第38話 権力の逆襲と防衛戦
深夜3時20分。俺たちの居場所である洋館アジトは、耳を劈くような轟音と閃光に包まれた。
ドガァァァァンッ!!
分厚いオーク材の正面玄関が、特殊な爆薬によって木っ端微塵に吹き飛ばされる。同時に、1階のすべての窓ガラスが割られ、無数の催涙弾とスタングレネードがリビングへと投げ込まれた。
「突入! ゴー! ゴー!」
怒声と共に、ヘッドライトを消した黒塗りの装甲車両から展開した完全武装の特殊部隊員たちが、漆黒の戦闘服に身を包み、アサルトライフルを構えて次々と雪崩れ込んでくる。
世論の大炎上にパニックを起こした国家権力と、彼らを裏で操る巨大組織「クロノス」による、なりふり構わぬ実力行使。俺たちミッドナイト・エグジットを「国家転覆を狙うテロリスト」としてでっち上げ、問答無用で物理的に排除するための強行突入だった。
「……土足で人の家に上がり込むなんて、ずいぶんと躾のなってない連中ね」
白煙と粉塵が立ち込めるホールに、低く、底冷えのするような声が響いた。
ボスの青木裕里子だ。彼女は愛用のダマスカス鋼の退職届を右手に提げ、スタングレネードの強烈な光をものともせず、部隊の真正面に立っていた。
「撃てッ!」
部隊長らしき男の号令で、無数の銃口が裕里子に向けられる。
だが、銃声が響くより一瞬早く、裕里子の姿がブレた。
「退職代行の深夜割増料金は、高くつくわよ」
ヒュンッ! という鋭い風切り音と共に、鋼鉄の板が部隊員たちの武器を次々と叩き折っていく。人間離れした膂力と反射神経。彼女を「殺人兵器No.07」として育て上げたクロノス自身が、その牙を喉元に突き立てられていた。
「裕里子だけにいい格好はさせないわよ。……劇薬投与、開始」
2階の踊り場からは、ガスマスクを装着した元医師のグレタが、試験管に入った無色透明の液体を階下へと投げつける。パリンッとガラスが割れた瞬間、強烈な化学反応が起き、特殊部隊員たちが「グァッ!?」「目が、焼ける……!」と喉を掻きむしって倒れ込んだ。
「サトル先輩! ここはウチらに任せとき! 先輩は早よ地下に行くっちゃん!」
潜入工作員の冬美ちゃんが、愛用の木刀を構えて遊撃に回りながら、焦燥の混じった博多弁で叫ぶ。
俺は、背中にずっしりと重いリュックを背負い、地下サーバールームの奥にある隠し扉の前に立っていた。
リュックの中には、由希さんたちがまとめたクロノスの罪を証明する重要データのメインストレージと、俺が愛用している数本の包丁や調味料。そして、胸に抱えた専用のキャリーバッグの中には、爆音と怒声に怯えて「ミャーッ、ミャーッ」と鳴き叫ぶ黒猫のチビが入っている。
「遠藤くん。通信インフラはアストリッドが死守しますが、地下ルートに入ると分厚いコンクリートと土砂の影響で、一時的にインカムが通じなくなります。気をつけて」
金庫番のくるみさんが、タブレットを操作しながら冷静に告げる。
「サトル」
乱戦の最中、敵のパワードスーツ「処理班」の巨腕をダマスカス鋼で弾き返した裕里子が、一瞬だけ俺の方を振り返った。
「……必ず生きて、そこを抜けなさい」
裕里子の額には汗が滲み、その瞳にはかつてないほどの切迫した光が宿っていた。
「はい。裕里子さんたちも、絶対に無事で――」
「当たり前よ」
裕里子は不敵に笑い、俺に向かって言葉を投げた。
「これを生き延びたら……また、あの表参道のパンケーキ屋に連れて行きなさい。今度は周囲の警戒なんて一切しない、本物のデートをしてあげるわ」
それは、以前彼女が「普通のOLの休日」を真似て失敗した、あのぎこちないパンケーキデートのやり直し。不器用な彼女なりの、絶対に生きて再会するという「約束」だった。
「……はい! 特大のやつを奢りますからね!」
俺は強く頷き、重い防音扉を押し開けて、暗く埃っぽい地下水脈跡の秘密ルートへと飛び込んだ。
カビの匂いと、ひんやりとした冷気が肌を刺す。
この地下ルートは、戦前作られた防空壕と地下水脈の一部を繋ぎ合わせたもので、アジトから数キロ離れた廃工場へと続いている。
俺はスマホのライトを頼りに、でこぼこしたコンクリートの通路を走った。
背中のリュックが重い。息が上がる。胸のキャリーバッグの中では、チビが不安そうに丸くなっているのが伝わってくる。
「よしよし、いい子だチビ。俺が絶対に守るからな」
俺は走りながら、自分のふがいなさを噛み締めていた。
また、逃げるだけか。裕里子さんや冬美ちゃんたちが命懸けで戦っているのに、俺は戦闘力がゼロだから、ただ隠れて逃げることしかできないのか。俺はミッドナイト・エグジットの「総務部長」だ。家族同然の仲間たちが家を守っているのに、ただ背中を向けているだけでいいはずがない。
その時だった。
ガシュン、ガシュン、ガシュン。
背後の遠く暗闇から、機械的な重い足音が聞こえてきた。
振り返ると、微かなライトの光が揺れている。
「……チッ。特殊部隊の別働隊と、パワードスーツか」
どうやら、敵は熱源センサーか何かで俺の逃走ルートを嗅ぎつけたらしい。足音の数からして、特殊部隊員が三名、そしてクロノスの強化兵士である「処理班」のパワードスーツが一体。
このまま走り続けても、俺の体力ではいずれ追いつかれる。インカムは通じない。助けは来ない。
俺は足を止め、深く溜め息を吐いた。
「……仕方ない。総務部長の残業といくか」
俺は通路の奥にある、分厚い鉄扉のある小部屋を見つけた。そこなら、これから起こる衝撃音や刺激臭からチビのデリケートな聴覚と嗅覚を完全に守ることができる。
「チビ、少しの間だけここで待っててくれ。絶対に安全だからな」
俺はキャリーバッグを小部屋の奥に静かに置き、扉をしっかりと閉めた。これで猫の耳への配慮は完璧だ。
そして、俺はリュックを下ろし、敵を迎え撃つための「厨房」を整え始めた。
相手は銃器を持ったプロと、装甲を持った機械だ。まともに戦えば一秒で殺される。だが、ここは狭くて暗い地下通路。地の利は、逃げている俺にある。
俺はリュックの中から、キッチンから持ち出していた「サラダ油」と、カレーの付け合わせに使う予定だった「乾燥大豆」、そしてパン作りに使う「強力粉」を取り出した。
「料理の基本は、段取りと適材適所だ」
俺は独り言を呟きながら、下り坂になっている通路の床に、特大ボトルのサラダ油を一本丸ごと撒き散らした。さらに、その油の海の上に、硬く丸い乾燥大豆をばら撒く。
油による摩擦係数の低下に加え、無数の大豆がボールベアリングの役割を果たす、最悪の「スリップトラップ」の完成だ。
次に、スリップトラップを越えた先の天井付近に、荷造り用の透明なラップを何重にも張り巡らせる。暗闇では人間の目には絶対に見えない。
最後に、俺は強力粉の袋を開け、夕食のカレーうどんで使った「激辛スパイスの余り」をたっぷりと混ぜ合わせた。そして、携帯用の小型扇風機を足元にセットし、霧吹きを片手に物陰へと身を潜めた。
数分後。
複数の懐中電灯の光が、闇を切り裂いて迫ってきた。
「ターゲットの熱源反応、この先で停止しています!」
「よし、一気に制圧するぞ。処理班、前へ出ろ!」
特殊部隊員の指示に従い、重さ数百キロはあろうかというパワードスーツが、ズシン、ズシンと先頭に立って通路を下ってくる。
そして、パワードスーツの鉄の足が、俺の仕掛けた油と大豆のエリアに踏み込んだ。
「……!?」
どれほど強大なモーターのパワーを持っていようと、足場が物理的に滑ればただの鉄の塊だ。油の乗った斜面で大豆を踏み抜いたパワードスーツは派手にバランスを崩し、ガシャンッ! とけたたましい音を立てて仰向けに転倒し、そのまま坂を滑り落ちてきた。
「な、なんだ!? 床が滑るぞ!」
後続の特殊部隊員たちが慌てて立ち止まろうとするが、彼らもまた油と大豆に足を取られ、次々と折り重なるように転倒していく。
立ち上がろうとした部隊員の一人が、暗闇に張られた透明なラップに首を引っ掛け、後ろへ派手にすっ転んだ。
「今だ!」
俺は物陰から飛び出し、小型扇風機のスイッチを最大風量でオンにした。
ブォンッ!
強風に煽られ、致死量のカプサイシンを含んだ激辛スパイスと、大量の強力粉のミックスパウダーが、転倒してもがく特殊部隊員たちの顔面へと吹き荒れる。
「ギャァァァッ!? 目が、目がァァァッ!」
「息ができないッ! ゴホッ、ガハッ!」
狭い地下通路で、逃げ場のないスパイスの嵐。部隊員たちは銃を放り出し、顔を掻きむしって悶絶し始めた。
だが、パワードスーツの男だけは違った。気密性の高いヘルメットに守られた彼はスパイスの影響を受けず、モーターの駆動音を唸らせて強引に立ち上がろうとする。
「小賢しいマネを……! 叩き潰してやる!」
男は油の床を這いずり抜け、立ち上がろうと関節のモーターに負荷をかけた。
俺はそれを待っていた。
パワードスーツを動かすためには、大量の熱を逃がすための「吸排気口」が必ずどこかにある。
俺は霧吹きを構え、扇風機で舞い上がっている強力粉の粉塵に向かって、大量の水をスプレーした。
シューッ!
パワードスーツの冷却ファンが、空気と一緒に、水分を含んだ大量の強力粉を機体の内部へと吸い込んでいく。
「料理の科学だ。強力粉のタンパク質は、水と混ざって物理的な衝撃が加わると、強靭な粘り気を持つ『グルテン』に変化する」
ガリッ……ガガガガッ!
スーツの内部から、嫌な摩擦音が鳴り響いた。
内部の歯車や冷却ファンに吸い込まれた強力粉が、水と混ざり合って極めて粘度の高いグルテンの塊となり、精密な機械の隙間という隙間にこびりついて固着したのだ。
「なっ!? モーターが回らない!? 熱が……!」
排熱できなくなったスーツの内部温度が急上昇し、セーフティ機能が働いて機体が完全にシステムダウンを引き起こす。プシュウゥゥ……という情けない排気音と共に、巨大な鉄の鎧は、ピクリとも動かなくなった。
「……これが、総務部長の特製コースだ。お粗末様でした」
俺の、料理の知識をフル活用した「家事トラップ」の完全勝利だった。
「ふぅ……」
俺は額の汗を拭い、急いでチビを隠していた小部屋の鉄扉を開けた。
「ミャン!」
チビは耳を伏せることもなく、元気に俺の胸へと飛び込んできた。トラップの騒音も匂いも、この扉の中までは届いていなかったようだ。
「よし、お利口に待てたな」
俺は急いでチビをキャリーバッグに戻し、リュックを背負い直した。
このトラップも長くは持たない。すぐに後続の追手が来るはずだ。
ズズズンッ……!
頭上の地表から、アジトの方角で重い爆発音が響き、地下通路の天井からパラパラと土埃が落ちてきた。
裕里子さんたちは、今も死闘を繰り広げているのだ。
「必ず生き延びて……パンケーキ、食べに行くんだからな」
俺は胸のキャリーバッグ越しにチビの温もりを確かめると、スマホのライトを頼りに、再び果てしない暗闇の奥へと駆け出した。




