第五十三話 一日目の夜
◇
初雪は、思ったより早かった。
薄く積もって、昼には消えた。それから三日おきに降って、四度目で根雪になった。
その二十日ほどを、村は、まるごと支度に使った。
柵は、三重にした。東側だけだ。杭を足す木はもうなかったので、納屋を一つ潰して板を取った。粉屋が「あれは俺の親父が建てたんだ」と言い、それから自分で最初の一枚を剥がした。
井戸の脇に、水の樽を八つ並べた。屋根に濡らした筵を上げた。乾いた藁を全部、村の中央へ寄せた。
家々の間に、板と土嚢で仕切りを作った。一本道を抜かれた時に、二本目、三本目の細い道ができるようにした。
「増やすんじゃなくて、狭くするのか」
猟師が訊いた。
「はい」
ジンは言った。
「村の中を、村の外と同じ形にします。……広い場所を、作らないことです」
◇
食い物は、足りていた。
秋の刈り入れが、村始まって以来の年だったからだ。麦も、根菜も、去年より多い。それを全部、村の中央の三軒に集めた。
集め終えた日に、シャルロッテが数を出した。
「三十八人で、四十二日ですわ」
「四十二」
「ただし、それは食べるだけの日数ですの。怪我人が出れば湯を沸かします。薪の勘定を入れると、三十日と見るべきですわ」
彼女は、帳面を閉じた。
「わたくしの見立てでは、七日で決まりますの」
「なぜです」
「向こうも冬を越すからですわ。魔物を檻に入れて冬を越させる費用は、たぶん、兵を食わせるより高くつきます」
シャルロッテは、そこで言葉を切った。
「……檻、と申し上げてしまいましたわね」
「言いましたね」
「なぜでしょう。そういう形しか、思い浮かびませんの」
◇
早馬は、三頭出した。
一頭は、伯爵へ。シャルロッテが書いた。届出でも嘆願でもなく、数字だけを並べた文だった。杭の本数、村の人数、街道の幅、そして東から回れる道が三本しかないこと。
「父は、数字なら読みますわ」
彼女は、そう言って封をした。
一頭は、グレンツのギルドへ。ヴィオラ宛だ。こちらは、ジンが書いた。三行で終わった。
一頭が、南へ向かった。
乗ったのは、フィオナだった。
「大魔境の南の入り口。合ってる?」
「合っている。だが、もう奥に入っているかもしれん」
「入ってても、入り口には誰かいるでしょ。教国の連中が」
フィオナは、鞍を締め直した。手が、少し震えていた。
「あのさ」
「なんだ」
「あたし、あんまり役に立ってないよね。ここに残っても、灯り二本と、あと少しだし」
「フィオナ」
「うん」
「三頭のうち、いちばん遠いのを頼んだ」
ジンは言った。
「いちばん遠いのを、いちばん確かな者に頼んだ」
フィオナは、鼻の頭を掻いた。掻いて、それから、下手くそに笑った。
「……ずるいよ、そういうの」
「よく言われる」
彼女は、馬に乗った。
「行ってくる」
「ああ」
「ちゃんと、おかえりって言ってよね」
馬は、南の道を駆けていった。
雪の上に、蹄の跡が四つ、五つと続いて、林の陰で見えなくなった。
◇
その日から、当番表を書き換えた。
夜の当番を、二人一組から四人一組にした。東を二組、西を一組。櫓を二つ建てて、そこに一組ずつ上げた。
ジンは、夜、森へ出るのをやめた。
やめると決めた時、誰も何も言わなかった。村長も、猟師も、粉屋も、当たり前のような顔で頷いた。
——柵の外で待たせる、と言ったのは自分だ。
三年前、この村の囲炉裏端で、そう言った。柵で速度を落とし、道を絞り、届く数を減らす。減らせない分は、森で減らす、と。
森で減らす役が、なくなった。
森へ入れば、二十騎に見られる。見られれば、村の夜が薄いことが知れる。
だから、待つ側に回った。
三年で初めて、ジンは、柵の内側で夜を過ごすようになった。
眠れは、しなかった。
◇
雪が深くなって、七日目の朝だった。
東の柵の外に、足跡があった。
見つけたのは、櫓に上がっていた若い衆だ。降りてきて、ジンを呼んだ。呼びに来る足が、もつれていた。
ジンは、柵を越えて、見に行った。
数えた。
十二。
雪の上に、点々と、森の際から柵の手前まで来て、そこで折り返している。
ゴブリンだった。足の大きさで分かる。
だが、ジンが見ていたのは、そこではなかった。
十二の足跡が、揃っていた。
歩幅が、同じだった。間隔が、同じだった。列を作って、一つの向きへ歩き、柵の手前で、いっせいに折り返している。
逸れた跡が、一つもなかった。
「……見てったのか」
猟師が、後ろで言った。
「はい」
「なんで、入ってこねえんだ。柵の手前まで来て」
「入る理由がないからです」
ジンは、足跡の一つに指を入れた。縁が硬い。夜半には来ていた。
「あれは、腹が減って来たのではありません。……見に来ました」
「魔物が、見に来るのか」
「魔物は、来ません」
ジンは、立ち上がった。
「寄越した者が、見に来ました」
◇
村長は、話を聞くと、杖を持って外へ出た。
自分の目で足跡を見て、しばらく黙っていた。
「何日だ」
「今夜からです」
「なぜ分かる」
「見に来る必要が、もうないからです」
村長は、頷いた。
それから、大菩提樹の下へ行って、村の者を全部呼んだ。
「今夜から、来る」
老人は、そう言った。
三十八人が、聞いていた。誰も、悲鳴を上げなかった。三年前なら、上げていただろう。今は、皆、自分の持ち場を見た。
「支度は、済んどる。当番表は壁にある。段取りは、去年の冬と同じだ」
村長は、杖を突いた。
「一つだけ、去年と違うことを言うぞ」
皆が、顔を上げた。
「去年は、一晩だった。今度は、そうはいかん。……だから、寝ろ」
老人は言った。
「当番でない者は、寝ろ。飯は三度、食え。糞は決めた場所でしろ。泣きたい奴は、昼のうちに泣いとけ」
粉屋が、吹き出した。
笑いが、少しだけ広がって、すぐに収まった。だが、収まった後の顔つきが、さっきまでと違っていた。
◇
日が落ちた。
ジンは、東の櫓に上がった。
雪は降っていなかった。月が出ていて、森の際まで、白く見えた。
半刻ほど、何もなかった。
それから、森の際の闇が、動いた。
一つ。二つ。三つ。
出てきた影が、木の間から、順に、並んだ。
並んだのだ。
魔物は、並ばない。餌を見れば先を争い、遅れた者は逸れる。三年、それを見てきた。
だが、目の前の影は、森の際に沿って、横一列に、間隔を空けて並んでいった。
ジンは、数えるのをやめた。
数える速さより、増える速さのほうが速かった。
「……ジンさん」
櫓の下で、若い衆の声がした。
「鳴子、鳴らしますか」
「鳴らしてください」
ジンは言った。
「一つだけ。東の、いちばん外の一つを」
「一つ?」
「はい」
鳴子が、鳴った。
乾いた音が、雪の上を走っていった。
村の中で、戸が開く音がした。子供の足音。桶の音。婆さまが何か言い、若い衆が返事をした。慌てた音では、なかった。
三年、稽古してきた音だった。
森の際の影が、いっせいに、こちらを向いた。
そして、歩き出した。
◇
一日目の夜は、柵で終わった。
一本道の入り口に、六組が並んだ。同時に接したのは、四匹。多い時で、五匹。
一組が押され、隣の組が横から止め、後ろの組が塞いだ。押された組は下がって、水を飲んで、また前に出た。
ジンは、櫓の上から、順を見ていた。
下りたのは、二度だけだ。柵の杭が一本抜けて、そこから二匹が入りかけた時と、明け方、疲れた組の位置がずれた時。
どちらも、間に合った。
夜が明けた。
東の柵の外に、二十を超えて積み上がっていた。
村の側は、擦り傷が四人。腕を打った者が一人。リゼが呼ばれたが、リゼは腕の男を見て、「これは、ほっといても治る」と言って、家へ帰された。
◇
朝飯の煙が、上がった。
三十八人が、順に椀を持って並んだ。
ジンは、東の森を見ていた。
森の際に、まだ影があった。
減っていなかった。
昨夜出てきた数より、増えているように見えた。木の間から、後ろの列が、まだ出てきている。
「……何日だ」
隣に来た村長が、訊いた。
ジンは、答えなかった。
答えるべき数を、持っていなかったからだ。
代わりに、こう言った。
「一日目です」




