↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/62

第五十四話 持ち場

◇


二日目の昼、粉屋は、飯を三杯食った。


食えと言われたからだ。村長が、飯は三度食えと言った。腹は減っていなかったが、減っていないというのは、たぶん、まずい印だった。


椀を返しに行くと、婆さまが鍋の底を掻いていた。


「三杯目かい」


「悪いか」


「悪かないよ。あんた、去年も食えなくて、それで倒れたんだからね」


粉屋は、腹の傷跡を、上着の上から掻いた。


去年の冬に貰った傷だ。腹から胸まで、斜めに走っている。冬になると、いまだに引きつる。あの晩、狼の爪が入った時のことを、粉屋はほとんど覚えていない。覚えているのは、その後で、小さい手が胸に置かれた感触だけだ。


「今年は倒れねえよ」


「そうしとくれ」


婆さまは、鍋を持ち上げた。


「あんたが倒れると、皆が前に出るんだ」


◇


村は、静かだった。


昼は、そういうものらしかった。魔物は、明るいうちは森の際から動かない。並んで、こちらを見ている。数えるのをやめてから、二日経つ。


若い衆が、櫓の下で刃物を研いでいた。


「粉屋のおっさん」


「なんだ」


「昨日、俺、二匹止めた」


「そうか」


「三人でだけどな。……でも、二匹だ」


粉屋は、その顔を見た。


十九か、二十だ。去年の冬は、岩場へ逃げる側にいた歳だった。今年は、一本道に立っている。


「いいか」


粉屋は言った。


「止めたって数えるな」


「なんでだよ」


「数えると、増やしたくなる」


若い衆は、分かったような、分からないような顔をした。


粉屋は、それ以上言わなかった。言えるほど、自分が分かっているわけでもなかった。


◇


二日目の夜は、六匹で始まった。


いつもは、四か五だ。一本道の幅と、柵の絞りで、そうなるようにできている。三年、ジンがそう言い続けてきた。同時に来るのは、道の幅までだ、と。


だが、この夜は六匹だった。


後ろから、押されているからだった。


「幅が、広がってるぞ!」


猟師の声が、飛んだ。


「柵の際が、削られてる! 土だ! 土を掻いてやがる!」


粉屋の組は、正面だった。


自分と、若い衆が二人。三人で一匹。正面は退かず、横は半呼吸待って、後ろは塞ぐ。


三年、耳にたこができるほど繰り返した順番だ。


粉屋は、退かなかった。


鍬の柄で、飛びかかってきた一匹の顎を突いた。押し返されて、足が滑った。滑ったまま、退かなかった。横から若い衆が入って、脇腹を打った。もう一人が、後ろへ回り込んだ。


一匹、倒れた。


「次!」


粉屋は、怒鳴った。


自分の声が、去年より低いことに気づいた。


◇


保った場所と、保たなかった場所があった。


保ったのは、正面の三組だ。去年の冬、一本道に立った男たちだった。


保たなかったのは、東寄りの、若い衆だけの組だった。


粉屋がそれを知ったのは、悲鳴が上がった時だった。


顔を向けると、東の柵際で、人の輪が崩れていた。三人組の一つが、二つに割れている。一人が、前に出すぎていた。


前に出た若い衆は、悪くやってはいなかった。


そこが、まずかった。


一匹の腕を打ち、よろけさせ、あと一つで倒せる形になった。倒したくなった。追った。


三人組が、二人組になった。


二人組は、一匹を止められない。


「戻れ!」


粉屋は、走った。腹の傷が引きつって、途中で息が上がった。


猟師のほうが、早かった。横から入って、若い衆の襟を掴んで、引き倒した。倒れたところへ、二匹目が来た。猟師が、その上に覆いかぶさった。


肩を、やられた。


◇


猟師は、自分で歩いて下がった。


「……浅い」


「浅かねえだろ」


「腕は動く。動きゃ、浅い」


婆さまたちが、湯と布を持って走ってきた。土間へ運ばれるのを、粉屋は見ていた。


若い衆は、その場に座り込んでいた。


震えていた。怖くて震えているのではなかった。自分が何をしたのかが、分かってきていた。


粉屋は、その前に立った。


殴ろうかと思った。


殴らなかった。


「立て」


そう言った。


「持ち場だ。まだ夜だ」


若い衆が、顔を上げた。


「……俺、」


「後で言え。今は、立て」


若い衆は、立った。


◇


その夜は、朝まで続いた。


明け方、森の際の影が引いた。全部は引かなかった。半分ほどが残って、明るくなると、また森へ下がっていった。


東の柵は、外側の一重が、二箇所抜けていた。


杭が抜けたのではない。根元の土を掻き出されて、傾いだところを、体重で押し倒されていた。


「土を掻くゴブリンなんぞ、聞いたことがねえ」


猟師が、肩に布を巻いた格好で言った。


「聞いたことがねえのが、来てるんだ」


粉屋は、そう答えた。


答えてから、自分がずいぶん落ち着いた口をきいたことに、少し驚いた。


◇


三日目の昼、粉屋は、ジンを見ていた。


あの若いのは、櫓の上にいた。


夜のあいだ、二度、下りてきた。柵が抜けた時と、若い衆の組が割れた時だ。二度とも、崩れた場所へ真っ直ぐ来て、二つ三つ言って、また上がっていった。


昼になっても、下りてこなかった。


土嚢を積む場所を決め、抜けた杭の代わりに納屋の板を打ち、水の樽の位置を変えさせ、それから、櫓に上がった。


飯は、上で食っていた。


「おい」


粉屋は、櫓の下から声をかけた。


「降りて食え」


「ここで見えます」


「見えるのは分かった。降りて食え」


ジンは、少し黙ってから、降りてきた。


並んで座って、椀を持った。


粉屋は、横目で見た。


顔色が、悪かった。悪いというより、色がなかった。目の下が、落ちくぼんでいる。


去年の冬にも、同じ顔を見た。あの時は、五十を一晩やった後だった。


今度は、三日目だ。


「あんた」


「はい」


「夜、寝てるか」


「櫓で、目を閉じています」


「そりゃ寝てるって言わねえだろ」


ジンは、答えなかった。


椀の中身を、黙って食っていた。食い方が速かった。速いのに、味わっていない食い方だった。


粉屋は、それ以上、訊かなかった。


訊いても、この男は「大丈夫です」としか言わない。三年、ずっとそうだった。


◇


三日目の夜は、東から来た。


一本道ではなく、東の柵を、まっすぐ押してきた。外側の一重は、もう半分がない。二重目に、いっぺんに寄りかかってきた。


柵が、鳴った。


木が軋む音を、粉屋は、生まれて初めて聞いた気がした。杭がしなり、縄が伸び、土が盛り上がる。


「押さえろ!」


村長の声が、飛んだ。


男たちが、内側から柵に体を当てた。粉屋も当てた。背中で押した。向こう側から、何十という力が押してくる。人の力ではなかった。荷車を押しているような力だった。


「二本目、行くぞ!」


「持て!」


持たなかった。


杭が、三本まとめて倒れた。


穴が開いた。


◇


そこから先を、粉屋は、後で思い出そうとして、うまく順番に並べられなかった。


覚えているのは、いくつかの絵だ。


穴に、真っ先に入ってきたゴブリンの、開いた口。


その口の上に、横から板が入ったこと。板を持っていたのが、婆さまだったこと。婆さまが「そこ!」と怒鳴ったこと。


若い衆が三人、板の後ろに走り込んで、三人で一匹の形を作ったこと。


穴の内側に、いつのまにか、土嚢の壁ができていたこと。誰が積んだのか分からない。昼のうちに、そこに積むと決めてあったからだ。


そして、穴の正面に、ジンが立っていたこと。


一度も、走っていなかった。


歩いて来て、そこに立って、入ってきたものだけを、順に落としていた。


音が、しなかった。


粉屋は、柵を押しながら、それを見ていた。三年、この村の連中は、この男を寝坊助だと思っていた。粉屋自身も、そう思っていた。


去年の冬に、それが間違いだったと知った。


今、二度目に、知った。


◇


明け方、穴は塞がった。


板と、土嚢と、倒れた杭を組み直して、内側へ一段引いた形になった。柵の線が、東側だけ、村へ寄った。


畑が、一枚、外へ出た。


村長が来て、それを見て、頷いた。


「一枚で済んだ」


「済んだって言うのか、それを」


「言う。……作り直せる畑は、済んだうちだ」


粉屋は、東の空を見た。


森の際に、まだ影があった。減っていなかった。


三日目が、終わったところだった。


◇


朝飯の列に、猟師がいた。片腕で椀を持っていた。


昨夜、前に出た若い衆も、いた。


粉屋の前に来て、頭を下げた。


「……すんませんでした」


「もう言うな」


「でも」


「言うなら、一つだけ言え」


粉屋は、椀を持ったまま言った。


「昨日、俺の組は、何を守った」


若い衆は、少し考えた。


「……正面」


「違う」


「じゃあ、なんすか」


「隣だ」


粉屋は言った。


「三人で一匹ってのはな、一匹を倒す話じゃねえ。隣の奴を、一人にしねえ話だ」


若い衆は、口を開けて、それから、閉じた。


その日から、その組は、割れなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。