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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第3章】 過去からの亡霊

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第23話 カチコミは深夜0時に

 深夜23時55分。

 ネオンの光も届かない、都内某所の雑居ビル前。ここが関東大江戸会の組事務所だ。

 黒塗りのハイエースが、エンジン音を殺して停車した。


「サトル、あんたは竜崎組長と一緒に車で待機してなさい。……由希、くるみ、行くわよ」


 後部座席から降り立ったボスの青木裕里子が、両手に持った特殊警棒をシャキッと伸ばす。

 その服の下には、先日の戦闘で負った肋骨の亀裂骨折を保護する分厚いコルセットが巻かれているはずだ。だが、彼女の足取りに迷いはなく、その瞳には獲物を前にした猛獣のような爛々とした光が宿っていた。


「裕里子さん、本当に大丈夫ですか? 怪我が……」

「痛みはスパイスよ。……それに、うちの可愛い後輩が孤立してるんだから、のんびりしてる暇はないわ」


 裕里子の背後に、分厚いファイルを持った顧問弁護士の由希と、冷ややかな聖母の微笑みを浮かべるくるみさんが続く。

 助手席に座る俺と、後部座席で青ざめている依頼人・竜崎組長は、ただ祈るようにその背中を見送ることしかできなかった。


 深夜0時00分。

 組事務所の重厚な鉄扉。

 裕里子がためらいなく前蹴りを放つと、ドガァァァン! という爆音と共に、扉が蝶番ごと吹き飛んだ。


「深夜0時。……退職代行の時間よ」


 土煙が舞う中、裕里子が事務所の1階・待機室に足を踏み入れる。

 そこには、突然の襲撃に唖然とする数十人の若い組員たちがいた。


「な、なんだテメェら!」

「女ぁ!? ウチをどこだと思ってやがる、舐めやがって!」


 組員たちが一斉に立ち上がり、壁に飾られていた日本刀やドス、鉄パイプを手に襲いかかってきた。深夜の市街地でチャカを使えばサツがうるさいため、まずは刃物で制圧しようという腹だろう。


「刃物ね。……上等じゃない」


 裕里子は、入り口付近に折りたたんで置かれていたパイプ椅子を片手で掴み上げた。

 先陣を切って、日本刀を上段から振り下ろしてくる組員。

 裕里子は一歩も引かず、パイプ椅子のスチール製の座面でその刃をガァン!と受け止めた。火花が散る。

 そして、刀が弾かれた隙を見逃さず、そのまま椅子の硬い脚の部分を組員の顔面にフルスイングで叩き込んだ。


「ガハッ!」

「一人目」


 倒れ込む組員を踏み台にして、裕里子は宙を舞った。

 次々と迫る刃物を、パイプ椅子という最強の盾と鈍器で的確に捌いていく。

 素手による関節技と、パイプ椅子の遠心力を利用した打撃の嵐。


 「グォォッ!」「腕が……折れたぁ!」


 あっという間に、1階の組員たちは床に転がり、呻き声を上げるだけの肉塊に変わった。

 骨折しているはずの裕里子だが、アドレナリンが痛みを完全に凌駕しているようだ。


「裕里子さーん!」


 その時、2階の階段から、特攻服姿の藤原冬美が転がり降りてきた。


「冬美! 無事だったのね」

「ウチを誰だと思ってるん! 見回りのオッサンくらい、消火器の粉ぶちまけて金的蹴りで一発よ!」


 冬美はニカっと笑い、その手には金庫から奪ったファイルがしっかりと握られていた。


「……大した女だ。まさか、あの小娘の仲間が正面からカチコミをかけてくるとはな」


 拍手と共に、2階の奥から若頭の京極がゆっくりと降りてきた。

 顔の傷をヒクつかせながら、余裕の笑みを浮かべている。


「だが、ここで終わりだ」


 京極が懐から黒光りする拳銃を取り出した。

 カチャリと撃鉄を起こす音が、静まり返った事務所に響く。


「銃ね……。コンプラ違反も甚だしいわ」

「死人にコンプラもクソもあるか。……死ね!」


 京極が引き金に指をかけた、その瞬間。


「そこまでです、京極さん」


 裕里子の背後から、由希とくるみが静かに進み出た。

 由希は冬美から受け取ったファイルを高く掲げた。


「そのファイルの中身、確認させていただきました。……関西の『関西武闘会』との密約書。そして、竜崎組長の暗殺計画書」


 京極の顔色が一瞬で青ざめた。


「貴方が組長を裏切り、資産を奪って組織を乗っ取ろうとしている証拠は、すでに警察のマル暴と、関西の組織の『敵対派閥』にデータ送信予約済みです」

「なっ……!」


「さらに」


 くるみが、一切の感情を感じさせない聖母の微笑みを浮かべる。


「組長の本当の資産である『裏口座の資金』は、すでにウチの優秀なハッカーが海外のダミー口座に全額送金いたしましたわ。事務所の金庫にある札束程度じゃ、関西の組織への手土産には足りませんよね?」

「き、貴様ら……俺のシノギを……!」


 激昂した京極が、我を忘れて銃を乱射しようとした瞬間。

 裕里子が手にしたパイプ椅子を、フリスビーのように全力で投げつけた。


「痛ァッ!」


 鋼鉄の椅子が京極の手首に直撃し、銃が弾け飛んで床に落ちる。

 すかさず裕里子が間合いを詰め、京極の鳩尾に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。


「ゴハッ……!」


 京極は白目を剥いて、階段を転げ落ちた。


「……終わったようじゃな」


 開け放たれた扉から、俺に付き添われた竜崎組長が入ってきた。

 竜崎組長は、床に倒れ伏す京極と、散乱した暗殺計画書を見て、静かに、そして深く目を閉じた。


「……京極。お前には失望したぞ」

「お、親父……これは……違う、俺は組のために……」

「ワシは今日をもって引退する。そして、関東大江戸会は解散じゃ。……お前は、破門じゃ」


 竜崎組長は重々しく言い渡すと、裕里子が差し出した「修復済みのダマスカス鋼の退職届」に、自らの親指を短刀で切りつけ、血判を力強く押した。


「これで、ワシもカタギじゃ……」


 大の男が、いや、極道のトップとして君臨してきた老人が、ポロポロと大粒の涙を流して泣いていた。


「家族の命も、これでお前らから解放されるんじゃな……」

「ええ。無事に退職手続き、完了しました。お疲れ様でした、竜崎さん」


 裕里子が、珍しく優しい声で言った。

 依頼完了。

 俺たちの前代未聞の対ヤクザ退職代行は、こうして幕を閉じた。


 アジトへの帰還。

 時刻は午前2時を回っていた。

 極度の緊張の糸が切れ、全員がリビングのソファやカーペットにぐったりと倒れ込んでいる。


「あー! 死ぬかと思った! 腹減ったー!」

「サトル、夜食。なんかジャンクなやつが食べたいわ……」


 冬美と裕里子が、ソファーに沈み込みながら俺に要求してくる。


「もう、あの狂犬の相手をして肩が凝ったわ。サトル、後でマッサージしてちょうだい」


 高級クラブから無事に合流した陽子さんも、着物を脱ぎ捨ててカーペットに寝転がっている。


「銃創のオペがなくて残念だわ」


 と、グレタさんが白衣のまま気怠そうに呟いた。


 深夜2時のジャンクフード。最悪のギルティだが、今夜くらいは許されるだろう。


「ジャンクですね……よし、最高のやつを作りましょう」


 俺はエプロンを締め、キッチンに立ち、冷蔵庫から泥付きの大きな男爵いもをいくつか取り出した。

 深夜に食べる、完全手作りのポテトチップス。これ以上の背徳感はない。


 調理開始。

 まずはジャガイモの皮を丁寧に剥き、スライサーを使って1ミリ以下の極薄にスライスしていく。シャッ、シャッというリズミカルな音がキッチンに響く。

 ここからが重要だ。スライスしたジャガイモをたっぷりの水にさらし、表面のデンプン質を完全に洗い流す。水が透明になるまで三度ほど水を替える。この一手間が、市販品を超える「プロのパリパリ感」を生み出すのだ。

 ザルに上げ、キッチンペーパーを何枚も使って、一枚ずつ完全に水気を拭き取る。水分が残っていると油ハネの原因になるし、食感も重くなってしまう。


 深めの鍋に新しいサラダ油をたっぷりと注ぎ、160度の低温に設定する。

 水気を切ったジャガイモを、重ならないように静かに投入。ジュワァァァ……という心地よい音と共に、じっくりと水分を飛ばしていく。シュワシュワという細かな泡が立たなくなるまで、焦らずに見守る。

 一度ザルに引き上げ、今度は油の温度を一気に190度の高温に上げる。

 そこに再びジャガイモを投入し、数十秒、二度揚げする。

 縁がうっすらときつね色に色づき、全体がカリッと波打ったら、素早く引き上げて油をよく切る。


 熱いうちに、大きめのボウルに入れて味付けだ。

 今回は大人の夜食。塩はただの塩ではなく、香りの強い「トリュフソルト」を使用する。さらに、粗挽きの黒胡椒をたっぷりと挽き入れる。

 ボウルを大きく煽って全体にフレーバーを纏わせれば、プロ顔負けの「自家製トリュフ・ポテトチップス」の完成だ。


「お待たせしました」


 山盛りのポテトチップスをテーブルの中央に置くと、トリュフの芳醇でエロティックな香りがリビングいっぱいに広がった。


「うわっ、なにこれ! めっちゃいい匂い!」


 冬美が真っ先に手を伸ばし、一枚口に放り込む。

 パリッ! と心地よい音が弾けた。


「……ヤバっ! パリッパリやし、トリュフの香りが鼻から抜ける! 市販のやつと全然違うやん!」


「そして、それに合わせるお酒は、これです」


 俺は氷水でキンキンに冷やしておいたボトルを抜栓した。

 フランス・ブルターニュ地方産の「シードル」。リンゴから造られた発泡酒だ。それも、甘口ではなく「ブリュット」。

 シャンパングラスに注ぐと、黄金色の液体の中にきめ細かい泡が立ち昇る。


「ポテトチップスの油分とトリュフの強い香りを、辛口のシードルの爽やかなリンゴの酸味と炭酸が、スッキリと洗い流してくれます。最高のペアリングですよ」


 由希さんがグラスを受け取り、一口飲んで、チップスを齧る。


「……完璧ね。ビールもいいけど、このシードルのフルーティな辛口が、揚げ物の重さを完全に中和してくれる。これなら深夜でも無限に食べられそうだわ」

「サトル・サン、天才! ハッキングしながら食べるのにも最高だよん!」


 アストリッドも両手にチップスを持ってご機嫌だ。

 裕里子も無言でチップスを口に運び、シードルを呷っている。その表情は、先ほどのヤクザ相手の修羅の顔とは打って変わって、とても穏やかだった。


「……サトル」


 裕里子がぽつりと言う。


「はい?」

「明日は午後まで寝るから、お昼ご飯は少し重めでお願いね。……それと、お疲れ様」

「了解です」


 深夜のアジトに、ポテトチップスが弾ける小気味よい音が響き続ける。

 極道の闇から一人の老人を救い出した夜は、トリュフとリンゴの香りに包まれて、平和に更けていった。

 部屋の隅では、黒猫のチビもキャットタワーの上で丸くなってスヤスヤと眠っている。


 ちなみに。

 俺の借金は、竜崎組長の裏金庫からの莫大な報酬でチャラになる……はずだったが、くるみさんから「あの報酬は全額、組織の運転資金としてプールしますわ」と非情な宣告を受けていた。


『遠藤くんの借金は、地道に労働で返してね』


 ……俺の退職代行屋での生活は、まだまだ続きそうだ。

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