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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第3章】 過去からの亡霊

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第28話 謎の組織「クロノス」

 抜けるような青空が広がる、休日の朝。

 俺は、アジトのリビングで黒猫のチビと戯れていた。

 チビのお気に入りである「羽つき猫じゃらし」を振ると、チビは小さな体をいっぱいに伸ばしてジャンプし、空中で見事に一回転して着地する。


「おっ、すごいなチビ。運動神経抜群じゃないか」

「ミャン!」


 チビが誇らしげに鳴いたその時、リビングのドアが勢いよく開いた。


「サトル先輩! 準備できた!?」


 現れたのは、潜入工作員の藤原冬美だった。

 今日の彼女は、いつものストリート系ファッションや、潜入用の制服姿とは全く違っていた。

 オフホワイトの肩出しニットに、歩くたびにふわりと揺れる淡いブルーのフレアスカート。足元は歩きやすそうなローヒールのパンプス。髪もいつものツインテールではなく、大人っぽくハーフアップにまとめている。

 普段の「元気なギャル」から一転、清楚で可愛らしい「年下の女の子」という雰囲気を全身から放っていた。


「お、おはよう冬美ちゃん。……なんか今日、すごく気合入ってるな。もしかして、どこかのお嬢様学校にでも潜入するのか?」

「はぁ!? なんでそうなるん!」


 冬美ちゃんは頬を膨らませて、ツカツカと俺の前に歩み寄り、腰に手を当てた。


「今日は完全なオフ! ウチの休日! そして、サトル先輩との『デート』の日やろ!」

「えっ、デート? 俺、今日のお昼に作り置きのカレーを仕込もうと……」

「カレーは明日でよか! 由希さんからもくるみさんからも、サトル先輩を一日借りる許可はもろとるけんね!」


 冬美ちゃんがドヤ顔で言うと、奥のダイニングからくるみさんが「いってらっしゃい、遠藤くん。楽しんできてね」と聖母の笑みで見送ってきた。

 どうやら外堀は完全に埋められているらしい。


「分かりましたよ。……で、どこに行くんだ?」

「フフン。今日は、東京ドームシティで遊び倒すばい!」


 というわけで、俺と冬美ちゃんは、休日の賑わう遊園地にやってきた。

 周りは家族連れや、楽しそうなカップルばかりだ。三十路の元社畜が、一回り近く年の離れた可愛い女の子と歩いていると、周囲の視線が少しだけ痛い。


「サトル先輩! 次はあれ乗るよ! あれ!」

「ちょ、待って冬美ちゃん! さっきジェットコースターに三連続で乗ったばかりで、俺の三半規管はもう限界……うっ」

「だらしかねー! そんなんじゃ、裕里子さんの無茶振りについていけんよ!」


 冬美ちゃんはケラケラと笑いながら、俺の腕を引っ張って次のアトラクションへと向かう。

 お化け屋敷では、元新体操部の反射神経で驚かせてきたゾンビ役を逆に驚かせ、シューティングゲームでは百発百中の腕前を披露して景品の巨大なぬいぐるみをゲットした。


 夕方になり、俺たちはようやく観覧車に乗って一息ついていた。

 夕日に染まる東京の街並みが、ゴンドラの窓からゆっくりと広がっていく。


「はぁ〜、楽しかった! サトル先輩、荷物持ちありがとうね」


 冬美ちゃんは、ゲットした巨大なクマのぬいぐるみを抱きしめながら、向かいの席で満足そうに笑った。


「俺はほとんど振り回されてただけだけどな。……でも、冬美ちゃんが楽しそうでよかったよ」

「んふふ。サトル先輩って、ほんとにお人好しやね。ウチみたいなガキのわがままに、文句一つ言わんと付き合ってくれて」

「ガキなんて思ってないよ。冬美ちゃんの潜入スキルと、あの土壇場の度胸には、いつも本当に助けられてるからな。……立派な相棒だと思ってる」


 俺が本心からそう言うと、冬美ちゃんは少しだけ顔を赤くして、窓の外に視線を逸らした。


「……相棒、か。えへへ、嬉しいこと言うやん」


 しばらく無言で夕焼けを眺めていた冬美ちゃんだったが、ふと、その横顔から「普通の女の子」の表情が消え、プロの工作員としての鋭い光が宿った。


「……ねえ、サトル先輩。ウチ、潜入していっつも思うんやけど」

「ん? どうした?」

「あのブラック企業や悪徳事務所の社長たち……なんか、『似てる』って思わん?」

「似てる? まあ、人を人とも思わないクズっぷりは共通してるけど」

「そういう性格の話やなくて、パワハラのやり方とか、人を追い詰める手口が、妙に『マニュアル化』されとるみたいでさ」


 冬美ちゃんは、クマのぬいぐるみの耳を弄りながら記憶を辿るように言った。


「ほら、前にウチが潜入したデザイン事務所の神田おったやん? あいつのデスクに、黒い革の手帳があったんよ。で、先週の大門人事部長の時も……そうそう、ヤクザの京極の金庫を開けた時も、ファイルの隙間に全く同じデザインの手帳が挟まっとった気がするんよね」


「黒い手帳……? そんなの、ただの偶然じゃないのか? ビジネスマンなら黒い手帳くらい普通に持つだろ」

「いや、ただの黒やない。表紙の右下に、金色の箔押しで『砂時計』みたいなマークが刻印されとった。ウチの記憶力、舐めたらいかんばい」


 冬美ちゃんの記憶力と観察眼は、俺たちの中でも群を抜いている。彼女が「同じだ」と言うなら、それは間違いなく同じものなのだろう。


「砂時計のマークが入った黒い手帳……」

「ウン。それに、どいつもこいつも『人材を効率的に使い捨てるためのメソッド』みたいなのを、まるで誰かに教わったみたいに忠実に実行しとった。……なんか、裏で糸引いとる奴がおる気がしてならんのよね」


 冬美ちゃんの直感に、俺は背筋が薄ら寒くなるのを感じた。

 点と点が、一本の線に繋がろうとしている。

 俺たちは遊園地を後にすると、急いでアジトへと戻った。


「砂時計のマークが入った手帳? オーケー、ちょっと待ってね」


 アジトのリビング。

 俺と冬美ちゃんから報告を受けたアストリッドは、すぐさまキーボードを叩き始めた。

 ダイニングテーブルには、裕里子、由希さん、くるみさん、グレタ、陽子さんと、メンバー全員が揃っている。


「過去のターゲットのPCから抜き出したデータと、企業間取引のログをクロス検索してみる。……キーワードは『砂時計』『手帳』『コンサルタント』……」


 アストリッドの指が高速で踊り、メインモニターに膨大なデータが滝のように流れていく。

 数分後。

 ピーン、と電子音が鳴り、モニターの中央に一つの企業のロゴが映し出された。

 黒い背景に、金色の砂時計のマーク。


「……見つけた。これだね」


 アストリッドの声が、いつもより一段低くなった。


「社名は『クロノス』。表向きは、大手からベンチャーまで幅広く手掛ける、人材育成と組織改革の経営コンサルティングファームだ。……でも、この黒い手帳は、彼らの『VIP顧客』だけに配られる、専用のアクセス・トークン付き端末みたい」


「クロノス……聞いたことがあるわ」


 由希さんが、腕を組みながら険しい顔をした。


「政財界にも太いパイプを持つ、新進気鋭のコンサル会社よ。彼らがコンサルに入った企業は、短期間で劇的に業績を伸ばすという噂だけど……」

「その『業績の伸ばし方』が、ヤバいんだよ」


 アストリッドが、クロノスの裏サーバーから引き上げたと思われる機密データを画面に表示した。


「これ、クロノスがVIP顧客に提供している『裏マニュアル』の一部。『労働者の自己肯定感を破壊し、依存状態を作り出すステップ』『合法的に残業代を未払いにし、退職を阻止する心理的圧迫法』……」

「……なんて悪趣味な」


 陽子さんが顔をしかめ、扇子で口元を覆う。


「つまり、クロノスは『従業員を限界まで搾取し、壊れるまで使い倒すためのメソッド』を高額で売り捌いているってこと?」

「それだけじゃないわ」


 くるみさんが、冷徹なプロファイラーの瞳でモニターのデータを睨みつけた。


「これは……『実験』よ」

「実験、ですか?」俺が尋ねる。

「ええ。クロノスは、クライアント企業を『実験場』にしているのよ。どの程度のストレスを与えれば人間が壊れるか。どうすれば最も効率よく人を洗脳できるか。そのデータを収集し、さらに高度な『人間破壊マニュアル』を構築している。……大門も、鮫島も、神田も、全員クロノスの手のひらの上で踊らされていた『被検体』の管理人に過ぎなかったのね」


 人を、壊れるまで使う実験。

 俺の脳裏に、かつてブラック企業で心を壊していった同期たちの顔が浮かんだ。

 彼らも、こんなふざけた実験の犠牲者だったというのか。

 怒りで、拳が震えた。


「……クロノス」


 ふと、部屋の空気が一瞬で凍りついた。

 声の主は、ボスの青木裕里子だった。


 彼女はソファからゆっくりと立ち上がった。

 その顔は、血の気が引いたように蒼白だったが、瞳の奥には、これまで俺が見たこともないような、どす黒く、底知れない「殺意」と「憎悪」が渦巻いていた。


 ピキッ。


 裕里子が握りしめていたコーヒーカップが、その異常な握力に耐えきれず、ひび割れる音がした。


「裕里子さん……?」

「……ついに、尻尾を掴んだわね」


 裕里子は、割れたカップからコーヒーが滴るのも気にせず、モニターに映る砂時計のロゴを、親の仇を見るような目で睨みつけていた。


「裕里子。あんた、クロノスを知ってるの?」


 由希さんが慎重に尋ねる。

 裕里子はゆっくりと振り向き、俺たち全員を見回した。


「知っているも何も……」


 裕里子の口から紡がれたのは、彼女自身の暗い過去に繋がる、衝撃的な一言だった。


「奴らこそが、私を『殺人兵器』として育て上げた……忌まわしい古巣よ」


 息を呑む音が、リビングに連鎖した。

 点と点が繋がり、俺たちがこれまで戦ってきた数々のブラック企業の背後に潜む、巨大な闇の正体が姿を現した瞬間だった。


 俺は、冬美ちゃんとのデートの戦利品である巨大なクマのぬいぐるみを抱えながら、ゴクリと唾を飲んだ。

 相手は、単なるブラック企業じゃない。

 人を壊すことを目的とする、巨大な悪の組織。


 ミッドナイト・エグジットの最大の戦いが、今、静かに幕を開けようとしていた。

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