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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第3章】 過去からの亡霊

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第34話 官僚たちの墓場

 国家規模のブラック労働システム『プロジェクト・オーバーライト』。

 その全貌が明かされ、俺たちの最大の標的が「クロノス」と「霞が関の特定省庁」に定まってから数日後。


 アジトのキッチンでは、巨大な肉の塊がオーブンの中で凄まじい熱気を浴びていた。

 俺は、耐熱グローブをはめてオーブンの扉を開け、焼け具合を鋭くチェックする。


「……よし。皮が爆ぜてきた。もう一息だ」


 今日作っているのは、フィリピンの伝統的なお祝い料理『レチョン』だ。

 本来は豚の丸焼きだが、さすがにアジトのキッチンでは無理なので、巨大な豚バラ肉のブロックを使った『レチョン・ベリー』に挑んでいる。

 下準備には恐ろしいほどの手間がかかっている。分厚い豚バラ肉の内側に、すりおろした大量のニンニク、刻んだレモングラス、ネギ、そして塩と黒胡椒をたっぷりと擦り込み、ロールケーキのようにくるくると巻いてタコ糸で強固に縛り上げる。

 そして最も重要なのが「皮」の処理だ。剣山で皮に無数の小さな穴を開け、そこに酢と塩を擦り込んで数時間乾燥させる。これを高温のオーブンでじっくりと焼き上げることで、皮はガラスのようにパリパリに弾け、中の肉はスパイスの香りを閉じ込めたままジューシーに仕上がるのだ。


 パチッ、ジュワァァァ……!


 豚の脂が落ちて焦げる、抗いがたいほどに香ばしい匂いがキッチンを満たしていく。


「サトルー! まだー!? 匂いだけでお腹が鳴りすぎて死にそうなんだけど!」


 リビングからアストリッドの悲鳴が聞こえる。

 俺はオーブンから巨大なレチョンを取り出し、肉汁が落ち着くのを少し待ってから、よく研いだ出刃包丁で豪快に切り分けた。

 ザクッ! という快音と共に、黄金色に弾けた皮が割れ、中から溢れんばかりの肉汁とレモングラスの爽やかな香りが立ち昇る。


「お待たせしました。特製レチョンです」


 大皿に山盛りにされた肉の塊をテーブルに置くと、メンバー全員の目が釘付けになった。


「うわぁ……! 皮がパリッパリ! なにこれ、最高やん!」


 冬美ちゃんが我慢できずに一切れつまみ食いをする。


「んんっ! 熱っ! でも美味い! 皮の塩気とサクサク感の後に、肉の脂がジュワーって!」

「そして、この濃厚な豚の脂に合わせるペアリングは、これです」


 俺は、あらかじめ用意しておいたピッチャーから、氷をたっぷり入れたグラスに鮮やかなオレンジ色の液体を注いだ。


「タイのアイスティー、『チャー・イェン』です。……タイ産のバニラのような独特の甘い香りがする茶葉を濃いめに抽出し、そこにコンデンスミルクとエバミルクをたっぷりと加えてあります」


 裕里子がグラスを受け取り、訝しげに一口飲んだ。


「……甘い。これでもかってくらい甘いわね」

「ええ。でも、その後にレチョンを食べてみてください」


 裕里子がパリパリの皮が付いた肉を頬張る。

 咀嚼するたびに、彼女の表情が驚きに変わっていった。


「……なるほど。強烈な塩気と豚の脂を、この暴力的な甘さとスパイスの香りが完全に包み込んで、中和するのね。……甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱい。これは……無限に食べられるわ」

「でしょ? 東南アジアの気候が生んだ、究極のカロリーサイクルです」


 俺が自慢げに言うと、由希さんやくるみさんも「美味しいわ」「罪深い味ね」と笑顔で肉と甘いお茶の往復運動に没頭し始めた。


 だが、この至福の時間は、長くは続かなかった。

 食事を終え、俺がコーヒーを淹れ直している時だった。

 アジトのインターホンが、重々しく鳴り響いたのだ。


★★★★★★★★★★★


「……こんな時間に、申し訳ありません」


 応接室のソファに腰掛けたのは、スーツをパシッと着こなした20代後半の男性だった。

 名前は新海。

 だが、その身なりとは裏腹に、彼の顔色は土気色で、目は落ち窪み、手は微かに震えていた。過労と極度のストレスに晒され続けた人間の顔だ。


「霞が関の……『国家再建戦略局』という部署で、官僚をしております」


 その言葉に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。

 クロノスが「人間破壊マニュアル」を納品しようとしている相手。まさに敵のど真ん中だ。


「退職代行の依頼ね。……国家公務員が、わざわざこんな裏の組織を頼ってくるなんて、よっぽどの理由があるんでしょうね?」


 由希さんが冷ややかに尋ねる。


「はい。……もう、自分の中の『正義』が壊れてしまいそうで」


 新海さんは、震える手で分厚い資料のコピーをテーブルに置いた。


「私の部署は現在、『プロジェクト・オーバーライト』という法案の策定を進めています。……実態はすでにご存知かもしれませんが、私はそのデータを『適正に見えるように』改ざんする作業を強要されています」

「公文書の改ざん……。立派な犯罪ね」


 くるみさんが静かに呟く。


「辞めたいと、局長の神宮寺に申し出ました。ですが……」


 新海さんは顔を覆った。


「『これは国家のための聖戦だ。ここで逃げるなら、お前の経歴に傷をつけ、一生日の目を見ない部署に左遷する。家族の将来もどうなるか分からんぞ』と脅されました。連日、省庁の地下室に軟禁され、月300時間の残業を強いられています。……もう、限界なんです」


 国家権力を笠に着た、最悪のモラハラと監禁だ。

 民間企業のブラック社長など可愛く見えるほどの、逃げ場のない絶対的な絶望。


「……サトル」


 裕里子が、ソファからゆっくりと立ち上がった。

 彼女の瞳には、かつてないほどの鋭い殺意が宿っていた。


「私の古巣のクソみたいな計画に、真面目な若者を巻き込むなんて……許せないわね」

「同感です。……でも裕里子さん、相手は霞が関の省庁ですよ。いつものように窓ガラスを割って侵入するわけにはいきません。すぐに機動隊が飛んできます」


 俺が至極真っ当な懸念を口にすると、部屋の奥から、妖艶な笑い声が響いた。


「あら。窓から入れないなら、正面玄関から堂々とレッドカーペットを歩いて入ればいいじゃない」


 真紅のドレスを翻し、三浦陽子さんが優雅に歩み出てきた。

 コンフィデンスウーマンの瞳が、爛々と輝いている。


「お役所仕事のトップなんて、権威と肩書きに弱い張り子の虎よ。……最高のVIP待遇で、内側から食い破ってあげるわ」


★★★★★★★★★★★


 翌日の午後。

 霞が関にそびえ立つ、重厚な官庁のビル。

 その正面玄関に、一台の黒塗りのハイヤーが横付けされた。


「……サトル。背筋を伸ばしなさい。あんたは今、大物政治家の第一秘書よ」

「分かっていますよ、陽子さん」


 俺はパリッとしたスリーピースのスーツを着こなし、車のドアを開けた。

 降り立った陽子さんは、シックなシャネルのスーツに身を包み、大ぶりのサングラスで顔を隠している。そのオーラは、どこからどう見ても「政界の裏を牛耳る大物フィクサーの代理人」だった。

 さらに、俺たちの背後には、シックなタイトスカート姿の由希さん、黒のパンツスーツにサングラス姿の裕里子、そして書類鞄を抱えてうつむく新海さんが続いている。


「アストリッド、システムの偽装は?」

『完璧だよん! 受付の入館システムに、陽子サンの偽造ID(特命コンサルタント・キャサリン・ミウラ)と同行スタッフの情報をVIP権限で登録済み!』


 インカム越しの報告を聞き、俺たちは堂々とセキュリティゲートを通過した。

 警備員も受付も、陽子さんの放つ圧倒的な威圧感と、システム上の「VIP」の表示を見て、最敬礼で俺たちを通した。


 エレベーターで上層階の『国家再建戦略局』のフロアへ向かう。


「失礼。神宮寺局長はおいでかしら?」


 陽子さんが受付の職員に声をかけると、すぐに奥から恰腹の良い五十代の男が現れた。

 神宮寺局長だ。高級なスーツを着ているが、その目つきはヘビのように狡猾だった。


「おや、これはこれは。キャサリン先生。与党の〇〇幹事長からお話は伺っております。プロジェクト・オーバーライトの『外部監査』のためにいらしたとか」

「ええ。幹事長もこの法案には並々ならぬ関心を寄せておりましてよ。……特に、クロノス社との連携データについて、少し確認させていただきたく」


 陽子さんが「クロノス」の名前を出した瞬間、神宮寺の顔色が一瞬だけ変わった。


「……監査、ですか。それはご苦労なことです。しかし、データは全て適正に処理されておりますよ」

「あら、疑っているわけではありませんの。ただ、幹事長を安心させるための『手続き』ですわ。……それとも、何か見られては困るものでも?」


 陽子さんがサングラスを少しずらし、妖艶な笑みで神宮寺を射抜く。

 権力に弱い官僚は、大物政治家の影をチラつかせられれば逆らえない。


「……滅相もない。どうぞ、こちらへ。原本のデータをお見せしましょう」


 神宮寺は引きつった笑みを浮かべ、俺たち一行を奥の局長室へと案内した。


 局長室のデスクには、厳重なロックのかかった専用端末が置かれていた。

 神宮寺がパスワードを入力し、画面を開く。

 敵のネットワークにはフェンリルが構築した強固な防壁が存在する。外部からWi-Fi電波を拾うだけの安易なスキミングでは弾かれてしまうのだ。


「キャサリン様、どうぞご覧ください。これが我が局の完璧なデータです」


 神宮寺が画面を指し示した瞬間、陽子さんが「あら?」と大げさな声を上げ、わざとらしく持っていたブランドバッグを床に落とした。

 中身が散乱する。


「おっと、失礼いたしました!」

「あ、私が拾います!」


 神宮寺が慌ててしゃがみ込んだその数秒の隙を、俺は見逃さなかった。

 俺は神宮寺のデスクの裏側に回り込み、PCの物理USBポートに、アストリッド特製の「物理ハッキング・ドングル」を素早く突き刺した。


『接続確認! いくらフェンリルが外部からの攻撃を鉄壁に防いでも、内部の物理ポートから直接ブチ込まれたらどうしようもないよん! データ、全部いただくね!』


 インカムからアストリッドの勝ち誇った声が響く。

 数十秒で、新海さんに強要していた公文書改ざんの履歴と、クロノスからの裏金の入金記録のダウンロードが完了した。


「……了解だ。サクセス」


 俺は小声で呟き、ドングルを素早く回収して元の位置に戻った。

 神宮寺が立ち上がった時には、俺は涼しい顔で「秘書」の立ち位置に復帰していた。


「素晴らしいデータですわね、神宮寺局長。これなら幹事長も安心されるでしょう」

「ははは、当然です。我々は国家のために、完璧な仕事をしておりますから」


 神宮寺が傲慢に笑う。

 陽子さんは優雅に立ち上がり、俺に目配せをした。


「サトル。……そろそろ『本番』の時間ね」

「はい」


 俺が頷くと同時に、ボディーガードに扮していた裕里子が音もなく動き、局長室の重厚なドアの鍵をガチャンと内側からロックした。

 さらに、デスクの横にあるスマートリモコンのパネルを操作し、局長室のブラインドを一斉に下ろす。

 差し込んでいた午後の陽光が遮断され、部屋が薄暗い闇に包まれた。


「……な、何をしているんだ君たちは!」


 神宮寺がパニックになり、デスクの非常ボタンを押そうとする。

 だが、裕里子の動きの方が圧倒的に速かった。

 彼女はデスクを飛び越え、神宮寺の腕を掴んでねじり上げると、そのまま顔面を机の天板に叩きつけた。


「グガァッ!」

「動かないで。公務執行妨害で逮捕されたくはないから、怪我はさせないわ。……ちょっと痛いだけよ」


 裕里子が冷たく言い放つ。


「な、なんだ貴様らは! テロリストか!」

「ただの退職代行屋よ。外は昼間でも、ブラインドが閉まったら、ここはもう『深夜0時』なのよ。……お役所仕事はここまでよ」


 裕里子がダマスカス鋼の退職届を取り出し、神宮寺の顔の横に突き立てた。


 続いて、法務顧問役の由希さんが、分厚いファイルを神宮寺の目の前に叩きつけた。


「神宮寺局長。当職は新海氏の代理人弁護士です。貴方が彼に強要した公文書の改ざん、および違法な長時間労働と脅迫の証拠は、物理ハッキングにより先ほどすべて押さえました。今この瞬間、東京地検特捜部と主要マスコミ各社に送信されています」

「なっ……!」


 由希さんの冷徹な宣告に、神宮寺の顔面が蒼白になる。

 その後ろで、怯えていた新海さんが、震えながらも真っ直ぐに顔を上げた。


「……神宮寺局長。私は、今日で辞めさせていただきます」

「き、貴様ぁ……!」


 陽子さんがサングラスを外し、神宮寺を見下ろして妖艶に笑う。


「残念だったわね。私は監査じゃなくて、貴方の『お迎え』に来たのよ。……大物政治家の『幹事長』とやらも、このスキャンダルからは手を引くでしょうね」


 完全に退路を断たれた神宮寺は、床に這いつくばり、白目を剥いて震え上がった。

 国家権力を笠に着た傲慢な官僚は、物理と法律と詐欺のフルコースによって完全に失脚した。


★★★★★★★★★★★


 数時間後。

 霞が関のビルの裏手で、新海さんは深く頭を下げていた。


「本当に、ありがとうございました……! 皆さんがいなければ、私は罪を被って人生を終えていたかもしれません」


 彼の顔には、憑き物が落ちたような安堵の色が広がっていた。


「退職手続きは完了したわ。ゆっくり休みなさい。……でも、これで終わったわけじゃない」


 裕里子が、霞が関の巨大なビル群を見上げて呟いた。


「プロジェクト・オーバーライトの歯車を一つ壊しただけ。……本当の敵、『クロノス』の本丸はまだ無傷よ」


 俺も、その摩天楼を見上げる。

 神宮寺という官僚は失脚したが、国家の裏側に巣食う闇はまだ深い。

 だが、俺たちには最強のチームがある。どんなに巨大な敵でも、少しずつ、確実に食い破ってみせる。


「……サトル」

「はい、裕里子さん」

「帰ったら、あのレチョンの残り、まだあるわよね?」

「ええ。甘いタイティーも用意しますよ」


 戦いの後の腹ごしらえ。

 俺たちは確かな足取りで、ハイエースへと乗り込んだ。最大の決戦に向けて、英気を養うために。

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