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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第3章】 過去からの亡霊

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第36話 世界同時ハッキング

 深夜二十三時。ミッドナイト・エグジットのアジトである洋館の地下に増設された巨大なサーバールームには、何十台もの大型モニターが放つ青白い光と、冷却ファンの低く重厚な駆動音だけが響いていた。

 かつてない規模の作戦を一時間後に控え、アジト全体がピンと張り詰めたような緊張感に包まれている。


 俺は、キッチンのコンロの前に立ち、大きな鍋で出汁を引いていた。

 今夜の作戦の要であるアストリッドをはじめ、メンバーたちの脳は極限状態まで酷使されている。胃腸に負担をかけず、かつスパイスの刺激で脳を覚醒させ、冷えた体を芯から温める夜食。選んだメニューは「特製・和風出汁のカレーうどん」だった。

 利尻昆布とたっぷりの血合い抜き本枯節から取った一番出汁に、薄口醤油、みりん、そして数種類のスパイスを独自にブレンドしたカレー粉を溶かし込んでいく。片栗粉でとろみをつけると、スパイシーでありながらどこかホッとする、芳醇な香りがキッチンに立ち込めた。

 豚バラ肉と油揚げ、長ネギを加え、最後に茹でたてのうどんを器に盛り付け、熱々のカレースープをたっぷりと回しかける。


「ミャァ……」


 ふと、足元から甘ったるい鳴き声がした。

 視線を下げると、黒猫のチビが俺のスリッパに鼻先を擦り付けながら、しっぽをピンと立てて見上げている。どうやら、カレーの強い匂いよりも、出汁を取った後の鰹節の香りに惹かれてやってきたらしい。


「チビ、これはお前には辛くて食べられないぞ。ちょっと待ってろ」


 俺はしゃがみ込み、チビの顎の下を優しく撫でた。チビは目を細め、喉の奥で小さく鳴き声を転がすようにして喜んでいる。俺は冷蔵庫から猫用に茹でてストックしておいた鶏のささみを取り出し、小さくほぐしてチビの専用皿に入れてやった。


「ニャッ!」


 チビは嬉しそうに短い返事をすると、夢中でささみを食べ始めた。ピンク色の小さな舌が器用に動く様や、夢中になるあまりピクピクと動く耳を見ていると、俺の強張っていた肩の力がフッと抜けた。

 国家権力を相手に大喧嘩を仕掛けようというこの異常な夜に、チビの存在だけが唯一の「日常」であり、俺たちの心を繋ぎ止めるアンカーになっていた。


 俺はお盆に人数分のカレーうどんを乗せ、慎重な足取りで地下のサーバールームへと向かった。

 分厚い防音ドアを開けると、そこはまるでSF映画の指令室のような光景だった。壁一面を埋め尽くすモニターには、世界中のネットワークトラフィックのグラフや、見たこともない複雑なコードの羅列が滝のように流れている。

 部屋の中央にある特注のコックピット型デスクに座り、複数のキーボードを人間離れした速度で叩いているのは、天才ハッカーのアストリッドだ。

 その背後では、由希さんが膨大な法的文書を整理し、くるみさんが不敵な笑みを浮かべながら何らかのデータリストを精査している。

 さらに部屋の隅では、潜入担当の冬美ちゃんが五台のタブレット端末を扇状に並べ、SNSのトレンド監視陣形を敷いていた。傍らには、白衣姿のグレタが特製のカフェイン錠剤と栄養ドリンクを並べ、メンバーのバイタルサインを冷徹にチェックしている。


「みんな、夜食ができたぞ。少し手を止めて食べてくれ」


 俺が声をかけると、由希さんが深く息を吐き出して立ち上がった。


「ありがとう、遠藤くん。ちょうど頭がショートしそうだったところよ」


 由希さんはカレーうどんの器を受け取ると、ふうふうと息を吹きかけてから一口啜った。途端に彼女の青白かった顔に血の気が戻り、小さく安堵の溜め息をつく。


「美味しい……。スパイスの香りで、塞がっていた思考がクリアになるわ」

「おや、これは絶品ですね。遠藤くんの料理は、どんな高価なサプリメントよりも私の脳に効きます」


 くるみさんも、いつもの底知れぬ笑顔でうどんを啜っている。


「マジ助かるー! サトル氏のうどん、五臓六腑に染み渡るわぁ……」


 冬美ちゃんも器を抱え込むようにして食べ始め、グレタは「カプサイシンとターメリックの配合比率が絶妙だ。血流促進効果としては完璧だな」と、カレーうどんまで医学的に分析しながら綺麗に平らげていた。


「アストリッド、進捗はどうなの?」


 壁際で腕を組んでいたボスの青木裕里子が、凛とした声で尋ねた。彼女の傍らには、いついかなる時でも抜けるように手入れされたダマスカス鋼の退職届が立てかけられている。


「完璧だよ、ボス」


 アストリッドはキーボードから手を離さず、カレーうどんのスープをストローで器用に啜りながら答えた。


「対象OSのゼロデイ脆弱性を突いた強制オーバーライドの準備は完了。世界中のスマート端末と、主要都市のデジタルサイネージの制御サーバーにバックドアを展開済み。あとは、エンターキーを叩くだけ」

「陽子、そっちの根回しは?」


 裕里子がインカムを通じて別室に呼びかけると、三浦陽子の艶やかな声が響いた。


『バッチリよ。海外の巨大ゴシップメディアの編集長たちには、”日本の政官界を揺るがす最高のエンターテインメント”が投下されるって予告済み。動画が配信された瞬間、彼らが一斉に記事にして世界中に拡散する手筈になってるわ。国内の検閲機関なんかに止められる規模じゃない』

「上出来ね。私のダマスカス鋼も、いつでも抜ける準備はできてるわ」


 裕里子はそう言って、鋭い眼光をモニターへ向けた。


 時刻は、深夜二十三時五十九分。

 俺は息を呑んだ。法律が通じない相手に、世論(感情)の爆発という特大の炎上で殴り込みをかける。


「……時間よ」


 裕里子が、壁のデジタル時計を見上げて静かに告げる。

 〇〇:〇〇:〇〇。

 その瞬間、アストリッドが勢いよくエンターキーをターン!と叩き(物理)、「ハッピー・ミッドナイト!」と叫んだ。


 ――同じ頃、東京、新宿。


 深夜にもかかわらず若者や酔客でごった返すアルタ前の広場で、異変は起きた。

 街頭の巨大ビジョンで流れていた華やかなアイドルのミュージックビデオが、突然、激しいノイズと共に暗転した。


『な、なんだ?』『放送事故か?』


 広場を歩いていた人々が足を止め、見上げる。

 同時に、人々のポケットやカバンの中で、スマートフォンが一斉に不気味な警告音を鳴らし始めた。マナーモードに設定しているはずの端末すらも強制的にスピーカーがオンになり、街中が異様な電子音に包まれる。

 ビジョンと、数万人のスマホの画面に、同じ映像が浮かび上がった。

 それは、陽子さんがプロデュースし、由希さんが集めた証拠を元に作り上げた『極上の告発ドキュメンタリー』だった。


 重々しいBGMと共に、画面にテロップが打ち出される。


『プロジェクト・オーバーライト――国家による合法的な過労死システム』


 続いて、昨日俺が霞が関の神宮寺局長のPCから物理ハッキングで抜き取った、生々しい「仕様書」の画像が次々とスクロール表示されていく。そこには、末端の労働者をいかに効率よく洗脳し、過労死ラインを超えて使い潰すかという、血も涙もないマニュアルが記載されていた。

 さらに画面が切り替わり、巨大コンサルタント会社「クロノス」から、神宮寺をはじめとする複数の大物政治家へ、莫大な裏金が送金されたことを示す海外口座の取引履歴が赤線付きで暴かれる。

 そして極めつけに、神宮寺局長が部下の新海さんを監禁していた際に放った、あの録音音声が再生された。


『……お前たちは国の歯車だ。代わりはいくらでもいる。死ぬ気で働け』


 官僚トップの冷酷な肉声が、新宿の夜空に響き渡る。

 動画の最後には、白黒の砂時計のマーク――クロノスのシンボル――が不気味に浮かび上がり、プツンと映像は途切れた。


 新宿だけではない。渋谷のスクランブル交差点、秋葉原の電気街、大阪の道頓堀。さらに海を越え、ニューヨークのタイムズスクエアや、ロンドンのピカデリーサーカスでも、巨大なデジタルサイネージが全く同じ映像を映し出していた。

 深夜のバスを待っていたサラリーマンが、スマホの画面を見て絶句する。

 夜勤中の看護師たちが、ナースステーションのモニターを見て息を呑む。

 沈黙は、わずか数秒だった。

 直後、世界は文字通り「爆発」した。


 動画の強制再生が終了した瞬間、冬美ちゃんの前に並んだタブレット端末の画面が、凄まじい勢いで流れ始めた。


「ヤバッ……サトル氏、これ見て! タイムラインの更新速度がエグい! バズりすぎて草も生えないレベル!」


 各種SNSには、怒りと驚愕のコメントが滝のように溢れ返っていた。


『おい、今の見たか!?』

『神宮寺局長って、あのニュースによく出てるクリーンな政治家だろ!?』

『ふざけんな! 俺たちを使い捨ての歯車だと!?』

『クロノスって会社、うちの親会社に入ってるコンサルだぞ……!』


 国内の検閲機関が慌てて火消しアルゴリズムを走らせようとした痕跡が見えたが、陽子さんが裏で手を引いた海外の巨大メディアが即座にこの動画を「日本政府の巨大スキャンダル」としてトップニュースで報じたことで、拡散のスピードは完全に制御不能となっていた。


「大衆の怒りが致死量を超えたな。もう誰にもこの熱は冷ませないぞ」


 グレタが、流れるコメントを見つめながら冷徹に分析する。


「……やった」


 地下サーバールームで、世界中のトラフィックデータが信じられない数値を叩き出しているのを見つめながら、俺は震える声で呟いた。


「ええ。私たちの勝ちよ」


 由希さんがモニターを指差し、自信に満ちた美しい笑みを浮かべた。


「彼らがいくら権力を笠に着て法律を捻じ曲げようと、これだけの数の『陪審員』を前にしては、もう隠蔽なんて不可能。連中が自ら築き上げた虚飾の城が、今、大衆の怒りの炎で燃え上がっているわ」

「素晴らしいですね。人間の感情ほど、制御が難しく恐ろしい兵器はありませんから」


 くるみさんも、底知れぬ笑みを深めた。


 作戦は、圧倒的な成功を収めた。

 何千万、何億という人々の持つどす黒い感情の奔流が、一瞬にして巨大な世論のうねりとなり、国家権力とクロノスという見えない壁を大きく揺るがしていた。

 しかし、俺の背筋には冷たい汗が伝っていた。これで終わるはずがない。国家の暗部と、世界的な巨大組織を同時に敵に回し、彼らの顔に泥を塗ったのだ。

 法廷での静かな戦いは終わった。ここから始まるのは、追い詰められた権力者たちがなりふり構わず牙を剥いてくる、本当の死闘だ。


「……喜ぶのはまだ早いわ」


 裕里子が、私物のダマスカス鋼の退職届の柄を強く握りしめ、モニター越しに見えない敵を睨みつけた。


「連中がこのまま黙って燃え尽きるようなタマじゃないことくらい、私が一番よく知ってる。……来るわよ、奴らの逆襲が」


 彼女の言葉に、俺たちは無言で頷いた。

 深夜のハッキングが引き起こした未曾有の大炎上。俺たちミッドナイト・エグジットと、クロノス率いる国家権力との、逃げ場のない全面戦争の火蓋が、今、切って落とされたのだ。

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