第四十五話 灰になった足跡
◇
翌朝、一行は発たなかった。
エルネスタが、村へ入る前に外縁を一度見ておきたいと言い出したからだ。ソラは面倒そうな顔をしたが、「奥へ入る前に、外側を知らねぇと死ぬわよ」と言われて、渋々従った。
案内を頼まれた。ジンは、受けた。
フィオナが「あたしも行く」と言い、リゼが「おにいちゃん、気をつけて」と言い、シャルロッテが「必ず、見たものを教えてくださいまし」と言った。
森へ入ったのは、六人だった。
◇
沢の上流まで、半日かかった。
ジンは、ときどき足を止めて、地面を見た。
「静かですね」
アリシアが、そう言った。
「はい」
「鳥が、いません」
「気づかれましたか」
「……いえ。あなたが、さっきから上を見ないので」
ジンは、少しだけアリシアを見た。
この騎士は、見ている。
◇
沢の縁で、それを見つけた。
砂の上に、足跡があった。
「ゴブリンだ」
ソラが、覗き込んだ。
「何匹くらい? 十くらい?」
「十二です」
「よく分かんな」
「並んでいるので」
ジンは、しゃがんだ。
「一列です。間隔が一定で、方向が同じ。……歩幅も、揃っている」
「それが、どうかしたの」
エルネスタが訊いた。
「魔物は、こう歩きません」
ジンは言った。
「群れで動くものでも、先頭が速く、後ろが遅れます。餌があれば逸れます。……この足跡には、逸れた跡が一つもない」
エルネスタが、杖を突いて近づいてきた。
そして、しばらく足跡を見て、顔を上げた。
「……行進ね、これ」
「はい」
もう少し上流で、開けた場所に出た。
そこの地面が、円く踏み固められていた。
中央に、何かを引きずった跡がある。幅は人の背丈ほど。深く、まっすぐ、東へ続いていた。
「重いものを、二人か三人で引いています」
ジンは、その跡に沿って歩いた。
「輪の跡がない。車ではありません。……橇か、そうでなければ、そのまま地面を引きずったか」
「そんな魔法、聞いたことないわ」
エルネスタが言った。
「魔物を並べて歩かせる術者なんて、教国にも王国にもいない」
「……術者、とは限りませんわ」
リディアが、静かに言った。
初めて口を開いた声だった。
◇
そこで、風が変わった。
ジンは、動きを止めた。
沢の下流から、匂いが上がってくる。獣の匂いだ。近い。
「下がってください」
「え?」
「七匹。沢沿いに来ています」
ジンは、静かに言った。
「散らないでください。岩の陰へ。……ソラさん、あなたは一番後ろへ」
「なんで俺が後ろなんだよ」
「ここは狭い。火を出せば、俺たちも燃えます」
木立の間から、影が出てきた。
七匹。
そして——散らなかった。
密集したまま、まっすぐ、こちらへ歩いてきた。
「……揃ってる」
アリシアが、剣を抜いた。
ジンは、沢の縁へ足を送った。石の多い方へ。足場の悪い方へ。
そこで崩す。一匹ずつにする。順番に処理する。
そのために、二歩、下がった。
◇
熱が、背中を打った。
ジンが振り向くより早く、光が前方を白く塗り潰した。
炎が、沢を舐めた。
七匹が、一斉に燃えた。声も上げなかった。密集していたぶん、まとめて。
木の下枝が焦げ、砂が焼けて跳ね、水が音を立てて蒸けた。
そして、終わった。
十を数えるほどの、あいだのことだった。
「……よし」
ソラが、手を下ろした。
「な? 早ぇだろ。……これでレベル上がったかな」
アリシアが、剣を構えたまま固まっていた。フィオナは、火を出す手を上げたまま、それを下ろせずにいた。
七匹は、灰になっていた。
技として、それは正しかった。ジンが三人がかりで一匹ずつ処理するはずだったものが、一瞬で片付いた。
誰も、怪我をしていなかった。
◇
ジンは、焼けた地面へ歩いた。
しゃがんで、灰に手を入れた。
熱かった。
「跡が、消えました」
「あ?」
「証拠です」
ジンは、言った。
「あれが何に引かれてきたのか、分かるはずだった。……足跡も、引きずった跡も、焼けました」
ソラは、その言葉の意味を、しばらく量っている顔をした。
それから、肩をすくめた。
「いや、倒したじゃねぇか。俺が」
「はい。倒しました」
ジンは、それ以上、言わなかった。
灰を掻いた。
指に、硬いものが当たった。
引き出すと、鉄の破片だった。指の長さほど。焼けて黒くなっているが、切り口が新しい。鍛冶の手が入ったものだ。
用途は、分からなかった。
ジンは、それを懐に入れた。
◇
戻り道、一行は口数が少なかった。
ソラだけが、先を歩いていた。上機嫌だった。
「なあ、こんな感じでいいんだろ。奥のボスも、これで焼けば済むって」
誰も答えなかった。
エルネスタが、遅れてジンの横に並んだ。杖の音が、二人ぶんになった。
「……すみませんね」
「いえ」
「ああいうのなんですよ、うちの勇者」
「はい」
「怒らないの?」
ジンは、灰のついた指を見た。
「怒っても、灰は戻りません」
エルネスタが、ふん、と鼻を鳴らした。
しばらく歩いて、彼女はこう言った。
「あのね。私、あれと二年一緒にいるんだけど」
「はい」
「あれがいなけりゃ、私たち、三回死んでる」
エルネスタは、前を行く白い背中を見ていた。
「三回よ。……北の峠と、川と、砦の地下。全部、あの子が突っ込んで、全部、なんとかなった。誰も死ななかった」
「……」
「だから、文句が言えないの」
杖の先が、木の根を叩いた。
「腹は立つのよ。毎日ね。でも、あの子がいなけりゃ、私たちは今ここにいない。……それを知ってて文句を言うほど、私も若くないわ」
ジンは、うなずいた。
うなずくしか、なかった。
◇
森を出て、村の柵が見えたところで、アリシアが早足で追いついてきた。
「あの、ジン殿」
「はい」
「一つ、お願いがあります」
アリシアは、そこで立ち止まり、深く頭を下げた。
「教えてください」
「何をですか」
「あなたが、さっき七匹に気づいた時、何を見ていたのかを」
顔を上げたアリシアの目は、真剣だった。
「私は、剣は八年やっています。受けて、いなして、返すことはできます。……ですが、さっき、私は何も気づきませんでした。風が変わったことも、匂いのことも」
「……」
「私たちは、この先、奥へ行きます。奥では、たぶん、気づけない者から死にます」
ジンは、村の柵を見た。
夕日が、杭の影を長く伸ばしている。柵の内側では、婆さまたちが縄を綯っていた。
「三日だけ」
そう言った。
「三日で、教えられるだけ教えます。……それ以上は、村を空けられません」
「三日で足りますか」
「足りません」
ジンは言った。
「足りませんが、何も知らないよりは、生きて帰れる目が増えます」
「ありがとうございます」
アリシアは、もう一度頭を下げた。
その後ろで、ソラが振り返った。
「なに、稽古すんの?」
「はい」
「ふーん」
ソラは、興味のない顔で、また前を向いた。
「まあ、暇だし、見ててやるよ」




