第14話 限界集落の村八分(後編)
限界集落・夜叉神村の夜は暗く、そして異様に静かだった。
俺たちが通された村の古い民宿。窓の外からは虫の音すら聞こえず、ただ重苦しい空気が漂っている。
時刻は22時。
ギシッ……と廊下の床板が鳴り、部屋の襖が細く開いた。
「……あの、ミッドナイト・エグジットの皆さん」
「入りなさい、木下さん」
くるみが招き入れたのは、依頼人の役場職員・木下誠だった。
彼は怯えた様子で周囲を窺いながら、抱えていた分厚いファイルをテーブルに置いた。
「これ……村長が役場の裏金を作っている帳簿のコピーと、国からの過疎対策補助金を自分の土建会社に横流ししている証拠です。ずっと、これを告発する機会を伺っていたんですが……」
「よくやったわ。これで村長の『権力』の根源は叩き潰せる」
由希がファイルを手に取り、冷酷な笑みを浮かべる。
これで法的・社会的に村長を追い詰める準備は整った。
だが、その時。
『ボス! サトル・サン! 外見て!』
インカムから、離れた場所に駐車したハイエースで待機しているアストリッドの焦った声が響いた。
俺がそっと窓の隙間から外を覗くと、ゾッとするような光景が広がっていた。
松明や強力な懐中電灯を持った男たちが数十人、民宿の周囲を取り囲んでいたのだ。手には鍬や鎌、中には猟銃を持っている者までいる。
先頭に立っているのは、郷原村長だ。
「……よそ者が、誠をそそのかして村の掟を乱そうとしとるのは分かっとるんやぞ! 大人しく出てこい!」
郷原の怒声が響く。
どうやら、木下が俺たちに接触したことがバレていたらしい。閉鎖的な村の監視網を甘く見ていた。
「ひっ……! 青年団の人たちだ……! 殺される!」
木下が頭を抱えてしゃがみ込む。
だが、裕里子はどこ吹く風で、レザージャケットのジッパーを上げた。
「大歓迎じゃない。サトル、あんたは木下さんと由希、くるみを連れて裏口から抜けなさい。私と冬美で、少し『間引き』してくるわ」
「間引きって……相手は猟銃持ってますよ!」
「問題ないっすよ、サトル先輩!」
明るい茶髪にギャルメイクの冬美が、アキレス腱を伸ばすストレッチをしながらウィンクした。
「ウチ、元新体操部なんで。山の中なら誰にも負けへんよ!」
裕里子と冬美は、音もなく窓から裏山の暗闇へと消えていった。
裏山の斜面は、まさに地の利を活かしたゲリラ戦の舞台となった。
「逃げたぞ! 追え!」
血走った目で斜面を登ってくる青年団の男たち。
だが、暗闇の木々の中から、突然俊敏な影が舞い降りた。
「ヒャッハー!」
冬美だ。彼女は太い木の枝を鉄棒のように使い、大車輪の要領で勢いをつけて飛び出した。
手には、どこから拾ってきたのか長い丈夫な蔦を握っている。
それはまるで新体操のリボンのように宙を舞い、先頭を走っていた男の足首に絡みついた。
「うわっ!?」
「はい一丁上がりー!」
冬美が蔦を引くと、男は派手に転倒し、後続の男たちを巻き込んでドミノ倒しのように斜面を転げ落ちていく。
「な、なんだあの女は! 猿か!?」
「失礼な! 妖精って呼びなさい!」
冬美の軽業に気を取られている男たちの背後に、黒い影が音もなく忍び寄る。
裕里子だ。
彼女は流れるようなCQC(近接格闘術)で、銃を構える間も与えずに次々と男たちの鳩尾に拳を沈め、顎を的確に刈り取っていく。
「ふふっ……田舎の空気は美味しいけど、ちょっと血の気が多すぎるわね」
バタバタと倒れていく男たち。
その頃、アストリッドのハイエースでは。
「オッケー! 村のネットワーク、完全に掌握完了! 防災無線のシステムにアクセス成功したよん!」
彼女はキーボードを叩きながら、満面の笑みを浮かべた。
「さーて、この陰気な村に、アキハバラの光を届けてあげる!」
カアァァァ……。
突然、村中に設置された防災無線のスピーカーから、ノイズ音と共に大音量の音楽が鳴り響いた。
それは、ハイテンポで電波な魔法少女アニメのオープニングテーマだった。
『♪〜きらめく星のプレアデス! マジカル・ミラクル・やっつけろ〜!』
深夜の静寂な限界集落に、場違いすぎる萌え声アニソンが爆音でこだまする。
「な、なんだこの歌は!?」
「村の放送がおかしくなったぞ!」
村人たちはパニックに陥り、家から飛び出してきた。
襲撃にかけていた青年団も、謎のBGMに完全に戦意を喪失している。
「今よ! サトル!」
くるみの声に背中を押され、俺はハイエースから飛び出した。
そして、混乱の極みにある広場の中央で立ち尽くす郷原村長の前に、持参したポータブルプロジェクターの映像を村役場の白い壁に大きく投影した。
映し出されたのは、木下が持ち出した裏帳簿のデータと、アストリッドが村長のPCから抜き出した「愛人との旅行費用の公金横領」の証拠画像だ。
「なっ……!? き、貴様らぁぁ!」
「郷原村長。貴方の築き上げた『村の掟』は、ただの犯罪の隠れ蓑だったようですね」
由希が、ヒールを鳴らして歩み出る。
アニソンの爆音を背景に、冷徹な弁護士の通る声が響いた。
「業務上横領、補助金適正化法違反、そして木下さんへの脅迫および強要罪。……これらすべての証拠は、すでに県警本部とマスコミ各社に送信予約済みです」
「ま、待て! 話し合おう! 金か!?」
「いいえ」
裕里子が、山から下りてきて郷原の背後に立った。
その手には、泥だらけになったダマスカス鋼の退職届がある。
「木下誠の退職。今すぐ認めなさい」
裕里子は、郷原の足元の地面に、全力で退職届を突き刺した。
ズガンッ! という音と共に、火花が散る。
「ひっ……! み、認めます! 辞めていい! 出て行け!」
郷原は腰を抜かし、無様に叫んだ。
「ミッション・コンプリートね」
裕里子がニヤリと笑う。
村のスピーカーからは、まだ陽気なアニソンが流れ続けていた。
限界集落の闇は、物理と法律と電波ソングによって、鮮やかに切り裂かれたのだった。
東京に帰還してから数日後。
激闘の疲れを癒やすための「遠藤悟の休日」がやってきた。
とはいえ、俺の休日は「一週間分のアジトの食材買い出し」という名の業務に消える。
両手にスーパーの袋を抱え、銀座の外れの裏通りを歩いていた時のことだ。
「あら、遠藤くん」
「えっ?」
声をかけられて振り向くと、そこには私服姿の福田由希が立っていた。
いつもはカチッとしたスーツ姿の彼女だが、今日は柔らかいベージュのローゲージニットに、ロングスカートという落ち着いた休日スタイルだ。髪も下ろしており、いつもより少し幼く、そして艶っぽく見える。
「由希さん。奇遇ですね、こんなところで」
「……ねえ。少し時間ある?」
「あ、はい。ネギが飛び出してますけど、いいなら」
「ふふ、いいわよ。付き合って」
由希に連れられて入ったのは、意外にも赤提灯が下がる大衆居酒屋だった。
昼間から開いているその店は、競馬中継を流すテレビと、煮込みの匂いで満ちている。銀座の外れにこんな店があったのか。
「おやじさん、熱燗二つ。あと牛すじ煮込みね」
由希は慣れた様子で注文すると、俺の向かいに座り、ふうと息をついた。
「……意外ですね、由希さんがこういうお店に来るなんて」
「そう? 高いワインより、こういうチープなお酒の方が、酔いたい時にはちょうどいいのよ」
運ばれてきた熱燗を、由希は手酌でクイッと飲み干す。
その横顔は、少しだけ疲れているように見えた。
「由希さん、何かあったんですか?」
「……ただの感傷よ」
由希は牛すじを箸でつつきながら、ポツリと語り始めた。
「私ね、昔は誰もが知る大手の法律事務所で働いていたの。エリートコースよ。でも、そこで私がやっていた仕事は……今回みたいに、弱い立場の人を救うことじゃなかった」
「え?」
「ブラック企業の経営者を法的に守り、訴えてきた労働者を、法律という暴力で黙らせる仕事。……お金のために、悪人の味方をしていたのよ」
彼女の目が、微かに伏せられる。
「だから、今ウチでやっている退職代行は……私の『贖罪』なのかもしれないわね。法を破ってでも、理不尽に虐げられている人を助ける。……偽善よ」
「偽善なんかじゃありません」
俺は、由希の目を真っ直ぐに見た。
「由希さんがいなければ、俺はあの会社から逃げた後、損害賠償の脅しに怯えて生きていくことになってました。佐藤さんも、アリサさんも、木下さんも。……由希さんの『法律』は、間違いなく俺たちの命綱です」
由希は少しだけ目を見開き、そして、フッと吹き出した。
「……あははっ。貴方に慰められるなんてね」
「本当のことですよ」
「ありがとう、遠藤くん。……貴方って、たまにすごく男らしいこと言うわよね。顔も悪くないし」
由希は頬杖をつき、熱を帯びた瞳で俺を見つめた。
「どう? 裕里子みたいな暴れ馬じゃなくて、私専属の秘書にならない?」
「えっ……!?」
突然の甘い誘惑に、俺の心臓がドキンと跳ねる。
顔が熱くなるのが分かった。
「……冗談よ。貴方がいなくなったら、美味しいご飯が食べられなくなるからね」
由希は悪戯っぽく笑うと、店員を呼んだ。
「お会計。……ここは私が出すわ」
「あ、いえ! 俺が払いますよ! 男ですから」
「ダメよ。貴方、借金が680万ある多重債務者でしょ? そんな男に奢らせたら、私のプライドが許さないわ」
ピシャリと言われ、俺は苦笑して財布を引っ込めた。
店を出ると、夕暮れの風が心地よかった。
「ごちそうさまでした。……あの、また付き合いますよ、いつでも」
「そうね。……今度は、手料理をごちそうしてちょうだい」
由希はふわりと微笑み、手を振って去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺はネギの刺さった買い物袋を握り直した。
暴れん坊のボスに、毒舌な医者、陽気なハッカー、そしてミステリアスな弁護士。
振り回される毎日だけど、こんな休日があるなら、悪くないかもしれない。
俺は少しだけ足取りを軽くして、アジトへと帰路についた。
よし、今夜の夕食は、由希さんの好きな和食にしよう。




