第18話 アジト防衛戦
休日の午後。
俺は、表参道の高級ブティックが立ち並ぶストリートで、紙袋の山に埋もれそうになっていた。
「サトル! 次はあっちのセレクトショップよ! 早く早く!」
数歩前を歩くのは、コンフィデンスウーマンの三浦陽子さんだ。
今日の彼女は、鮮やかなエメラルドグリーンのサマードレスに、つば広の麦わら帽子という、まるでモナコにでもバカンスに来たハリウッド女優のような出で立ちだった。道行く人が皆、彼女の放つ華やかなオーラに釘付けになっている。
「陽子さん、もう俺の腕の限界です……。これ以上持ったら、千切れますって」
「だらしないわね。私のエスコート役なら、最低でも荷物の十個や二十個、スマートに持ちこなして見せなさいな」
由希さん、グレタさん、冬美ちゃんに続き、今日は陽子さんの「デート」に付き合わされている。
洋館のアジトでは、裕里子、くるみさん、由希さんの「大人組」が、揃って高級スパリゾートへと出かけており、俺は非番のメンバーたちの世話役に回されていたのだ。
「それにしても、陽子さんは本当に服が好きですよね。毎回潜入のたびに新調してませんか?」
「当たり前よ。役を生きるには、まず衣装から。それに、美しい服は私に『魔法』をかけてくれるの」
陽子さんは立ち止まり、俺に向かってウインクをした。
「サトル。人生は舞台よ。どうせ演じるなら、最高の衣装で、最高のスポットライトを浴びて、ドラマティックに生きなきゃ損じゃない?」
彼女の言葉は、いつも大げさだけれど、不思議と嫌味がない。
本当に人生という舞台を楽しんでいるのが伝わってくるからだ。
社畜として、常に他人の顔色をうかがって「脇役」どころか「エキストラ以下の背景」として生きてきた俺にとって、彼女のその堂々とした生き方は、少しだけ眩しかった。
「そうですね。……俺の人生の舞台は、今は荷物持ちの村人Aってところですが」
「ふふっ、卑屈にならないの。あんたは私の大切な共演者よ。さあ、次はカフェでシャンパンでも飲みましょうか!」
陽子さんに手を引かれ、俺たちは賑やかな表参道を満喫した。
夕方。
大量の戦利品と共に、俺たちはアジトである洋館に帰還した。
重厚な玄関扉を開けると、足元にチビが「ミャウ」と擦り寄ってくる。
「ただいま、チビ。みんないるか?」
リビングを覗くと、ソファで冬美ちゃんが口を開けて爆睡しており、アストリッドはノイズキャンセリングのヘッドホンをつけてPCモニターを凝視し、一心不乱にキーボードを叩いていた。グレタさんは地下の実験室にこもったまま出てきていない。
スパに行った大人組三人は、まだ帰ってきていない。
俺は荷物を置き、キッチンに向かおうとした。
その時だった。
ピピピッ! ピピピッ!
アストリッドのPCから、甲高いアラート音が鳴り響いた。
ヘッドホンを外したアストリッドが、血相を変えて立ち上がる。
「サトル・サン! ボスは!?」
「えっ、まだスパから帰ってないけど……どうしたんだ?」
「マズいよ! アジトの敷地内に、不審者が侵入した! それも、一人や二人じゃない!」
アストリッドがモニターを指差す。
監視カメラの映像には、金属バットや鉄パイプを持った、柄の悪い男たちが十数人、洋館を取り囲むように近づいてくる様子が映っていた。
「なっ……なんだこいつら!?」
「顔認証データベースと照合……ビンゴ! 以前ウチが潰した、居酒屋チェーンの鮫島や、デザイン事務所の神田の取り巻きだ! あいつら、逆恨みで裏の半グレ集団を雇って、ウチを襲撃しに来たんだ!」
背筋が凍った。
警察を呼ぶか? いや、ダメだ。この洋館には、裕里子さんの違法な武器庫や、アストリッドのハッキング機材、グレタさんの劇薬など、警察に見られたら一発で全員逮捕される代物が山ほどある。
つまり、自分たちでなんとかするしかない。
「どうするの、サトル! アタシはシステム防衛で動けないし、フユミは寝てるし、グレタは地下だし! 実質、動けるのはサトルとヨウコだけだよ!」
アストリッドの悲鳴に近い声。
俺は絶望的な状況に、一瞬めまいがした。
戦闘のプロである裕里子がいない。最強の盾である由希さんも、心理戦のくるみさんもいない。
残されたのは、ただの家事手伝いの元社畜と、女優(詐欺師)だけだ。
「……面白くなってきたじゃない」
俺の隣で、陽子さんが不敵な笑みを浮かべた。
彼女は買ってきたばかりのヒールを脱ぎ捨て、裸足になると、燃えるような瞳で俺を見た。
「サトル。舞台の幕が上がるわよ。……私たちが、最高の『おもてなし』をしてあげましょう」
「陽子さん……」
「あんた、この屋敷の『総務部長』なんでしょ? だったら、備品の配置から建物の構造まで、誰よりも把握してるはずじゃない。……あんたの得意な『事務処理』で、あいつらを処理してやりなさい!」
その言葉に、俺の中で何かがカチリと音を立てて切り替わった。
そうだ。
俺は、この広大な洋館の掃除、洗濯、日用品の補充を一人でこなしている。
どこに何があるか、どの床が滑りやすいか、どのドアの立て付けが悪いか、すべて頭に入っている。
「……アストリッド。敵の現在位置は?」
「東側の勝手口から、五人。正面玄関から、八人!」
「よし。陽子さん、手伝ってください」
俺の脳内で、洋館の見取り図と、手持ちの「家事アイテム」がパズルのように組み合わさっていく。
暴力がいないなら、知恵と家事で戦うしかない。
「おい、本当にここに例の女たちがいるのか?」
「ああ、鮫島のオヤジが多額の懸賞金を懸けてる。女どもは売り飛ばして、男がいたら殺せってな」
ガチャン!
勝手口のガラスが割られ、半グレの男たちが土足でキッチンへと侵入してきた。
薄暗い廊下を、懐中電灯の光が舐めるように進む。
「……ん? なんだこれ」
先頭を歩いていた男が、床に足を踏み入れた瞬間だった。
「うおわっ!?」
ズルッ! と派手な音を立てて、男の足が宙を舞った。
そのまま後頭部を強打し、床に倒れ込む。
「おい、どうした!」
「ゆ、床が……ぬるぬるしてやがる!」
俺が仕掛けた第一の罠。
『特製・超高濃度食器用洗剤&サラダ油のブレンドローション』だ。
毎日の床磨きで、どのワックスが一番滑るかを熟知している俺の集大成である。
「くそっ、ふざけやがって……!」
後続の男たちが、倒れた男をまたいで進もうとする。
だが、その先には。
ジャリッ、ジャリッ……。
「いてっ! なんだこれ、石か!?」
「足の裏が……ああっ!」
第二の罠。
チビのトイレ用に買っておいた『大粒の高級猫砂』だ。
硬くて丸いペレット状の猫砂は、靴の裏に入り込むと強烈な痛みと滑りを誘発する。ローションと猫砂のコンボで、男たちは次々とバランスを崩し、ボーリングのピンのように倒れていく。
「な、なんだこの屋敷は! ホーム・アローンかよ!」
パニックに陥る男たちの頭上から、ウィィィィン……という無機質なモーター音が響いた。
「えっ……?」
廊下の奥から、高速で迫り来る丸い物体。
俺が魔改造した『お掃除ロボット・ルンバ』だ。
ルンバの背中には、アストリッドのドローン用予備バッテリーが積まれ、前面にはキッチンの包丁と、スタンガンがガムテープでぐるぐる巻きに固定されている。
「いけっ! ルンバ1号!」
物陰から俺が叫ぶ。
放たれたルンバは、センサーで障害物を的確に捉え、特攻を仕掛けた。
「ギャァァァァッ!?」
「足が! 刺さった! ビリビリするぅぅ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図。
勝手口からの侵入部隊は、わずか数分で完全に制圧された。
一方、正面玄関から侵入した八人の男たち。
彼らは、不気味なほど静まり返ったメインホールで立ち止まっていた。
「……おい、なんだこれ。気味が悪いぞ」
突如、ホールの照明が完全に落ち、真っ暗闇に包まれる。
そして。
ボワァァァ……と、床から白い霧が立ち込め始めた。
さらに、ピンポイントで赤いスポットライトが、大階段の踊り場を照らし出す。
「ウラメシヤァァァ……」
スピーカーから、おどろおどろしい効果音と、エコーのかかった女の恨み節が響き渡る。
陽子さんの「舞台演出」だ。
「ひっ!? ゆ、幽霊!?」
「馬鹿野郎、こんなもんただの演出だ! ビビるな!」
リーダー格の男が怒鳴った瞬間。
ブォンッ!
踊り場に設置された巨大な送風機が、全力で稼働した。
「うわっ、風が……げほっ! ごほっ!!」
ただの風ではない。
送風機の前にセットされていたのは、グレタさんの実験室から拝借した『キャロライナ・リーパーの粉末』と『強力小麦粉』のミックスパウダーだ。
致死量のカプサイシンを含んだ赤い粉塵が、スモークと共にホール中に散布される。
「目があぁぁぁ! 目がぁぁぁぁ!」
「息ができないっ! 痛い! 顔が燃えるぅぅぅ!」
男たちは武器を放り出し、顔を掻きむしりながら床をのたうち回った。
完全なる制圧。
俺と陽子さんは、ガスマスクを装着しながら、二階の吹き抜けからその様子を見下ろしていた。
「……ふふっ。大成功ね、サトル」
「はい。家事と舞台演出の勝利です」
俺たちがハイタッチを交わそうとした、その時だった。
ガチャリ。
玄関の扉が、ゆっくりと開いた。
「……何よこれ」
そこに立っていたのは、高級スパの帰りらしく、少し濡れた髪をタオルで拭きながら呆然と立ち尽くす、裕里子、由希さん、くるみさんの三人だった。
「ボ、ボス! お帰りなさい!」
俺が二階から声をかけると、裕里子は床をのたうち回る半グレたちと、粉塵とローションと猫砂でめちゃくちゃになったエントランスを見渡し、ピキリとこめかみに青筋を立てた。
「サトル……。あんた、私の城をこんなに汚して……どういうつもり?」
「えっ、いや、これは防衛戦で!」
「掃除の邪魔をするゴミは、消去よ」
裕里子はため息をつくと、のたうち回る半グレのリーダーの首根っこを掴み上げ、容赦のない右ストレートを顔面に叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
一撃。
ただの一撃で、男は白目を剥いて気絶した。
……俺たちの苦労と罠の数々は、一体何だったのだろうか。
深夜。
警察に半グレたちを引き渡し、事態が収拾した後のリビング。
俺はバケツとモップを持ち、涙目でエントランスの赤い粉塵とローションを拭き掃除していた。
「まったく……。これの清掃代、遠藤くんの借金に上乗せしておきますからね」
くるみさんが、ソファーで紅茶を飲みながら笑顔で宣告する。
「そ、そんな殺生な! 俺はアジトを守ったんですよ!?」
「でも、汚したのは貴方でしょう? 原状回復は基本よ」
絶望する俺の背中を、陽子さんがポンと叩いた。
「気にすることないわ、サトル! 今日のあんたの演出、最高だったわよ! 私専属の舞台監督にしてあげたいくらい!」
「慰めになってませんよ、陽子さん……」
騒がしい夜。
理不尽な借金と、最強の仲間たち。
俺はため息をつきながらも、どこか誇らしい気持ちでモップを握り直した。
退職代行屋の総務部長兼、トラップメイカー。
俺の履歴書に、また一つおかしなスキルが刻まれた夜だった。




