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社畜の俺、伝説の元スパイと「深夜0時の退職代行」始めます。~ブラック企業からヤクザの組まで、物理と法律で「円満退社」させます~  作者: 伊達ジン
【第2章】 多様化する「辞められない」理由

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第11話 医局の闇を切り裂け

 「ミャ〜ゥ」


 アジトのキッチンに、平和な朝のBGMが流れる。

 俺は、子猫のチビにミルクを与えながら、フライパンの中身を凝視していた。

 真っ赤だ。

 地獄の釜のように煮えたぎる、毒々しい赤色。


「……あの、グレタさん。これ、本当に食べるんですか?」


 俺が恐る恐る尋ねると、ダイニングテーブルでタバコを吹かしていた白衣の女性――グレタ・ヴァイスは、気怠げに視線を向けた。


「当然よ。カプサイシンは脳のエンドルフィン分泌を促進するわ。私の冴えた頭脳を維持するためには必須栄養素なの」

「栄養素っていうか、劇物指定のレベルですよ……」


 俺が作らされているのは、グレタ特注の「激辛麻婆豆腐」だ。

 ひき肉と豆腐の代わりに、刻んだハバネロとジョロキアが入っている。湯気だけで目が痛い。換気扇を「強」にしても、キッチンには催涙ガスのような刺激臭が充満していた。


「おはよう……ゲホッ! な、なによこの空気!」


 起きてきたボスの裕里子が、激しく咳き込んだ。

 続いてアストリッドも鼻をつまんで入ってくる。


「Oh, No! ケミカル・ウェポン! サトル、ガスマスク持ってる?」

「ごめん、調理用のマスクしかない」


 朝からテロ現場のような有様だ。

 この組織「ミッドナイト・エグジット」には、まともな人間が俺しかいないことを再確認する朝だった。


 その日の依頼人が現れたのは、グレタが致死量の唐辛子を涼しい顔で完食し終えた直後だった。


 応接室に通されたのは、20代後半の女性。

 名前は石川美咲。

 清楚なブラウスにスカート姿だが、その顔色は青白く、目の下には濃いクマがある。指先は小刻みに震え、何度もハンカチを握りしめていた。


「……大学病院の手術室看護師をしております」


 彼女の勤務先は、都内でも有数の名門『帝都医科大学附属病院』。

 世間的には「ゴッドハンド」と呼ばれる院長が率いる、最高峰の医療機関だ。だが、彼女の口から語られたのは、白衣の裏側に隠されたどす黒い闇だった。


「先週……医療ミスがありました」


 石川さんは、絞り出すように言った。


「院長の執刀したバイパス手術でした。簡単な手術のはずが、血管の縫合不全で大量出血を起こして……患者様は、亡くなりました」

「……術中死、ということですか」


 弁護士の由希さんが静かに問う。


「はい。でも、それは不可抗力ではありませんでした。院長は……手術の前日に銀座で朝まで飲んでいて、手が震えていたんです。明らかに、手元が狂っていました」


 飲酒翌日の執刀。

 言語道断だ。俺たち全員の空気が冷たくなる。


「問題はその後です。院長はミスを隠蔽するために、カルテの改ざんを命じました。『患者の持病による急変だったことにしろ』と。……私は、そんなことできませんと断りました」


 石川さんは唇を噛み締めた。


「そうしたら、院長室に呼び出されて……。『お前が器具出しを遅れたせいにしてもいいんだぞ』って。看護師免許を剥奪してやる、この業界で二度と働けないようにしてやる、と脅されて……」


 まただ。

 権力を持った人間が、弱い立場の人間を脅して口封じをする。

 ブラック企業の社長も、悪徳芸能事務所の社長も、そして大学病院の院長も。根っこは同じ腐った人間だ。


「辞めたいんです。もう、あんな人の下で命を預かるなんて耐えられません。でも、辞表を出そうとしたら破り捨てられて、『逃げるなら全責任を押し付ける』と言われて……」


 石川さんが泣き崩れる。

 俺は拳を握りしめた。命の現場で、こんなことが許されていいはずがない。


「……くだらないわね」


 沈黙を破ったのは、グレタだった。

 彼女は紫煙を吐き出しながら、冷ややかな瞳で石川さんを見下ろした。


「そんな老いぼれ一人のために、あなたのキャリアを捨てる必要はないわ」

「え……?」

「医療ミスは罪よ。でも、それを隠蔽するのはもっと重い罪。……解剖して中身を見てやる必要があるわね」


 グレタの言葉は物騒だが、その響きにはプロフェッショナルとしての怒りが混じっているように聞こえた。

 裕里子がニヤリと笑う。


「決まりね。今回のターゲットは帝都医大の院長。……グレタ、あんたの出番よ」

「分かってるわ。……久しぶりに、メスを握る時が来たようね」


 グレタが立ち上がる。

 その姿は、いつもの気怠げなマッドサイエンティストではなく、鋭い切れ味を持つ外科医のそれだった。


 作戦名は『ホワイト・アウト』。

 ターゲットは、院長の毒島薫。権威主義の塊のような男だ。

 彼に退職を認めさせ、かつ医療ミスの証拠を突きつけて破滅させるには、病院の内部に入り込む必要がある。


「アストリッド、準備は?」

「オッケーだよん! ドイツの有名医科大学から招聘された『天才外科医』のデータを、病院の人事データベースにねじ込んどいた! 経歴も論文も完璧に偽造済み!」


 アストリッドがキーボードを叩き、モニターに偽造IDを表示する。

 写真には、凛とした表情のグレタが写っていた。


「名前はそのまま『グレタ・ヴァイス』で行くわ。……サトル、あんたは私の助手よ」

「えっ、俺もですか? 医療知識なんてないですよ?」

「荷物持ちと運転手ができれば十分よ。あと、通訳のフリをしてなさい。私は日本語が話せない設定で行くから」

「話せるじゃないですか……」

「面倒な挨拶や社交辞令を省くためよ。余計な言葉はメスの切れ味を鈍らせるわ」


 相変わらずの合理主義だ。

 俺たちは白衣に着替え、帝都医大へと向かった。


 帝都医科大学附属病院。

 巨大な白い巨塔のエントランスを、俺とグレタは堂々と歩いていた。

 グレタは白衣の下に黒いシャツを着込み、聴診器を首にかけている。その歩き方だけで、周囲の医師や看護師が道を空けるほどのオーラを放っていた。


「Guten Morgenおはよう. 毒島院長はどこかしら?」


 グレタがドイツ語で受付に話しかける。

 受付嬢が慌てふためく中、俺が一歩前に出た。


「失礼。本日付で着任いたしました、ドイツからの招聘医師、ヴァイス先生です。院長室への案内をお願いします」


 総務部長としてのハッタリスキルが役に立つ。

 すぐに秘書が現れ、俺たちは最上階の院長室へと案内された。


 重厚な扉が開くと、そこにはふんぞり返った初老の男がいた。

 毒島院長だ。白髪をオールバックにし、いかにも高そうな金縁眼鏡をかけている。その目は、他人を見下すことに慣れきった傲慢な光を宿していた。


「おお、君が噂のヴァイス先生か。遠路はるばるご苦労」


 毒島は椅子に座ったまま、尊大に言った。

 グレタは無言で毒島を見つめ、フンと鼻を鳴らした。


「……She says, "It is an honor to meet you."(お会いできて光栄です、と言っています)」


 俺が適当に通訳する。嘘だ。今の鼻笑いは絶対に「何このタヌキ親父」という意味だ。


「うむ。我が病院は世界最高水準の医療を提供している。君のような若造に務まるか分からんが、せいぜい私の邪魔をしないように」

「……」


 グレタの目がすぅっと細くなる。

 彼女は毒島の机に歩み寄り、無造作に置かれていたカルテの山を指先で弾いた。


「What a mess.(なんて散らかってるの)」

「あー、整理整頓が必要ですね、と言っております」


 俺の通訳を聞き流し、グレタは踵を返した。


「I'm going to rounds.(回診に行くわ)」

「え? あ、院長、先生は早速現場を見たいそうでして……失礼します!」


 俺は慌ててグレタの後を追った。

 この人、本当に社交辞令という概念がない。毒島が顔を真っ赤にして何か叫んでいたが、聞かなかったことにした。


 病棟の回診は、まさに「公開処刑」だった。

 グレタは担当医の説明を聞くや否や、バッサリと切り捨てていく。


「患者の顔色が黄色いわよ。黄疸の数値を見落としてるんじゃない? 眼球検査なさい」

「この処方、半世紀前のガイドラインよ。勉強不足ね。脳みそがホルマリン漬けになってるのかしら?」

「……サトル、訳して」


 俺は冷や汗をかきながら、必死にオブラートに包んで通訳する。


「えー、眼球の検査を推奨されています」

「最新のガイドラインを参照された方がよろしいかと……」


 だが、グレタの態度は言葉以上に雄弁だった。

 彼女が指摘する箇所は全て的確で、再検査の結果、重大な見落としが次々と発覚した。

 最初こそ「なんだこの生意気な女は」という目で見ていた医師たちも、次第に畏怖の念を抱き始め、看護師たちは「すごい……」と囁き合っていた。


「……悪くない腕ね」


 ナースステーションに戻ったグレタが、ブラックコーヒーを飲みながら呟いた。

 周囲の視線が集まる中、彼女は依頼人の石川美咲さんを見つけ、手招きした。


「You. Come here.」

「は、はい!」


 石川さんが緊張した面持ちで駆け寄る。

 グレタは彼女のカルテ整理の手際を一瞥し、日本語で小声で囁いた。


「……いい手際よ。無駄がないわ」

「えっ?」

「あのタヌキの下で働くにはもったいない。……退職の準備はできてる?」


 石川さんが目を見開く。

 グレタはニヤリと笑い、人差し指を口元に当てた。


「今夜、膿を出すわよ」


 夕方。

 院長室に呼び出しがかかった。

 どうやら、グレタの「暴走」が毒島の耳に入ったらしい。


「貴様! 私の部下たちに随分と無礼な振る舞いをしているそうだな!」


 毒島が机を叩いて怒鳴り散らす。

 グレタはソファに深く腰掛け、足を組んでその様子を眺めていた。まるで動物園の猿を見るような目だ。


「我が病院の秩序を乱す者は許さん! ドイツに送り返してやる!」

「……サトル、訳す必要はないわ」


 グレタが日本語で遮った。

 彼女は立ち上がり、毒島の方へとゆっくり歩み寄る。


「あ、あんた、日本語が……?」

「ええ。あんたの戯言を聞くのが面倒だっただけよ」


 グレタは毒島の目の前で立ち止まり、じっと彼の顔を覗き込んだ。

 その瞳は、レントゲン写真のように相手の中身を透かしているようだ。


「……顔色が土気色ね。それに、右手が微かに震えてる。アルコール依存症の初期症状かしら?」

「な、なにを……!」

「眼球結膜に黄染あり。肝機能障害の疑い。……それに、その脂汗。嘘をついている人間特有の生理反応ね」


 グレタは冷徹に診断を下していく。


「あんた、医者失格よ。メスを持つ前に、自分の頭のCTを撮ってきなさい。前頭葉が委縮して、倫理観が欠落してるんじゃない?」

「き、きさ……貴様ぁぁぁ!」


 毒島が激昂し、顔を真っ赤にして立ち上がった。


「無礼者! 私はこの病院の王だぞ! 神だ! 私の診断は絶対なのだ!」

「神? 笑わせないで」


 グレタは毒島を鼻先で笑い飛ばした。


「あんたはただの、権力にしがみついた老害よ。……石川美咲さんの退職、認めなさい」

「石川……? あの生意気な看護師か! まさか、あいつの差し金か!」


 毒島の目に、狂気が宿った。


「認めん! 絶対に認めんぞ! あいつは共犯者だ! 私のミスを隠蔽するために、最後まで利用してやる!」

「……言ったわね」


 グレタがポケットからボイスレコーダーを取り出す。

 今の発言、バッチリ録音させていただいた。


「証拠隠滅、脅迫、そして医療過誤。……病巣は特定できたわ」


 グレタは俺の方を向き、ニヤリと笑った。


「サトル、準備はいい?」

「ええ、いつでも」


 俺はスマホを取り出し、アストリッドへの合図を送る。

 そして、裕里子への出動要請も。


「オペの時間よ。……この病院の『癌』を、切除するわ」


 グレタの宣言と共に、深夜0時へのカウントダウンが始まった。

 医局の闇を切り裂く、ミッドナイト・エグジットの執刀が始まる。

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