↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
50/54

第五十話 減った夜


勇者が村を出て、十日ほどは、子供たちが勇者ごっこをしていた。


木の枝を振り回し、手のひらを開いて「火!」と叫び、火は出ないので、代わりに砂を投げた。婆さまに叱られて、井戸端から追い払われた。


半月経つ頃には、誰も勇者の話をしなくなった。


村の話題は、麦に戻った。



柵の補修は、十日で終わった。


差し替えた杭は、七十三本。冬から春にかけて傷んだ分をまとめて直したので、東側は新しい木の色が続いている。


ジンは、当番表を書き直した。


炭で線を引いた板を、村長の家の壁に掛けてある。誰がどの刻に、どこに立つか。夜は二人一組で、東と西に分ける。半月ごとに組を入れ替える。


書き直していると、村長が覗きに来た。


「わしの名がないぞ」


「膝が悪いでしょう」


「立っとるだけならできる」


「立っているだけの仕事は、ありません」


村長は、ふん、と言って、それでも嬉しそうに杖をついて帰っていった。


粉屋が笑った。


「じいさん、あれ、入れてほしいだけだぞ」


「知っています」


「入れてやれよ」


「昼の見回りに入れます。日が高いうちなら、あの人がいちばん早く気づく」


粉屋は、少し黙ってから、頭を掻いた。


「……お前、そういうとこ、ずるいな」



シャルロッテは、村に居着いていた。


村長の家の裏の一間が、そのまま彼女の仕事場になっている。机が一つ増え、帳面の束が壁際に積み上がり、算盤の音が、朝から夕まで途切れない。


初めのうち、村人は近寄らなかった。伯爵家の令嬢というものが、どういう生き物なのか分からなかったからだ。


夏の終わりには、勝手に入ってくるようになった。


「シャル様、うちの婆さん、去年より足が動くようになったんだが、これも書くのかね」


「書きますわ」


「病気じゃねえぞ。良くなった話だ」


「良くなった話こそ書くのですわ。……何をしたら良くなったのか、教えてくださいまし」


「何もしとらんが」


「では、何もしていないのに良くなった、と書きます」


彼女は、本当にそう書いた。


村人は、それが面白いらしかった。次の日には、別の誰かが別の話を持ってきた。井戸の水の味が変わっただの、鶏が卵を産まなくなっただの、犬が夜に吠える回数が減っただの。


シャルロッテは、全部書いた。


「あんな細かいこと、書いて何になるんですか」


フィオナが訊いたことがある。


「今は、何にもなりませんわ」


シャルロッテは、ペンを止めずに答えた。


「ですが、三年経ってから振り返った時、犬が吠えなくなった年が、何かの始まりだったと分かることがあるのです。……その時に、書いていなければ、分かりません」



リゼが人の手当てをするのは、もう、当たり前のことになっていた。


夏のあいだに、四人。


鎌で足を切った男が一人。屋根から落ちた若いのが一人。子供が二人。


婆さまたちが、勝手に段取りを作っていた。誰かが怪我をすると、まず布で縛って血を止める。それからリゼを呼ぶ。呼ぶのは走れる子供の役目で、リゼを連れてきたら、必ず水を飲ませる。


「終わったら、寝かせるんだよ。この子は、やった後に眠くなる」


婆さまが、そう言って仕切った。


リゼは、手を当てるとき、必ず相手の顔を見る。


「痛い?」


「痛くねえよ」


「嘘」


「……ちょっとな」


「じゃあ、あとちょっと」


それだけの会話をして、光が消える。


見物人は、もう集まらなかった。


ジンは、それが何よりありがたかった。



フィオナは、月に一度、街から戻ってきた。


「師匠、ただいま」


「その呼び方はやめてくれ」


「やめない」


彼女は、荷を下ろしながら言った。


「ギルドで、あたし、なんて呼ばれてると思う? 『師匠持ちのフィオナ』だよ。もう手遅れなの」


「誰が広めた」


「ヴィオラさん」


ジンは、天を仰いだ。


「あの人が、酒場で言いふらしてるの。うちの村に化物の師匠がいるって。……あ、化物はあんたね」


「……そうか」


「否定しないんだ」


「否定して通ったことがない」


フィオナは、腹を抱えて笑った。



夜の狩りは、静かになった。


八月の終わり、三晩続けて、何も出なかった。


そんなことは、四年で一度もなかった。


ジンは、いつも通り歩いた。柵の外を回り、沢まで下り、尾根の肩まで上がって、東を見た。


森は、静かだった。


鳥は、まだ戻っていない。だが、魔物も来なくなった。


——押し出されていない。


そう思った。


奥で何かが変わったのだ。ソラがもう最奥へ着いたとは思えない。あの一行の足で、そこまでは行けない。


では、なぜ止まったのか。



四晩目の朝、井戸端でエマに会った。


「今夜も、なんもなかったの?」


「ああ」


「よかったじゃない」


エマは、桶を引き上げながら言った。


「なんで、そんな顔してんのよ」


「顔」


「してるわよ。前に、狼が来なくなった冬にも、その顔してた」


ジンは、自分の頬を触った。


「……止まったのが、分からない」


「止まったんならいいでしょ」


「止め方が分からないうちは、いつまた動き出すか、分からない」


エマは、桶を置いた。


「あんたって、ほんと」


「なんだ」


「なんもない日を、なんもない日として過ごせないのね」


ジンは、答えなかった。


エマは、しばらくジンの顔を見ていた。


それから、桶を持ち上げて、家のほうへ歩き出した。


「……あんたが心配してるうちは、たぶん、大丈夫よ。あたしはそう思っとく」



秋が来て、刈り入れが始まった。


七日かかった。


村中が畑に出て、日が沈むまで鎌を振った。ジンも出た。シャルロッテまで出て、三時間で腰が立たなくなり、婆さまたちに笑われながら日陰に運ばれた。


最後の束を積み終えた夜、広場に火を焚いた。


粉屋が酒を出し、誰かが笛を吹き、子供が転がって寝た。


去年より、収穫が多かった。


東の畑を作り直したことと、水路を引き直したことが効いていた。


「来年は、もう少し東を広げられる」


村長が言った。


「あの窪地の村にも、種籾を回せるかもしれん」


「回しましょう」


「……そうか」


村長は、火を見ていた。


「わしが村長になってから、こんな年は、初めてだ」



火が小さくなった頃、シャルロッテが席を立った。


戻ってきた時、手に一通の書状を持っていた。


顔から、酒の色が消えていた。


「ジン」


「はい」


「今日の昼に、早馬が来ておりました。……祝いの席で出すことではないと思って、黙っておりましたの」


彼女は、書状を開いた。


「父から。……北の国境で、ヴェルガ帝国が動員を始めております」


笛の音が、止まった。


「規模は」


「まだ分かりませんわ。ですが、王都が兵を北へ回すという触れが出ています。……三年、返事をよこさなかった王都が、初めて、こちらへ書状を送ってまいりました」


「なんと」


シャルロッテは、書状を畳んだ。


「『東方より侵入の恐れあり。各領において、街道の警戒を厳とされたい』」


火の粉が、一つ上がって、消えた。


ジンは、東の空を見た。


——止まったのではない。


そう思った。


溜めていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。