


 俺はチビの頭を撫でて扉を細く開けたままにし、通路の中央へと振り返った。

 頭上からは、絶え間なく地響きと爆音が伝わってくる。裕里子さんたちが、命懸けで俺たちの家を守ろうとしている音だ。


「……このままじゃ、全滅する」


 俺は暗闇の中で立ち尽くした。

 この地下水脈跡の通路は、幅が3メートルにも満たない。もし特殊部隊やパワードスーツがアジトを突破してこの狭い通路になだれ込んできたら、裕里子さんたちの機動力は完全に封じられ、十字砲火を浴びてしまう。


「俺が、ここで奴らを足止めして分断する……」


 俺はリュックを下ろした。

 手元に残っている武器は、先ほどのトラップで使い残した「強力粉」およそ1.5キログラム。そして、リュックに常備している調理器具の中から、炙り料理に使う「料理用ガスバーナー」と、携帯用の小型扇風機を取り出す。


「料理の基本は、化学反応のコントロールだ」


 俺は通路の天井付近を通る古い配管の上に、強力粉を入れたビニール袋を乗せた。袋の口は大きく開け、その真横に小型扇風機を上向きにセットする。

 細かな粉末が空中に浮遊することで、粉の『表面積』は爆発的に増大し、空気中の酸素と極めて結びつきやすい状態になる。そこに十分な火種があれば、急激な燃焼と膨張を引き起こす。

 いわゆる「粉塵爆発」だ。

 俺はガスバーナーのバルブを開き、手元でカチリと火を点けた。青白い炎がシュゴーッと音を立てて噴き出すのを確認し、鉄扉の小部屋のすぐ外側に身を隠す。


 数分後。

 地下通路の階段の方から、複数の荒い足音が雪崩れ込んできた。


「サトル先輩! お待たせばい!」


 先頭を走ってきたのは冬美ちゃんと陽子さんだ。続いて、グレタ、くるみさん、由希さん、ノートPCを抱えたアストリッドが息を切らして駆け込んでくる。

 殿を務めているのは、黒いレザージャケットの各所が破れ、肩で息をする裕里子だった。彼女の背後には、大量の特殊部隊員と、3体のパワードスーツが不気味なライトを光らせながら迫っている。


「裕里子さん、みんな、早くこの鉄扉の中へ!」


 俺の切羽詰まった声に、メンバーたちは俺の意図を察し、次々とメンテナンス室の中へと飛び込んでいく。

 最後に裕里子が滑り込んだ瞬間、特殊部隊のライトが、通路を照らし出した。


「ターゲットを発見! 小部屋の中だ! 一気に制圧しろ!」


 部隊員たちとパワードスーツが、俺の仕掛けた強力粉の真下へと一斉に踏み込んでくる。


「今だ!」


 俺は鉄扉の陰から、小型扇風機に取り付けたリモコンのスイッチをオンにした。

 ブォンッ!!

 強風が吹き上がり、配管の上のビニール袋が煽られて落下。床にぶつかった衝撃で袋が弾け、1.5キロの強力粉が一瞬にして通路の空中に舞い上がった。


「な、なんだこの粉は!?」

「煙幕か!? 視界が……!」


 敵の部隊員たちが、真っ白な粉塵の中で混乱し、足を止める。


「退職代行の、特大フランベです!」


 俺は火を点けたままの料理用ガスバーナーを、真っ白な粉塵の渦の中へと思い切り投げ込み、間髪入れずに分厚い鉄扉を力任せに閉めて、ロックのレバーを全力で引き下げた。


 ガチャンッ!!


 鉄扉が閉まった、その一秒後。

 ガスバーナーの青い炎が、高濃度の粉塵に触れた瞬間。


 ドゴォォォォォォォォッッッ!!!


 分厚い鉄扉越しでも内臓が揺れるほどの、凄まじい爆発音が轟いた。

 逃げ場のない閉鎖空間で発生した粉塵爆発。強烈な爆風と熱波が通路を駆け抜け、鉄扉がメリメリと不気味な音を立てて歪む。

 ズズズンッ……! ガラガラガラーッ!!

 爆発の衝撃波は、老朽化していた防空壕の天井を破壊した。鉄扉の外側で、大量の土砂とコンクリートの塊が轟音と共に崩落していくのが、音と振動で伝わってくる。

 やがて、激しい揺れが収まり、完全な静寂が訪れた。


「ゲホッ……ごほっ」


 俺は扉の隙間から漏れ入ってきた粉塵を吸い込みながら、懐中電灯で小部屋の中を照らした。


「……あんた、ただの社畜のくせに、ずいぶんと派手にやるじゃない」


 壁にもたれかかっていた裕里子が、顔についた煤を拭いながら、不敵な笑みを浮かべた。


「料理の科学ですよ。……みんな、無事ですか?」

「サトル先輩のおかげで、死なずに済んだとよ……」


 冬美ちゃんがへたり込みながら親指を立てる。他のメンバーも、服は汚れ、疲労困憊ではあったが、全員が無事だった。

 俺は急いで奥のキャリーバッグを確認した。


「ミャン!」


 チビは毛布の防音層のおかげでパニックになることもなく、無事に俺の指を舐めてくれた。俺は深く安堵の溜め息を吐き、チビのバッグを胸に抱え直した。


 俺が鉄扉の覗き窓から外を確認すると、そこには完全に塞がれ、向こう側へ行くことのできない分厚い瓦礫の壁ができあがっていた。敵の追撃ルートを、物理的に完全に分断したのだ。

 だが、俺たちの顔に喜びの色はなかった。


「遠藤くんの見事な采配で一時的に分断できましたけれど……もはや、洋館に戻ることは不可能ですわね」


 くるみさんが、タブレットの画面を見つめながら静かに告げた。


「ええ。地上から重機を入れられれば、この瓦礫の壁も数時間で突破される。アジトは完全に敵の手に落ちたわ」


 由希さんが、悔しそうに唇を噛み締める。

 俺は言葉を失った。あの洋館は、俺が拾われてからずっと、毎日みんなの朝ご飯や夜食を作ってきた大切な家だ。チビが初めて走り回ったリビングも、裕里子さんが不機嫌そうにコーヒーを飲んでいたダイニングも、もう二度と帰ることはできない。


「……残してきたデータは?」


 裕里子が、重い声で尋ねた。


「暗号化してあるけど、クロノスの技術力なら数日で復号される可能性があるよん。……それに、アジトを拠点にして地下を掘り進められたら、ウチら逃げ切れない」


 アストリッドが、膝の上でノートPCを開きながら、悔しそうに唇を噛んだ。彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいる。


「……そうね」


 裕里子は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして、目を開けた時、その瞳には悲痛な決断の光が宿っていた。


「アストリッド。……サーバーの『テルミット焼却プロトコル』を起動しなさい。同時に、洋館のスマートホームシステムの安全装置を全てカットして、配電盤を意図的にショートさせるのよ」

「ボス……!」


 陽子さんが息を呑んだ。

 それは、サーバーを物理的に溶解させると同時に、古い木造建築である洋館そのものを漏電火災で全焼させるという、文字通りの「自爆」を意味していた。


「……私たちの家に、土足で上がり込んだ奴らに、これ以上の好き勝手はさせない。それに、燃やしてしまえば、奴らもここから地下を掘ることはできなくなる」


 裕里子の声は震えていた。彼女にとっても、あのアジトは、組織から逃げ出して初めて手に入れた「人間の家」だったのだ。


「……アイアイサー」


 アストリッドが震える指でキーボードを叩き、エンターキーを静かに押し込んだ。


 数分後。

 分厚い土とコンクリートの層を隔てていても、頭上の遥か上部から、ゴォォォォ……という重く低い振動が伝わってきた。

 数多の思い出が詰まったダイニングも、俺が愛用していたキッチンも、侵入してきた敵の部隊もろとも、全てが紅蓮の炎に包まれて崩れ落ちていくのが想像できた。


「……さよなら、俺のキッチン」


 俺は小さく呟き、チビのバッグを抱きしめた。

 くるみさんが静かに目を伏せ、冬美ちゃんが声を殺して泣いていた。


「感傷に浸ってる暇はないわよ、サトル。……家なんて、また私たちが新しく作ればいい」


 裕里子が俺の肩をポンと叩き、かすかに微笑んだ。その頬には、一筋の煤の跡が真っ直ぐに引かれていた。


「連中、私たちの居場所を奪ったわ。なら、こっちも一切の容赦はしない。……クロノスを完全に潰すわよ」


 炎上するアジトを頭上に残し、俺たちミッドナイト・エグジットは、果てしない地下潜伏生活の暗闇へと足を踏み入れたのだった。

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