第四十四話 メインクエストじゃねぇんだよ
◇
夏の初めに、先触れが来た。
若い騎士が一人、馬で村へ入り、村長の家の前で背筋を伸ばして頭を下げた。銀の甲冑を着ていたが、その甲冑が埃だらけだった。
「三日後、四人でお伺いします。宿をお貸しいただきたいのですが、ご迷惑でしたら野宿でかまいません。……その場合も、井戸だけはお借りできると助かります」
村長が名を訊くと、アリシアと名乗った。
「神聖レミア教国、騎士団の者です」
そして、少しだけ言いよどんでから、続けた。
「……勇者様の、一行です」
村長の杖が、床を突いたまま止まった。
◇
三日後、四人が街道を東から来た。
先頭の少年が、柵を見上げて口笛を吹いた。
「あー、ここ? 序盤エリアじゃん」
黒髪で、目が大きかった。年はジンと変わらないくらいに見える。だが、身につけている物が違った。鎧は白く、汚れ一つない。腰の剣は、柄に細かい文様が彫ってある。
「……いや、悪い意味じゃねぇって」
少年は、そう付け足した。付け足せば済むと思っている言い方だった。
後ろで、アリシアが頭を下げた。
「申し訳ありません」
その隣に、白い法衣の少女。それから、面倒くさそうな顔をした年上の女が一人。杖を突いている。
「歩けよ、エルネスタ。遅ぇって」
「あんたが速いのよ」
女は、そう言い返して、それきり黙った。
◇
村長の家まで、道を案内した。
歩きながら、少年が村を見回した。柵、鳴子の縄、井戸、大菩提樹。ひととおり眺めて、それから言った。
「他に村、なかったし。ここでいいや」
「え、ありましたよ」
アリシアが、小さく言った。
「三つ、通りました。……人がいませんでしたが」
「あー、あった? 廃村だろ。地図に載ってねぇやつ」
「載っていました」
アリシアは、そう答えた。
「……去年の地図には」
少年は、聞いていなかった。もう先を歩いていた。
ジンは、アリシアの顔を見た。
騎士は、目を伏せた。伏せてから、小さく頭を下げて、主人の後を追った。
◇
村長の家で、麦茶が出た。
少年は、正座を三十を数えるうちに崩し、あぐらをかいた。行儀が悪いというより、そういうものを気にしない育ち方をしたらしかった。
「俺、ソラ。……あー、勇者ソラっつったほうが早いか」
村人が、ざわりとした。
土間の隅で、シャルロッテが帳面を落としかけて、拾い直した。顔から血の気が引いている。
「大魔境の調査なんだよ。魔物が変でさ、最近」
「変、とは」
「動きが揃ってんの。普通、魔物ってバラバラに湧くだろ。それが、なんか、一斉に同じ方向に歩いてる」
ジンは、麦茶の椀を置いた。
「押し出されている」
「そうそう、それ。奥から押し出されてんの。で、なんで押し出されてんのかを見に行く」
ソラは、身を乗り出した。
「教国のじいさんが言うには、魔王復活の兆しだって。……まあ、俺は半分くらいしか信じてねぇけど。いるなら倒すし」
「魔王」
「そう。俺、それを倒すために呼ばれたんだよ」
「呼ばれた」
「召喚っての。俺、元は違う世界にいたんだ。……あ、信じてる? 信じてねぇ顔してんな」
「信じています」
ジンは、言った。
信じるも何も、目の前の少年が自分と同じものだということは、顔を見た時から分かっていた。所作ではない。喋り方でもない。もっと単純に、この少年の言葉には、この土地の匂いがしなかった。
「へえ。素直だな、あんた」
ソラは笑って、椀を空にした。
◇
「早く終わらせてぇんだよ。俺、元の世界に帰るから」
「帰れるのですか」
「魔王が持ってんだよ」
ソラは、あっさり言った。
「還りの門っての。教国のじいさんが言ってた。……魔王が守ってっから、倒さねぇと取れねぇんだと」
「それは、確かなのですか」
「聖典に書いてある」
ソラは、二杯目の麦茶に手を伸ばした。
「三百年前から書いてあるってさ。間違いねぇだろ」
ジンは、それ以上訊かなかった。
訊く言葉を、持っていなかった。
◇
「なあ、この辺、強い魔物出る?」
ソラが訊いた。
「できればレベル上げしときてぇんだよ。数こなしとくと後で楽だし」
「春に、大きいのが出ました」
「まじで。どのくらい」
「肩の高さが、俺の倍ほど」
「オーガ級だ」
アリシアが、口を挟んだ。
「討伐されたのですか。どなたが」
「うちの村の者です」
「村の?」
アリシアが、目を丸くした。
「冒険者ではなく?」
「冒険者でもありますが、村の者です」
「どうやって」
「地形で。狭い場所に誘い込みました。腕が振れない場所へ」
「へえ」
ソラは、感心した顔をした。それから、こう続けた。
「でもそれ、たまたま近くにそういう場所があったからだろ」
「二年前から、そのつもりで残していました」
「あ?」
「村へ入る道を潰して、一本に絞りました。その時に、あの隘路だけは潰さずに残しました。……いずれ、大きいのが来た時に、そこへ誘い込むために」
座敷が、静かになった。
「二年」
ソラは、笑った。
「俺なら二日で終わるけど」
誰も、何も言わなかった。
杖を突いた女——エルネスタが、初めてこちらを見た。何も言わなかった。だが、目つきが変わっていた。
◇
昼を過ぎて、ソラは村の中を歩き回った。
柵を蹴り、鳴子を鳴らし、逃げ道の縄を辿って岩場まで登った。子供が十人ばかり、後ろについて回った。
「兄ちゃん、勇者なの!?」
「そうだよ。……ほら、これ見て」
ソラが手を開くと、その上に、火が生まれた。
村の子供が、息を呑んだ。
続いて、水が。風が。土くれが。最後に、白い光が。
一つの手のひらの上で、順に、何事もなく。
「全部使えんの。すげぇだろ」
「すげぇ!」
ソラは、満足そうな顔をした。
ジンは、離れたところから、それを見ていた。
隣にリゼがいた。妹は、その白い光を、じっと見ていた。
リゼが、自分の手のひらを見た。それから、また勇者の手を見た。
何も言わなかった。ジンも、何も言わなかった。
◇
日が傾いた頃、ソラが柵のところへ来た。ジンは、破れた杭を三本、差し替えているところだった。
「なあ」
「はい」
「それ、直すのに何日かかんの」
「十日ほどです」
「十日」
ソラは、腕を組んだ。
「なあ、それさ、意味あんの?」
「……」
「いや、責めてるわけじゃなくてさ。根本の原因は大魔境にあんだろ。魔物が押し出されてんのが問題なんだったら、そっち止めねぇと、いつまでも柵直してることになんねぇ?」
ジンは、杭を突き固めた。
「そうかもしれません」
「だろ」
ソラは、柵を指した。
「俺らが今から行くのは、そこなんだよ。奥まで行って、原因を潰す。そしたら、この村も、他の村も、全部いっぺんに助かる」
そして、こう言った。
「柵の直しなんか、メインクエストじゃねぇんだよ」
◇
ジンは、しばらく黙っていた。
それから、訊いた。
「あなたは、この村に何日いますか」
「あ? 明日には出るけど」
「では、明日の夜、この村に魔物が来たら、誰が止めますか」
ソラの顔から、笑みが消えた。
「……それは」
「あなたが大魔境の奥で原因を潰すのに、何日かかりますか」
「分かんねぇよ。半年か、一年か」
「その一年のあいだに来るものは、誰が止めますか」
ソラは、答えなかった。
「あなたのやり方は、正しいと思います」
ジンは、言った。
「押し出す力を止めなければ、いつまでも終わりません。それは、その通りです。……ですが、あなたが奥へ向かっているあいだ、この村には、明日の夜が来ます」
「……」
「明日の夜に死ぬ人は、一年後に助かっても、生き返りません」
ソラは、口を開いた。
そして、閉じた。
反論を探している顔ではなかった。話が長いと思っている顔だった。
「……まあ、あんたがそれでいいなら、いいんじゃねぇの」
そう言って、背を向けた。
◇
その夜、ジンは、いつも通り森へ出た。
出る時、家の陰に人影があった。ソラだった。
「ついてっていい?」
「危ない」
「俺、これでも勇者なんだけど」
「そういう意味ではありません」
ジンは言った。
「あなたは、火を出せます。光も出せます。……森では、それが一番危ない」
「は?」
「明かりを出せば、こちらの位置が知れます。音を出せば、寄ってきます。……森で必要なのは、見つけないことではなく、見つからないことです」
ソラは、しばらくジンの顔を見ていた。
それから、鼻で笑った。
「見つからねぇようにって、それ、弱いやつの戦い方だろ」
「そうです」
ジンは、そう答えた。
ソラは、何か言い返そうとして、言い返す言葉を見つけられなかったらしかった。
「……変なやつだな、あんた」
そして、家のほうへ戻っていった。
ジンは、門を出た。
森の際まで、いつもの道を歩いた。
歩きながら、一度だけ、後ろを振り返った。
村の灯りが、いくつか点いていた。その中に、今夜だけ、四人ぶんの余分な灯りがあった。




