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転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
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第四十六話 足の置き方


一日目は、歩くだけで終わった。


朝、村の東の雑木林へ入り、日が暮れるまで、ジンはひたすら足の置き方を言い続けた。


「踵から下ろさないでください。爪先の外側から、静かに置いて、そのあとで重さを乗せる」


「……こう、ですか」


「もう少し、遅く」


アリシアは、素直だった。言われたとおりに歩き、言われたとおりに直した。剣の腕は確かなのに、歩き方は驚くほど下手だった。


「甲冑を、外していただけますか」


「え」


「音がします」


アリシアは、真っ赤になって甲冑を外した。


フィオナが、隣で笑いをこらえていた。


「あんた、あたしの時とおんなじこと言われてる」


「……あなたも?」


「一年前。二日、歩かされたわよ」


「二日」


「あたし、そのあと三日、足が動かなくなったから」



昼を過ぎて、糞の見方に移った。


「新しいものは、艶があります。古いものは、乾いて崩れる」


「……はい」


「見るのは、新しさだけではありません。中身です。……骨が混じっていれば、近くに獲物がいた。混じっていなければ、飢えている」


「飢えているほうが、危ないのですね」


「はい。飢えたものは、人を狙います」


アリシアは、しゃがみ込んで、真面目に覗き込んだ。


木の根元に座っていたソラが、口を挟んだ。


「なあ、それ意味あんの?」


「あります」


「いや、糞見るくらいなら、全部焼いたほうが早くね? そういうの、スキルで一発だろ」


「森が燃えます」


「燃やせばいいだろ、こんな森」


アリシアが、顔を上げた。


「ソラ」


「なんだよ」


「……いえ」


アリシアは、また下を向いた。


ジンは、何も言わなかった。


言わないまま、次へ移った。



風の向きは、日が暮れる前に一度だけ教えた。


「昼と夜で、変わります。昼は谷から尾根へ、夜は尾根から谷へ」


「なぜですか」


「地面が冷える速さが違うので」


「……理屈があるのですね」


「あります。ですが、覚えるのは理屈ではなく、頬です」


「頬」


「風は、頬で分かります。手のひらでは遅い」


アリシアは、頬に手を当てて、しばらくじっとしていた。


そして、驚いた顔をした。


「……変わりました」


「はい。日が落ちたので」



二日目は、村の中でやった。


逃げ道の縄を辿らせ、鳴子の吊り方を見せ、当番の稽古に混ぜた。


三人一組の稽古で、アリシアは正面に立った。


粉屋が、横から怒鳴った。


「姉ちゃん! 前に出すぎだ!」


「はい!」


「正面は退かねえんだ。踏ん張れ。踏ん張るだけでいい。倒すのは横の役目だ」


「はい!」


騎士は、農夫に怒鳴られて、素直に位置を直した。


三度目で、形になった。


「おう、覚えがいいな」


粉屋が、そう言った。


アリシアは、汗を拭いながら、少し笑った。


「私は、一人で二匹を受けようとする癖があります」


「そりゃ死ぬぞ」


「はい。……今、初めて、なぜ死ぬのか分かりました」



三人一組が形になってから、ジンは、もう一つだけ教えた。


「下がる稽古をします」


「下がる」


アリシアが、聞き返した。


「はい。……前へ出る稽古は、どこでもやります。下がる稽古は、あまりやりません」


「なぜでしょう」


「情けないからです」


粉屋が、鼻を鳴らした。


「そりゃそうだ。俺も最初、嫌だったぞ」


ジンは、地面に線を一本引いた。


「この線まで下がったら、そこで踏み止まる。……大事なのは、下がる速さではありません。下がりながら、こちらを見ていることです」


「見ている」


「背中を向けたら、それは逃げです。逃げは、追われます。……下がるのは、間合いを作る仕事です」


アリシアは、剣を構えて、少しずつ後退した。


三歩目で、足がもつれた。


「もう一度」


五度目で、線まで届いた。


「今のが、下がるです」


「……こんなに難しいものだとは、思いませんでした」


「難しいです」


ジンは言った。


「前へ出るのは、勢いでできます。下がるのは、勘定です。今、退いていい場面かどうかを、その場で数えなければならない」


そこへ、ソラが通りかかった。


稽古を見て、一言だけ言った。


「なんで下がる練習してんの?」


「間合いを作るためです」


「間合い作るくらいなら、先に殺せばよくね?」


そう言って、井戸のほうへ歩いていった。


アリシアが、その背中を見ていた。


何も言わなかった。


だが、剣を握り直して、もう一度、線まで下がった。



ソラは、退屈していた。


稽古を半刻ほど見て、あくびをして、井戸端へ行き、そこで子供に囲まれた。


「兄ちゃん、また火出して!」


「しょうがねぇなあ」


手のひらに火を出して見せ、歓声を浴びて、機嫌が直った。


「兄ちゃん、勇者ってすげぇな!」


「まあな」


ソラは、胸を張った。


そのまま夕方まで、子供と遊んでいた。石を投げて的に当て、木に登り、犬に吠えられて逃げた。


その笑い方だけは、年相応だった。


ジンは、柵の上からそれを見ていた。


十七だ。


そう思った。


前世の彼が、初めて戦場へ出たのが十五だった。二年後には、もう何も驚かなくなっていた。


この少年は、まだ何も削れていない。


削れる前に、削られない場所を作られてしまった。それだけのことなのかもしれなかった。



同じ夕方、リディアがリゼを見つけた。


婆さまの手伝いで縄を運んでいたリゼに、白い法衣の少女が声をかけた。


「そのお荷物、重くはございませんか」


「……重くない」


「そう」


リディアは、屈んで、リゼと目の高さを合わせた。


「お名前を、伺っても?」


「リゼ」


「……そう。よいお名前ですわね」


それだけだった。


リディアは、それ以上、何も訊かなかった。手も伸ばさなかった。縄を半分持つと言うこともしなかった。


ただ、リゼが行ってしまうまで、その背中を見ていた。


ジンは、離れた場所からそれを見ていた。


見ていることを、リディアも知っていた。


目が合った。


聖女は、静かに一礼して、家のほうへ歩いていった。


何も言わなかった。


言わないことのほうが、はっきりした答えだった。



二日目の夜、ジンは一人で森へ出た。


誰もついて来なかった。アリシアは足が上がらなくなっており、フィオナは早々に寝た。ソラは子供と遊び疲れて寝ていた。


一匹だけ、柵から二百歩の場所で仕留めた。


戻って、井戸で手を洗った。


大菩提樹の下に、人影があった。


アリシアだった。


素振りをしていた。数を数えている。声には出さず、口だけが動いていた。


ジンは、何も言わずに、隣に立った。


板きれを一枚取り、鉈で丸を刻む場所を確かめてから、剣を抜いた。


百、振った。


アリシアは、途中で止まらなかった。最後まで、隣で振っていた。


終わってから、彼女が言った。


「毎晩、これを?」


「はい」


「何年」


「四年目です」


アリシアは、しばらく黙っていた。


「私は、三日で帰ります」


「はい」


「三日で、あなたの四年には、届きません」


「そうですね。届くことはないと思います」


ジンは、板きれに丸を一つ刻んだ。


「ですが、明日の朝、あなたの足の置き方は、今日より静かになっています」


アリシアは、剣を鞘に納めた。


「……はい」


そして、こう言った。


「明日は、三日目ですね」

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