第四十九話 灰鴉の報告
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灰鴉の報告書には、書式がある。
一枚目に、事実。二枚目に、数。三枚目に、出どころ。所見を書いてよいのは、最後の三行だけだ。それ以上書けば、上は読まない。読まないどころか、書いた者の名を覚える。悪い覚え方で。
レナート・ヴェスパーは、その三行に、四年、同じことを書いてきた。
夏の盛りの、天幕の中だった。
外を、荷駄の列が通っていく。北の国境へ回す糧秣だ。東方の陣にいる者は皆、自分たちが二番目であることを知っている。
レナートは、書きかけの紙を見た。
『オストマルク辺境、リンデ村。人口およそ七十。柵、二重。北の斜面まで延伸済み。鳴子、確認できた分で六十八。夜間、二人一組の当番あり。当該村よりの被害の届出、この四年、なし』
数は正しい。全部、自分の目で数えた。
問題は、そこから先だった。
◇
四年前の春だった。
十二名。名目は街道の踏査。実務は三つあった。渡渉点と橋の目測。冬の積雪の線。そして三つ目が、土地の守り手の把握と、必要なら、その排除。
絵図を引いたのは、レナートだ。
井戸の位置。道の幅。家の並び。水路の落差。十日通って、歩幅で測って、写した。最後に、村外れの小屋一つへ、小さな印をつけた。
村でただ一人、剣で食ってきた男の小屋だった。
老人は毎朝、森の際を歩いていた。四十年、同じ刻に、同じ道を。だから朝を待たなかった。前の晩に、森で待った。
腕は、悪くなかった。老いた体で、味方を一人、使いものにならなくした。それでも、四十年の毎朝は、十二人の待ち伏せには足りなかった。
その夜のうちに、村へ入った。
納屋に火をつけ、村の目がそちらへ向いた隙に、火のない側から歩いた。抵抗を測るための示威だった。半刻で退く手筈だった。
二人が、戻らなかった。
◇
退き際は、悪くなかったと思う。
負傷者を担ぎ、殿を残し、順に下がった。訓練どおりだった。ただ、道の脇に転がった二つを、拾う余裕がなかった。
レナートは、森の際に伏せて、夜明けを待っていた。
村の者が、二つに筵をかけた。誰も近寄りたがらなかった。
昼前になって、少年が一人、鍬を担いで出てきた。
森の際で、土を掘り始めた。二つ、掘った。
大人たちが遠巻きに集まり、何か言い、少年が短く答え、そして一人ずつ離れていった。少年は掘り続けた。
埋め終えると、少年は手を合わせた。長くはなかった。
レナートは、それを見ていた。
木の間から、五十歩ほどの距離で、息を殺して、ずっと見ていた。
十三か、四に見えた。細い体だった。前の晩、その体が二人を斬ったのだと、頭では分かっていた。分かった上で、目が受けつけなかった。
その日の報告に、彼はこう書いた。
『当該村に、剣技を修めた者一名あり。年齢、十三、四と見られる』
返書は、ひと月後に来た。
『誤認であろう。以後、所見は簡潔に』
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以来、四年。
三十七通、書いた。
十二通目で、上官に呼ばれた。詩を書くな、と言われた。二十通を過ぎたあたりから、誰も何も言わなくなった。呼ばれもしない代わりに、返書も来なくなった。
それでも、彼は年に二度、あの村へ行った。
尾根に登り、腹ばいになって、日が落ちるまで数えた。杭の本数。鳴子の位置。畑の広がり方。村の男たちの立ち方。
去年の冬は、大きい夜があった。
五十を超えるものが、東から村へ向かった。レナートは尾根から、それが森を出るのを見た。あの数なら、朝には村はない。そう思って、そのまま夜を明かした。
朝、村は建っていた。
竈の煙が上がっていた。焼けたのは畑と柵で、家ではなかった。
その報告は、三十一通目になったが返書は来なかった。
◇
一度だけ、近くまで行ったことがある。
一昨年の夏の夜だった。柵の外を、影が一つ、歩いていた。
灯りは持っていなかった。足音も、ほとんどしなかった。沢まで下り、尾根の肩まで上がって、また下りてくる。決まった道を、決まった順に回っているのが分かった。
レナートは、四十歩の距離を保ってついていった。彼はそれを得意としている。十四年、それで食ってきた。
半刻ほどで、影が足を止めた。
振り向きはしなかった。ただ、止まった。
そして、そこから動かなくなった。
レナートは、動けなかった。夜が明けるまで、木の根元で、膝を抱えていた。夜が明けた時、影はもういなかった。
その夜のことは、報告に書いていない。
書き方が、分からなかった。
◇
昼を過ぎて、天幕に呼び出しが来た。
魔導技師の陣へ、地形の写しを持って来い、という。
ヴィクトル・グラムの天幕は、陣のいちばん奥にあった。中は涼しかった。石の卓が据えられ、その上に、東の森の地形図が広げられている。レナートが四年かけて描いた線が、そこにあった。
「ご苦労です」
グラムは、顔も上げずに言った。
「渡渉点の水位ですが、貴官の見立てより、二寸低い」
「春の測りです。夏は下がります」
「なるほど。書き足しておきましょう」
グラムは、細い字で、余白に何か書き込んだ。それから、初めてレナートを見た。
「貴官は、あの村の綴りを書いている方ですな」
「はい」
「読みました。全部」
レナートは、返事をしなかった。
「面白い数字です。届出が四年ない。……周りの村は、消えているのに」
グラムは、地形図の上を指でなぞった。東の奥へ、奥へ。
「窪地が一つ。谷が二つ。北の三つは、こちらの見込み通りの日数で片づきました。人の数も、逃げた方角も、ほぼ計算に合っております。……あの村だけが、合いませんでした。」
「……」
「合わないものは、面白い」
◇
「一つ、伺ってもよろしいですか」
レナートは言った。
「なんなりと」
「あれは、湧かせているのですか」
グラムは、少し驚いた顔をした。それから、笑った。愉快そうな笑い方だった。
「湧きませんよ、魔物は。畑の虫ではない」
彼は、卓の下から一枚の図面を出した。
太い枠が描かれている。角のある、四角い籠のようなもの。寸法が細かく書き込まれ、隅に軍需の印が押してあった。
「移すのです。奥から外へ」
「……運ぶと」
「そう。捕らえて、入れて、引いてくる。橇で引ければ橇で、無理なら、そのまま地面を」
グラムは、図面の隅を指で叩いた。
「奥のものは、素材が良い。実に良い。外の森で捕れるものとは、体の作りが違います。……あそこは、そういう場所です」
レナートは、図面を見ていた。
人が二人ほど入る大きさだった。
◇
「初めは十でした」
グラムは、指を折るような調子で言った。
「三年前です。十を、決まった方角へ動かせるかを試した。動きました。次が五十。五十を一晩、同じ向きに保てた時は、私も嬉しかった」
「……」
「去年の冬が、二百です。あれは、うまくいった」
「二百」
「ええ。二百を、一つの谷筋へ流した。あれだけの数が逸れずに歩いたのは、おそらく、この世界で初めてです」
グラムは、そう言って、少し目を細めた。
「命じているのではありません。魔物に命令は通じない。私が与えているのは、向きと、飢えだけです。……向きさえ与えれば、あとは勝手に歩く。人と同じですよ」
レナートは、地形図の東の端を見ていた。
四年前、自分が歩いて測った線だ。渡渉点。積雪の線。村へ至る、南の一本道。
その線の上を、二百が歩いた。
◇
「では」
レナートは言った。
「この夏、なぜ止まっているのですか」
グラムが、初めて手を止めた。
「気づかれましたか」
「東の森が、静かです。押し出しが、六月から止まっています」
「よくご覧になっている」
グラムは、満足そうに頷いた。
「放っていないのです。今は」
「なぜ」
「溜めているからです」
彼は、図面を軽く指で弾いた。
「檻が、いま七十二。一つに六から八。……冬の初めに、一度に出します。数にして、四百」
天幕の外で、荷駄の車輪が鳴った。
「四百」
「二百で落ちなかったのなら、四百です。単純な話でしょう。備えというのは、ある高さまでは効きます。効かなくなる高さが、必ずある」
グラムは、羽根ペンを置いた。
「私は、それを探しているだけです」
◇
レナートは、頭の中で数を並べた。
十。五十。二百。四百。
三年で、四十倍。
一人の男が、四年かけて増やした杭の本数を思い出した。七十三本。三年で、村の柵は二重になり、鳴子は六十八になった。
釣り合っていない。
そう思った。どちらが、とは、自分でも言えなかった。
「もう一つ、伺ってもよろしいですか」
「どうぞ」
「奥から引きずり出すことについて、です」
グラムが、顔を上げた。
「引きずり出せば、奥が空きます。空いた分は、どこから埋まりますか」
「もっと奥から、でしょう」
「では、いちばん奥は」
グラムは、少し考えるような顔をした。だが、それは考える顔の形をしていただけだった。
「森に、意思はありません」
彼は言った。
「そこは、資源の置き場です。深いところほど、良いものが眠っている。それだけのことです」
「……鳥が、いません」
「は?」
「東の森に、鳥がいません。二年前から、一羽も」
グラムは、地形図に目を戻した。
「鳥は、数に入れておりません」
◇
日が傾いてから、レナートは書記の天幕へ寄った。
三十七通目を綴じに出した。若い書記が、判を押し、束の上に重ねた。束は、彼の腕ほどの高さがあった。
「これ、どこまで上がるんですか」
書記が訊いた。悪気のない訊き方だった。
「さあ」
「読む人、いるんですかね」
レナートは、束を見た。
「将軍は、お読みだそうだ」
「え」
「全部、最後の行まで。……副官殿が、そう言っていた」
書記は、へえ、と言って、束を棚へ押し込んだ。
◇
天幕へ戻り、レナートは新しい紙を出した。
三十八通目になる。
事実。数。出どころ。ここまでは、指が勝手に動く。
問題は、最後の三行だった。
彼は、四年前の絵図のことを考えていた。井戸の位置。道の幅。家の並び。そして、村外れの小屋につけた、小さな印。
守り手は、消した。あの村は、その日から丸腰になったはずだった。
——なったはずだった。
代わりに、あの村は、別のものを持った。
夜の狩りを続ける男を、彼は何と呼べばいいのか、いまだに決めかねている。
剣士、と書けば嘘になる。あれは腕前の話ではない。冒険者では足りない。兵ではない。指揮官でもない。魔法の使い手ですらないと、村の者は言っていた。
四年、毎晩、同じことをする男。
そう書けば、上は必ず削るだろう。詩を書くなと。
レナートは、ペンを置いた。
それから、また取った。
書いた。
『——化物、と書く他ないな』




