第九話 上等すぎる地図
◇
森へ出るようになって、ひと月が過ぎた。
出る夜と、出ない夜が、半々に続いている。罠を直し、風を読み、また待つ。手応えのようなものは、どこにもなかった。
その日、ジンは村長に呼ばれた。
村長の納屋には、あの夜の残り物が、筵の上にまとめて並べてあった。
剣が三振り。短刀が二本。革の胴当てが二つ。靴、腰帯、背負い袋、火口箱。戸口から冷えた光の入る納屋の中で、それらは夏からの埃をかぶって、ただの古道具に見えた。
「役人に届けるにしても、目録くらい作らにゃならんと思ってな。並べてみたら、どうにも……気持ちが悪いんだ」
村長は、うまく言えない顔で、顎をしゃくった。
ジンは膝をつき、一つずつ手に取っていった。
剣は、ひどいものだった。刃こぼれだらけで、手入れの跡もない。ジンが今も使っている、あの夜に奪った直剣と同じだ。銘もない。数打ちの安物。ここまでは、盗賊の得物として、何もおかしくない。
おかしいのは、そこから下だった。
靴。三足とも、同じ作りだった。つま先の補強の革、紐を通す穴の数、底の縫い目。工房が同じ、どころではない。同じ規格で、まとめて作られた靴だ。すり減り方に差はあるが、元は同じ品。
胴当て。革の鞣し方が二つとも同じで、内側の同じ位置に、焼き印を削り取った跡がある。
背負い袋の荷紐。結び目が、全部同じ結び方だった。速く解けて、緩まない結び。ジンの指は、その結びを知っていた。荷駄を扱う兵が、叩き込まれる結び方だ。癖ではない。訓練だ。
火口箱を開けると、中の火口が湿気ないよう、蝋引きの布で包んであった。革という革には、同じ匂いの油が薄く擦り込まれている。幾月も放っておかれてなお、ひび割れひとつない。道具を毎日同じ手順で守る者たちの、几帳面な手つきが、そこらじゅうに残っていた。
野盗の荷は、こうはならない。奪った物を使い潰して、また奪う。それが野盗だ。この荷は、支給された物を、長く使うための荷だった。
「……村長。こいつらの持ち物で、粗末なのは刃物だけです」
「あん?」
「靴も、革も、袋も、揃いの上物です。刃物だけが、わざとらしく安い」
盗賊は、逆だ。刃物こそ商売道具だから、奪ってでもいい物を持つ。着る物や靴は、はぎ合わせのばらばらになる。目の前の山は、あべこべだった。まるで、ぱっと人目につく場所だけを、盗賊らしく取り繕ったような——。
古い記憶が、低く言った。
これは、盗賊の荷ではない。兵の荷だ。それも、兵に見えないよう装った兵の。
◇
「それとな。……これが、一番薄気味悪い」
村長が、袋の底から取り出したのは、油紙の包みだった。
開くと、一枚の地図だった。
ジンは、息を一つ、静かに吐いた。
リンデ村だ。
家々の並び。井戸の場所——三つとも。水路の引き込み口。村を出入りする道が全部。柵の線。そして柵の線の上、三か所に、小さな印。ジンが秋のあいだ、自分の足で見つけた柵の一番弱い場所と、寸分違わず同じ三か所だった。
指先が、冷えた。
これを描くには、何日もかかる。遠目に一度眺めた程度では、三つ目の井戸は描けない。裏庭の奥にあって、道からは見えないのだ。何日も、あるいは何度も、この村を検分した者がいる。村の誰にも気づかれずに。
村の暮らしの、どの辺りに紛れていたのか。行商か。旅の職人か。それとも夜の間、柵の外の闇からか。思い当たる顔は、一つも浮かばなかった。浮かばないことが、一番怖かった。
そして——。
図の隅、森寄りの一軒に、他の家と違う印がついていた。
小さな丸に、斜めの線が一本。
ダン爺さんの小屋だった。
ジンは、地図から目を上げられなくなった。あの夜、真っ先に死んでいたのは、この印の家の主だった。火は村外れの納屋に放たれ、村の男手は皆そちらへ吸い寄せられた。逃げる者を待ち伏せる位置に、男が立っていた。引き上げの声は鋭く、退き方には乱れがなかった。
一つ一つは、偶然で済む。全部並べると、済まなくなる。
これは、物見の仕事だ。
村を検分し、地図を起こし、守り手に印をつけ、火で目を引き、道を塞ぎ、確かめて、退いた。あの夜のすべてが、仕事の手順どおりに動いている。奪われた物がろくになかったのも当然だ。あの連中の狙いは、初めから、盗みではなかったのだから。
では、何のために。
そこから先が、闇だった。王国の兵か、他所の国の兵か、それとも別の何かか。こんな辺境の、麦と山羊しかない村を、誰が、何のために検分する。古い記憶をどれだけ探っても、この世界の事情を知らない記憶に、答えの出せる問いではなかった。
◇
「……で、どうなんだ、ジン。ありゃあ、ただの盗賊じゃねえのか」
囲炉裏に戻ってから、村長は低い声で訊いた。
ジンは少し考えて、地図のことだけを話した。井戸と道が正確に描かれていること。描くには日数がかかること。刃物だけが安物なこと。ダンの小屋の印のことは——言わなかった。証しのない話で、死んだ者の眠りと、生きている者の夜を、掻き乱すことになる。
それでも村長の顔は、話が進むほど険しくなった。
「役所に届けりゃあ、調べてくれるかね」
「……分かりません。ただ」
グレンツまで、徒歩で三日。届け出るのは、夏に追い返された盗賊の話だ。死んだのは村人ではなく、登録だけの古い冒険者が一人。辺境の村の、済んでしまった小火騒ぎ。役人の帳面のどの辺りに載るかは、想像がついた。
村長も、同じ想像をしたらしい。囲炉裏の火を突きながら、吐き捨てた。
「……結局、何もしてくれないよな」
「はい」
「考えすぎだ、で終わりよ。俺だって、半分はそう思いてえんだ。相手の顔も、名前も、狙いも分からねえ。分からねえもんに、どう腹を立てりゃいい」
その通りだった。敵の正体は、分からない。狙いも、分からない。また来るのかどうかすら、分からない。分からないことを数え上げていけば、夜も眠れなくなる。
だが、とジンは思った。
分かっていることも、ある。
この村の弱いところが、どこかの誰かの手元に、地図になって存在する。それだけは、もう動かない事実だ。そして弱いところが分かっているなら——やることは、一つしかない。
「村長。この地図、俺に預けてもらえませんか」
「……何に使う」
「弱いところが描いてあるなら、そこから直します」
村長は、ジンの顔をしばらく見て、それから、ふっと肩の力を抜いた。
「……持ってけ。気味の悪い紙だ、俺の納屋にゃ置きたくねえ」
正体の知れない敵を、追う手立てはない。追いかければ、村を空ける。憶測を言い立てれば、村は怯えるだけだ。
——ならば、備えるだけだ。
疑いは、追うためではなく、固めるために使う。それなら、今日から、できる。
◇
ジンは霜の残る道を歩きながら、地図と目の前の村を交互に見た。
敵の目で描かれた自分の村は、奇妙な眺めだった。井戸は「奪う水」に見え、道は「入る口」に見え、柵の印は「破る場所」に見える。生まれ育った村が、獲物の形をしていた。
歩きながら、頭の中で攻めてみる。自分がこの地図を持つ側なら、どこから入るか。夜、風の強い日、西の破れから二人、南の破れから三人。火は今度も納屋か、それとも風上の家か。——考えるそばから、背筋が冷えていく。そして冷えた分だけ、やるべきことが見えてくる。西の破れは杭を打ち直す。南は茨を植える。火の見張りは、風の強い夜ほど厚くする。
攻め手の頭で考えて、守り手の手で塞ぐ。
だが、それでいい。
守りの弱い場所を、守る側が一番知らない——それが、あの夜までのこの村だった。今は、違う。敵が骨を折って調べ上げた答えが、こちらの手の中にある。連中の物見の仕事は、これから一つ残らず、この村の柵と鳴子に化ける。
地図の隅、斜め線の印の上を、指でひと撫でした。
それから、ジンは顔を上げ、いつもの道を歩き出した。
この地図の村には、ダン爺さんがいて、俺がいない。
——描き直させてやる。次に誰かが検分に来る時は、手も足も出ない村を描いて、帰ることになってもらおう。




