↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/62

第五十三話 一日目の夜

◇


初雪は、思ったより早かった。


薄く積もって、昼には消えた。それから三日おきに降って、四度目で根雪になった。


その二十日ほどを、村は、まるごと支度に使った。


柵は、三重にした。東側だけだ。杭を足す木はもうなかったので、納屋を一つ潰して板を取った。粉屋が「あれは俺の親父が建てたんだ」と言い、それから自分で最初の一枚を剥がした。


井戸の脇に、水の樽を八つ並べた。屋根に濡らした筵を上げた。乾いた藁を全部、村の中央へ寄せた。


家々の間に、板と土嚢で仕切りを作った。一本道を抜かれた時に、二本目、三本目の細い道ができるようにした。


「増やすんじゃなくて、狭くするのか」


猟師が訊いた。


「はい」


ジンは言った。


「村の中を、村の外と同じ形にします。……広い場所を、作らないことです」


◇


食い物は、足りていた。


秋の刈り入れが、村始まって以来の年だったからだ。麦も、根菜も、去年より多い。それを全部、村の中央の三軒に集めた。


集め終えた日に、シャルロッテが数を出した。


「三十八人で、四十二日ですわ」


「四十二」


「ただし、それは食べるだけの日数ですの。怪我人が出れば湯を沸かします。薪の勘定を入れると、三十日と見るべきですわ」


彼女は、帳面を閉じた。


「わたくしの見立てでは、七日で決まりますの」


「なぜです」


「向こうも冬を越すからですわ。魔物を檻に入れて冬を越させる費用は、たぶん、兵を食わせるより高くつきます」


シャルロッテは、そこで言葉を切った。


「……檻、と申し上げてしまいましたわね」


「言いましたね」


「なぜでしょう。そういう形しか、思い浮かびませんの」


◇


早馬は、三頭出した。


一頭は、伯爵へ。シャルロッテが書いた。届出でも嘆願でもなく、数字だけを並べた文だった。杭の本数、村の人数、街道の幅、そして東から回れる道が三本しかないこと。


「父は、数字なら読みますわ」


彼女は、そう言って封をした。


一頭は、グレンツのギルドへ。ヴィオラ宛だ。こちらは、ジンが書いた。三行で終わった。


一頭が、南へ向かった。


乗ったのは、フィオナだった。


「大魔境の南の入り口。合ってる?」


「合っている。だが、もう奥に入っているかもしれん」


「入ってても、入り口には誰かいるでしょ。教国の連中が」


フィオナは、鞍を締め直した。手が、少し震えていた。


「あのさ」


「なんだ」


「あたし、あんまり役に立ってないよね。ここに残っても、灯り二本と、あと少しだし」


「フィオナ」


「うん」


「三頭のうち、いちばん遠いのを頼んだ」


ジンは言った。


「いちばん遠いのを、いちばん確かな者に頼んだ」


フィオナは、鼻の頭を掻いた。掻いて、それから、下手くそに笑った。


「……ずるいよ、そういうの」


「よく言われる」


彼女は、馬に乗った。


「行ってくる」


「ああ」


「ちゃんと、おかえりって言ってよね」


馬は、南の道を駆けていった。


雪の上に、蹄の跡が四つ、五つと続いて、林の陰で見えなくなった。


◇


その日から、当番表を書き換えた。


夜の当番を、二人一組から四人一組にした。東を二組、西を一組。櫓を二つ建てて、そこに一組ずつ上げた。


ジンは、夜、森へ出るのをやめた。


やめると決めた時、誰も何も言わなかった。村長も、猟師も、粉屋も、当たり前のような顔で頷いた。


——柵の外で待たせる、と言ったのは自分だ。


三年前、この村の囲炉裏端で、そう言った。柵で速度を落とし、道を絞り、届く数を減らす。減らせない分は、森で減らす、と。


森で減らす役が、なくなった。


森へ入れば、二十騎に見られる。見られれば、村の夜が薄いことが知れる。


だから、待つ側に回った。


三年で初めて、ジンは、柵の内側で夜を過ごすようになった。


眠れは、しなかった。


◇


雪が深くなって、七日目の朝だった。


東の柵の外に、足跡があった。


見つけたのは、櫓に上がっていた若い衆だ。降りてきて、ジンを呼んだ。呼びに来る足が、もつれていた。


ジンは、柵を越えて、見に行った。


数えた。


十二。


雪の上に、点々と、森の際から柵の手前まで来て、そこで折り返している。


ゴブリンだった。足の大きさで分かる。


だが、ジンが見ていたのは、そこではなかった。


十二の足跡が、揃っていた。


歩幅が、同じだった。間隔が、同じだった。列を作って、一つの向きへ歩き、柵の手前で、いっせいに折り返している。


逸れた跡が、一つもなかった。


「……見てったのか」


猟師が、後ろで言った。


「はい」


「なんで、入ってこねえんだ。柵の手前まで来て」


「入る理由がないからです」


ジンは、足跡の一つに指を入れた。縁が硬い。夜半には来ていた。


「あれは、腹が減って来たのではありません。……見に来ました」


「魔物が、見に来るのか」


「魔物は、来ません」


ジンは、立ち上がった。


「寄越した者が、見に来ました」


◇


村長は、話を聞くと、杖を持って外へ出た。


自分の目で足跡を見て、しばらく黙っていた。


「何日だ」


「今夜からです」


「なぜ分かる」


「見に来る必要が、もうないからです」


村長は、頷いた。


それから、大菩提樹の下へ行って、村の者を全部呼んだ。


「今夜から、来る」


老人は、そう言った。


三十八人が、聞いていた。誰も、悲鳴を上げなかった。三年前なら、上げていただろう。今は、皆、自分の持ち場を見た。


「支度は、済んどる。当番表は壁にある。段取りは、去年の冬と同じだ」


村長は、杖を突いた。


「一つだけ、去年と違うことを言うぞ」


皆が、顔を上げた。


「去年は、一晩だった。今度は、そうはいかん。……だから、寝ろ」


老人は言った。


「当番でない者は、寝ろ。飯は三度、食え。糞は決めた場所でしろ。泣きたい奴は、昼のうちに泣いとけ」


粉屋が、吹き出した。


笑いが、少しだけ広がって、すぐに収まった。だが、収まった後の顔つきが、さっきまでと違っていた。


◇


日が落ちた。


ジンは、東の櫓に上がった。


雪は降っていなかった。月が出ていて、森の際まで、白く見えた。


半刻ほど、何もなかった。


それから、森の際の闇が、動いた。


一つ。二つ。三つ。


出てきた影が、木の間から、順に、並んだ。


並んだのだ。


魔物は、並ばない。餌を見れば先を争い、遅れた者は逸れる。三年、それを見てきた。


だが、目の前の影は、森の際に沿って、横一列に、間隔を空けて並んでいった。


ジンは、数えるのをやめた。


数える速さより、増える速さのほうが速かった。


「……ジンさん」


櫓の下で、若い衆の声がした。


「鳴子、鳴らしますか」


「鳴らしてください」


ジンは言った。


「一つだけ。東の、いちばん外の一つを」


「一つ?」


「はい」


鳴子が、鳴った。


乾いた音が、雪の上を走っていった。


村の中で、戸が開く音がした。子供の足音。桶の音。婆さまが何か言い、若い衆が返事をした。慌てた音では、なかった。


三年、稽古してきた音だった。


森の際の影が、いっせいに、こちらを向いた。


そして、歩き出した。


◇


一日目の夜は、柵で終わった。


一本道の入り口に、六組が並んだ。同時に接したのは、四匹。多い時で、五匹。


一組が押され、隣の組が横から止め、後ろの組が塞いだ。押された組は下がって、水を飲んで、また前に出た。


ジンは、櫓の上から、順を見ていた。


下りたのは、二度だけだ。柵の杭が一本抜けて、そこから二匹が入りかけた時と、明け方、疲れた組の位置がずれた時。


どちらも、間に合った。


夜が明けた。


東の柵の外に、二十を超えて積み上がっていた。


村の側は、擦り傷が四人。腕を打った者が一人。リゼが呼ばれたが、リゼは腕の男を見て、「これは、ほっといても治る」と言って、家へ帰された。


◇


朝飯の煙が、上がった。


三十八人が、順に椀を持って並んだ。


ジンは、東の森を見ていた。


森の際に、まだ影があった。


減っていなかった。


昨夜出てきた数より、増えているように見えた。木の間から、後ろの列が、まだ出てきている。


「……何日だ」


隣に来た村長が、訊いた。


ジンは、答えなかった。


答えるべき数を、持っていなかったからだ。


代わりに、こう言った。


「一日目です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。