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転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
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第四十八話 俺の戦場はここだ


四日目の朝、靄が大菩提樹の根元に溜まっていた。


井戸で顔を洗っていると、後ろに人が立った。


「なあ」


ソラだった。


寝癖のついた頭で、鎧も着ていなかった。


「決めた」


「はい」


「お前、俺の仲間にしてやる」


ジンは、手を止めた。


「……は」


「腕は認めてんだよ。地味だけど、使えるだろ。あの七匹の時も、いちばん早く気づいてたし。……名誉なことだと思うけどな?」


ソラは、そう言って笑った。


からかっている顔ではなかった。本当に、いいことをしていると思っている顔だった。



ジンは、桶を置いた。


——断るのは、簡単だった。


村を離れられない。理由は、それだけで足りる。伯爵にも、同じ理由で断った。


だが、この少年には、それだけで済ませても伝わらないだろうと思った。


だから、少し時間をかけて答えることにした。


「ソラさん」


「なんだよ」


「あなたが奥へ行って、押し出す何かを止めたとします」


「おう」


「そうしたら、この村に、魔物は来なくなりますか」


ソラが、口を開けた。


「……減るだろ」


「減ります。三年前の数に戻るでしょう」


ジンは言った。


「三年前も、魔物は来ていました。その前も、その前も。……ダンという冒険者が、四十年、毎朝森を歩いていました。押し出しなど、なかった頃からです」


「……」


「森があって、村がある。それだけで、毎晩、何かが出ます。それは、誰かが止め続けなければ、止まりません」


靄が、少しずつ薄くなっていた。


「あなたが止めるのは、この三年の、余計な分です。それは、大きい。……ですが、余計な分がなくなっても、元の分は残ります」


「元の分」


「毎晩です」



ソラは、しばらく黙っていた。


「……終わりがねぇのに、やんの?」


「はい」


「なんで」


「終わりがないから、続けるんです」


ジンは言った。


「畑と同じです。今年耕したから、来年は耕さなくていい、ということにはならない。……終わらないことを、終わらないまま続ける。それが、人が生きるということだと、俺は思っています」


ソラは、その言葉を、少しのあいだ、頭の中で転がしている顔をした。


そして、言った。


「意味分かんねぇ」


「……はい」


「畑の話してねぇじゃん、俺。魔王の話してんだけど」


ジンは、答えなかった。


答えても、通じないと思った。



「すまぬ」


「あ?」


「一緒には、行けません」


靄の向こうで、村が起き始めていた。誰かが井戸へ来る足音。竈の煙。犬が吠え、子供が泣いて、婆さまが何か怒鳴っている。


いつも通りの朝だった。


「俺の戦場は、ここだ」


ソラは、その音を聞いていなかった。


聞こえてはいたのだろう。だが、聞いてはいなかった。


「……は?」


ソラは、心底わけが分からないという顔をした。


「なんで断んの」


「村があるからです」


「いや、そりゃあるだろ。だから何」


「……」


「あんた、強ぇんだろ。俺のパーティ入れば、レベルなんか一瞬だぞ。……だったら、こんなとこにいて、何になんだよ」


ジンは、東の空を見た。


靄が、少しずつ晴れていた。


「あなたには、ここが何もない場所に見えますか」


「見えるけど」


ソラは、あっさり言った。


「悪い意味じゃなくてさ。マジで、なんもねぇじゃん」



そこへ、杖の音が近づいてきた。


エルネスタだった。


「ソラ」


「なんだよ」


「一つ、言い忘れてたことがあるの」


彼女は、あくびをしながら言った。


「あなた、連れて来られたのよ」


「……は?」


「この村に来る道、私が引いたの。あなた、地図も見てないでしょう」


ソラの顔が、赤くなった。


「三日前に言おうと思ったのよ。でも、言う機会がなかったの。あなた、人の話を聞かないから」


「いや、ちょっと待てよ」


ソラは、エルネスタとジンを交互に見た。


「じゃあ何、俺、勝手に連れて来られて、勝手に断られたってことかよ」


「そうね」


「……意味分かんねぇ」


ソラは、そう言って、背を向けた。


「もういい。行くぞ、支度しろ」



一行が発ったのは、その日の昼だった。


村の入り口に、見送りが集まった。子供たちが、勇者の名を呼びながら走り回っている。


アリシアが、ジンの前に立ち、深く一礼した。


「三日、ありがとうございました」


「はい」


「……あの、いつか、また稽古をつけていただけますか」


「機会があれば」


「約束ですよ」


アリシアは、そう言って、少し笑った。それから、声を落とした。


「ソラは、ああいう男です。ですが、悪意ではありません」


「分かっています」


「……はい。ありがとうございます」



リディアは、静かに近づいてきた。


「ジン様」


「はい」


「一つ、申し上げておきたいことがございます」


聖女は、声を落とした。


「妹君のことです」


ジンの目が、動いた。


「わたくしは、教会の人間です。……あの光を見て、何も気づかなかったふりをすることは、できません」


「……はい」


「ですが」


リディアは、静かに続けた。


「報告は、いたしません」


ジンは、リディアの顔を見た。


「わたくしは、七つの年に見出されました。それから今日まで、自分で決めたことが、一つもございません。どこに住むか、誰と話すか、何を祈るか。……全部、決められてまいりました」


彼女は、村の中を見た。縄を運ぶ小さな背中が、井戸端を横切っていくところだった。


「あの子には、選ばせておあげなさいまし」


ジンは、頭を下げた。


長く、下げていた。


「お顔を上げてくださいまし」


リディアは、初めて、少しだけ笑った。


「わたくしは、何もしておりません。……ただ、黙っていただけですわ」


「それが、いちばん難しいことです」


「そうかもしれませんね」


聖女は、そう言って、馬のほうへ歩いていった。



エルネスタは、通りすがりに言った。


「令嬢に、話しておやりなさい」


「はい」


「それと。……あんた、うちの勇者を嫌いになった?」


ジンは、少し考えた。


「いえ」


「あら」


「あの人が奥へ行かなければ、来年も同じことが続きます。……俺には、絶対にできない仕事です」


エルネスタは、目を丸くした。


それから、笑った。


「あんた、本当に嫌なやつね」


「……はい」


「褒めてるのよ」



ソラは、最後まで振り返らなかった。


馬を引いて、街道へ向かい、柵の門をくぐる時、片手だけを上げた。


「じゃあな」


そして、こう続けた。


「……粉屋のおっさん」


粉屋が、目を丸くした。


「おう」


返事をした時には、もう白い背中は遠かった。


「……なんだ、あいつ。名前、覚えてやがったのか」


粉屋は、そう言って、頭を掻いた。


ジンは、何も言わなかった。


ただ、遠ざかる四つの影を、しばらく見ていた。



その夕方、ジンはシャルロッテを訪ねた。


村長の家の裏、貸してもらった一間で、彼女は帳面をつけていた。


「あら。珍しいですわね、あなたから来るなんて」


「一つ、お伝えしたいことがあります」


ジンは、そう言って、エルネスタから聞いたことを、そのまま話した。


十一通のこと。ゼロの数字のこと。それを読んだ人間が、西の国にいたこと。そして、その紙が、勇者一行の進路を引いたこと。


シャルロッテは、途中から、ペンを置いていた。


聞き終わってからも、しばらく、何も言わなかった。


「……王都は」


やがて、彼女は言った。


「王都は、読まなかったのに」


「はい」


「読んだのは、教国の魔導士だったと」


「王国の、です」


「どちらでも同じことですわ」


シャルロッテは、机の上の帳面を見た。二十年分の数字が並んでいる、あの束を。


「……笑い話ですわね」


「そう思いますか」


「思いますわ。三年、書いて、返事は判で押したような十一通。それが、まったく関係のないところで、一度だけ役に立った」


彼女は、そう言って、笑おうとした。


うまく笑えていなかった。


「一つだけ、訂正させてください」


ジンは、言った。


「なんですの」


「役に立ったのは、一度ではありません」


「……」


「三年、同じ形式で、同じ場所に、同じ数字を書き続けたから、ゼロが目立ったんです。一度だけ書いた紙なら、誰の目にも留まりません」


シャルロッテは、顔を上げた。


「あなた、ずるいですわ」


「そうですか」


「ずるいですわよ。人を、そういう風に勘定に入れるところが」


彼女は、袖で目のあたりを押さえた。


そして、ペンを取り直した。


「……書きますわ。今日のことも」


「はい」


「読まれなくても、書きます。……いつか、誰かが、まったく別の理由で読むかもしれませんもの」



その夜も、ジンは森へ出た。


村を出る時、東の空に星が出ていた。


一行はもう、街道の先の宿場町あたりだろう。あの少年は、南へ回って、それから東の入り口へ向かうと言っていた。


半年か、一年か。


そのあいだに、この村には明日の夜が来る。


明後日の夜も来る。


ジンは、森の際に立ち、耳を澄ませた。


風の音。梟が一度鳴いて、やんだ。


東の奥のほうに、まだ、何かがいた。


見られてはいなかった。


だが、いた。

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