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転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
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第四十九話 灰鴉の報告


灰鴉の報告書には、書式がある。


一枚目に、事実。二枚目に、数。三枚目に、出どころ。所見を書いてよいのは、最後の三行だけだ。それ以上書けば、上は読まない。読まないどころか、書いた者の名を覚える。悪い覚え方で。


レナート・ヴェスパーは、その三行に、四年、同じことを書いてきた。


夏の盛りの、天幕の中だった。


外を、荷駄の列が通っていく。北の国境へ回す糧秣だ。東方の陣にいる者は皆、自分たちが二番目であることを知っている。


レナートは、書きかけの紙を見た。


『オストマルク辺境、リンデ村。人口およそ七十。柵、二重。北の斜面まで延伸済み。鳴子、確認できた分で六十八。夜間、二人一組の当番あり。当該村よりの被害の届出、この四年、なし』


数は正しい。全部、自分の目で数えた。


問題は、そこから先だった。



四年前の春だった。


十二名。名目は街道の踏査。実務は三つあった。渡渉点と橋の目測。冬の積雪の線。そして三つ目が、土地の守り手の把握と、必要なら、その排除。


絵図を引いたのは、レナートだ。


井戸の位置。道の幅。家の並び。水路の落差。十日通って、歩幅で測って、写した。最後に、村外れの小屋一つへ、小さな印をつけた。


村でただ一人、剣で食ってきた男の小屋だった。


老人は毎朝、森の際を歩いていた。四十年、同じ刻に、同じ道を。だから朝を待たなかった。前の晩に、森で待った。


腕は、悪くなかった。老いた体で、味方を一人、使いものにならなくした。それでも、四十年の毎朝は、十二人の待ち伏せには足りなかった。


その夜のうちに、村へ入った。


納屋に火をつけ、村の目がそちらへ向いた隙に、火のない側から歩いた。抵抗を測るための示威だった。半刻で退く手筈だった。


二人が、戻らなかった。



退き際は、悪くなかったと思う。


負傷者を担ぎ、殿を残し、順に下がった。訓練どおりだった。ただ、道の脇に転がった二つを、拾う余裕がなかった。


レナートは、森の際に伏せて、夜明けを待っていた。


村の者が、二つに筵をかけた。誰も近寄りたがらなかった。


昼前になって、少年が一人、鍬を担いで出てきた。


森の際で、土を掘り始めた。二つ、掘った。


大人たちが遠巻きに集まり、何か言い、少年が短く答え、そして一人ずつ離れていった。少年は掘り続けた。


埋め終えると、少年は手を合わせた。長くはなかった。


レナートは、それを見ていた。


木の間から、五十歩ほどの距離で、息を殺して、ずっと見ていた。


十三か、四に見えた。細い体だった。前の晩、その体が二人を斬ったのだと、頭では分かっていた。分かった上で、目が受けつけなかった。


その日の報告に、彼はこう書いた。


『当該村に、剣技を修めた者一名あり。年齢、十三、四と見られる』


返書は、ひと月後に来た。


『誤認であろう。以後、所見は簡潔に』



以来、四年。


三十七通、書いた。


十二通目で、上官に呼ばれた。詩を書くな、と言われた。二十通を過ぎたあたりから、誰も何も言わなくなった。呼ばれもしない代わりに、返書も来なくなった。


それでも、彼は年に二度、あの村へ行った。


尾根に登り、腹ばいになって、日が落ちるまで数えた。杭の本数。鳴子の位置。畑の広がり方。村の男たちの立ち方。


去年の冬は、大きい夜があった。


五十を超えるものが、東から村へ向かった。レナートは尾根から、それが森を出るのを見た。あの数なら、朝には村はない。そう思って、そのまま夜を明かした。


朝、村は建っていた。


竈の煙が上がっていた。焼けたのは畑と柵で、家ではなかった。


その報告は、三十一通目になったが返書は来なかった。



一度だけ、近くまで行ったことがある。


一昨年の夏の夜だった。柵の外を、影が一つ、歩いていた。


灯りは持っていなかった。足音も、ほとんどしなかった。沢まで下り、尾根の肩まで上がって、また下りてくる。決まった道を、決まった順に回っているのが分かった。


レナートは、四十歩の距離を保ってついていった。彼はそれを得意としている。十四年、それで食ってきた。


半刻ほどで、影が足を止めた。


振り向きはしなかった。ただ、止まった。


そして、そこから動かなくなった。


レナートは、動けなかった。夜が明けるまで、木の根元で、膝を抱えていた。夜が明けた時、影はもういなかった。


その夜のことは、報告に書いていない。


書き方が、分からなかった。



昼を過ぎて、天幕に呼び出しが来た。


魔導技師の陣へ、地形の写しを持って来い、という。


ヴィクトル・グラムの天幕は、陣のいちばん奥にあった。中は涼しかった。石の卓が据えられ、その上に、東の森の地形図が広げられている。レナートが四年かけて描いた線が、そこにあった。


「ご苦労です」


グラムは、顔も上げずに言った。


「渡渉点の水位ですが、貴官の見立てより、二寸低い」


「春の測りです。夏は下がります」


「なるほど。書き足しておきましょう」


グラムは、細い字で、余白に何か書き込んだ。それから、初めてレナートを見た。


「貴官は、あの村の綴りを書いている方ですな」


「はい」


「読みました。全部」


レナートは、返事をしなかった。


「面白い数字です。届出が四年ない。……周りの村は、消えているのに」


グラムは、地形図の上を指でなぞった。東の奥へ、奥へ。


「窪地が一つ。谷が二つ。北の三つは、こちらの見込み通りの日数で片づきました。人の数も、逃げた方角も、ほぼ計算に合っております。……あの村だけが、合いませんでした。」


「……」


「合わないものは、面白い」



「一つ、伺ってもよろしいですか」


レナートは言った。


「なんなりと」


「あれは、湧かせているのですか」


グラムは、少し驚いた顔をした。それから、笑った。愉快そうな笑い方だった。


「湧きませんよ、魔物は。畑の虫ではない」


彼は、卓の下から一枚の図面を出した。


太い枠が描かれている。角のある、四角い籠のようなもの。寸法が細かく書き込まれ、隅に軍需の印が押してあった。


「移すのです。奥から外へ」


「……運ぶと」


「そう。捕らえて、入れて、引いてくる。橇で引ければ橇で、無理なら、そのまま地面を」


グラムは、図面の隅を指で叩いた。


「奥のものは、素材が良い。実に良い。外の森で捕れるものとは、体の作りが違います。……あそこは、そういう場所です」


レナートは、図面を見ていた。


人が二人ほど入る大きさだった。



「初めは十でした」


グラムは、指を折るような調子で言った。


「三年前です。十を、決まった方角へ動かせるかを試した。動きました。次が五十。五十を一晩、同じ向きに保てた時は、私も嬉しかった」


「……」


「去年の冬が、二百です。あれは、うまくいった」


「二百」


「ええ。二百を、一つの谷筋へ流した。あれだけの数が逸れずに歩いたのは、おそらく、この世界で初めてです」


グラムは、そう言って、少し目を細めた。


「命じているのではありません。魔物に命令は通じない。私が与えているのは、向きと、飢えだけです。……向きさえ与えれば、あとは勝手に歩く。人と同じですよ」


レナートは、地形図の東の端を見ていた。


四年前、自分が歩いて測った線だ。渡渉点。積雪の線。村へ至る、南の一本道。


その線の上を、二百が歩いた。



「では」


レナートは言った。


「この夏、なぜ止まっているのですか」


グラムが、初めて手を止めた。


「気づかれましたか」


「東の森が、静かです。押し出しが、六月から止まっています」


「よくご覧になっている」


グラムは、満足そうに頷いた。


「放っていないのです。今は」


「なぜ」


「溜めているからです」


彼は、図面を軽く指で弾いた。


「檻が、いま七十二。一つに六から八。……冬の初めに、一度に出します。数にして、四百」


天幕の外で、荷駄の車輪が鳴った。


「四百」


「二百で落ちなかったのなら、四百です。単純な話でしょう。備えというのは、ある高さまでは効きます。効かなくなる高さが、必ずある」


グラムは、羽根ペンを置いた。


「私は、それを探しているだけです」



レナートは、頭の中で数を並べた。


十。五十。二百。四百。


三年で、四十倍。


一人の男が、四年かけて増やした杭の本数を思い出した。七十三本。三年で、村の柵は二重になり、鳴子は六十八になった。


釣り合っていない。


そう思った。どちらが、とは、自分でも言えなかった。


「もう一つ、伺ってもよろしいですか」


「どうぞ」


「奥から引きずり出すことについて、です」


グラムが、顔を上げた。


「引きずり出せば、奥が空きます。空いた分は、どこから埋まりますか」


「もっと奥から、でしょう」


「では、いちばん奥は」


グラムは、少し考えるような顔をした。だが、それは考える顔の形をしていただけだった。


「森に、意思はありません」


彼は言った。


「そこは、資源の置き場です。深いところほど、良いものが眠っている。それだけのことです」


「……鳥が、いません」


「は?」


「東の森に、鳥がいません。二年前から、一羽も」


グラムは、地形図に目を戻した。


「鳥は、数に入れておりません」



日が傾いてから、レナートは書記の天幕へ寄った。


三十七通目を綴じに出した。若い書記が、判を押し、束の上に重ねた。束は、彼の腕ほどの高さがあった。


「これ、どこまで上がるんですか」


書記が訊いた。悪気のない訊き方だった。


「さあ」


「読む人、いるんですかね」


レナートは、束を見た。


「将軍は、お読みだそうだ」


「え」


「全部、最後の行まで。……副官殿が、そう言っていた」


書記は、へえ、と言って、束を棚へ押し込んだ。



天幕へ戻り、レナートは新しい紙を出した。


三十八通目になる。


事実。数。出どころ。ここまでは、指が勝手に動く。


問題は、最後の三行だった。


彼は、四年前の絵図のことを考えていた。井戸の位置。道の幅。家の並び。そして、村外れの小屋につけた、小さな印。


守り手は、消した。あの村は、その日から丸腰になったはずだった。


——なったはずだった。


代わりに、あの村は、別のものを持った。


夜の狩りを続ける男を、彼は何と呼べばいいのか、いまだに決めかねている。


剣士、と書けば嘘になる。あれは腕前の話ではない。冒険者では足りない。兵ではない。指揮官でもない。魔法の使い手ですらないと、村の者は言っていた。


四年、毎晩、同じことをする男。


そう書けば、上は必ず削るだろう。詩を書くなと。


レナートは、ペンを置いた。


それから、また取った。


書いた。


『——化物、と書く他ないな』

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