↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/62

第五十七話 当番表

◇


六日目の朝、ジンは、村長の家の壁の前に立っていた。


当番表の板が、掛かっている。裏返して使っているので、表の面には、去年の秋の水路当番の名が残っていた。


炭が、板の下の釘に吊るしてあった。


ジンは、それを取って、東の欄に自分の名を書いた。


「おい」


村長の声が、後ろでした。


「何をしとる」


「書きました」


「書くなと言うたはずだ」


「言われました」


ジンは、板を振り返らずに言った。


「ですが、昨日の勘定は、十七人のものです。今朝、立てるのは十二人です。二百四十歩を十二で持つと、一人二十歩になります」


「……」


「二十歩は、持てません」


炭を、釘に戻した。


「十三人なら、十八歩です。まだ持てません。ですが、二十よりは近い」


村長は、しばらく黙っていた。


杖を突いて、板の前まで来た。ジンの書いた字を、目を細めて見た。


「下手な字だ」


「すみません」


「三年、この村の帳面に、あんたの名前はなかった」


老人は言った。


「柵を打った日も、鳴子を張った日も、あんたは書かれとらん。勝手に夜に出て、勝手に朝に帰ってきとった。……表の外にいたわけだ」


村長は、板を指で叩いた。


「今日から、中にいろ」


「はい」


「中にいるってのはな、持ち場を離れるなってことだ。……勝手に一人で走るな。持ち場でだけ、働け」


ジンは、頷いた。


三年、誰にも言われたことのない叱られ方だった。


◇


東の畑は、空だった。


焼けた納屋が、まだ細く煙を上げている。柵の杭が、倒れたまま雪に埋もれていた。畑の畝は、踏み荒らされて、形がなくなっている。


森の際には、影が並んでいた。


減っていなかった。


ジンは、目で区切って、数を見積もった。四つに区切って、一つを数えて、四倍する。


三百を超えていた。


六日で、こちらが減らした数は、百に届いていない。


「増えとるように見えるがな」


粉屋が、隣に来て言った。


「増えているのではありません。……奥から、まだ出てきています」


「まだ出るのかよ」


「はい」


「どんだけ溜めたんだ」


ジンは、答えなかった。


答えは、知らなかった。だが、答えの形は、少しずつ見えていた。


——溜めた者は、いつか、溜め終わる。


溜め終われば、あとは、こちらが持つかどうかだけの話になる。


◇


昼、シャルロッテが数を読んだ。


「薪が、あと九日ぶんですわ」


「食い物は」


「二十四日ぶん。ですが、湯の量を落とせません」


「水は」


「井戸が囲いの中に入りましたので、心配はいりませんわ。……ただ」


彼女は、帳面を閉じた。


「立てる者が、十二から増えませんの」


土間に、寝かされた者が増えていた。


猟師は、また熱が出ていた。三日目に杭の下敷きになった男は、リゼの手当てで息が戻ったが、まだ座れない。腿を裂かれた若い衆は、座れるが立てない。


リゼは、朝から眠っていた。


昨日、二人やって、そのまま寝ている。婆さまが時々、口に水を含ませていた。


ジンは、妹の顔を見た。


顔色は、悪くなかった。ただ、深く眠っていた。


「起こさないでください」


「起こしゃしないよ」


婆さまが言った。


「起きたら、また、やるって言うからね。……寝てるうちが、あの子の休みだ」


◇


六日目の夜が、いちばん長かった。


来たのは、北と西から、同時だった。


東を捨てたので、囲いは短い。短いということは、どこを突かれても、隣が近いということだ。それは良いことのはずだった。


良いことだったが、人が足りなかった。


十三人が、十八歩ずつ持った。


一つの持ち場が破れると、隣が寄る。寄ると、隣の隣が薄くなる。薄くなったところが、また破れる。


夜半に、北の柵が二箇所、同時に抜けた。


「板!」


婆さまの声が、飛んだ。


婆さまたちが、板を持って走ってきた。四人だ。いちばん若い者で、六十を過ぎている。板を抜けた場所に立て、体重をかけて押さえた。


「早くおし! いつまでも持てないよ!」


若い衆が二人、走り込んだ。


板の後ろに、三人組ができた。


ジンは、西にいた。


西へ行くと決めた時、北を見なかった。見れば、行きたくなる。行けば、西が空く。西が空けば、井戸へ至る道が開く。


——持ち場でだけ、働け。


朝に言われた言葉を、そのまま使った。


自分の十八歩の中だけを、見た。


◇


粉屋が倒れたのは、明け方だった。


斬られたのではない。膝が、折れた。


四日、立ち続けていた。腹の傷が引きつって、そこから先が動かなくなった。


倒れた粉屋の上に、若い衆が二人、かぶさった。


「持ち場! 持ち場は!」


粉屋が、地面から怒鳴った。


「持ってます!」


「なら、放っとけ! 俺は寝てるだけだ!」


若い衆は、粉屋を引きずって下がり、それから、走って戻った。


三人組が、二人組になった。


二人組のところへ、ジンが入った。


西の持ち場から、三歩だけ動いた。三歩なら、西も見える。三歩で足りるように、家の位置を選んで立った。


一匹、落とした。


二人組が、三人組に戻った。


そこから、朝までだった。


◇


七日目の朝、村は立っていた。


死んだ者は、いなかった。


立てる者は、十二人に戻った。粉屋が倒れ、若い衆が一人加わった。差し引き、変わらなかった。


朝飯を食う手が、震えていた。


婆さまが、粥をよそいながら言った。


「今日は、豆を入れたよ」


「なんでだ」


「最後のを出したんだ。食べときな」


誰も、その意味を訊かなかった。


◇


昼、村長が、動ける者を集めた。


八人だった。


「勘定を言う」


老人は、板を出さなかった。板を持つ手が、震えていたからかもしれない。


「今夜は、持たん」


誰も、驚かなかった。


「囲いは二百四十歩。立てるのが十二。夜に立てるのは、たぶん十だ。……一人二十四歩になる」


「岩場は」


若い衆が訊いた。


「開けるかどうか、だな」


村長は、東の空を見た。


「逃げ道は三本ある。北の岩場、西の林、南の川原だ。西と南は、あの二十騎に見られとる。北の岩場は、見られとらん」


「じゃあ、北へ」


「岩場は、二十人が三日、隠れられる場所だ。……三十八人は、入らん」


土間が、静かになった。


「誰を入れるかを、今から決める」


村長は言った。


「わしは、決められる。四十年、村長をやっとる。……だが、決める前に、一つ訊く」


老人は、皆の顔を見た。


「ほかに、手はあるか」


◇


手は、なかった。


ジンにも、なかった。


三年、備えを積んできた。柵を三重にし、村の中を狭くし、稽古を重ね、逃げ道を三本作った。全部、今夜のためにやってきたようなものだった。


その全部を使って、六日、持った。


七日目は、持たない。


ジンは、そう言うべきだと思った。言わないほうが、たちが悪い。


口を開きかけた時、櫓の上で、声がした。


「……煙?」


若い衆の声だった。


「煙じゃない! 砂だ! 西だ! 西の街道!」


土間の八人が、いっせいに立った。


◇


ジンは、櫓に登った。


登る途中で、二度、手が滑った。


西を見た。


街道に、砂煙が上がっていた。冬の乾いた道を、大勢が踏んでいる。旗が見えた。ヴァレンシュ家の紋だった。先頭に、馬上の男がいる。二十年、帳面をつけてきた男だった。


「伯爵様の旗! 二百——いや、もっといるぞ!」


村中が、どよめいた。


婆さまが泣き出した。若い衆が櫓の柱を叩いた。粉屋が土間から這い出してきて、「どこだ、どこだ」と言っていた。


ジンは、西を見ていた。


だが、彼が見ていたのは、旗ではなかった。


もっと後ろだった。


街道の外れ、砂煙の届かないところに、別の一団がいた。


四人。


そのうちの一人が、馬を降りて、走っていた。


ジンは、櫓の手すりを掴んだ。


掴んだ手に、力が入らなかった。入らないまま、掴んでいた。


「……間に合った」


そう呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。