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転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
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第四十一話 侍が眠る夜


三日、村は片付けに追われた。


柵を立て直し、畑の土を戻し、死体を埋めた。埋める穴は、村から離れた窪地に掘った。若い衆が交代で掘り、婆さまたちが握り飯を運んだ。


粉屋は、四日目の朝に目を覚ました。


「……ああ、痛ぇ」


第一声がそれだったので、村中が笑った。婆さまが泣きながら笑って、粉屋が「泣くか笑うか、どっちかにしろ」と言って、また笑いが起きた。


リゼは、その輪の中にいなかった。


土間の隅で膝を抱えて、大人たちに何か言われるたび、身を縮めていた。


「リゼちゃん、あんた、どうやったんだい」


「あの光は、なんだったの」


「教会に、知らせなくていいのかね」


悪意はなかった。皆、ただ驚いていた。だが、六歳の子供が受け止めるには、多すぎる量だった。


ジンは、輪の外からリゼを引っぱり出して、外へ連れて行った。


「おにいちゃん、あたし、悪いことした?」


「してない」


「でも、みんな」


「驚いてるだけだ。……お前は、粉屋のおじさんを助けた。それだけだ」


リゼは、しばらく黙っていた。それから、ぽつりと言った。


「手が、熱かった」


「そうか」


「今も、ちょっと熱い」


ジンは、妹の手を取った。小さな手だった。熱くはなかった。だが、リゼには熱いのだろう。


——教会に知らせるかどうかは、いずれ決めなければならない。


決めるのは、今日ではない。今日は、この子が笑って眠れればそれでいい。


「リゼ」


「ん?」


「よくやった」


リゼは、ようやく、少し笑った。



その夜も、ジンは森へ出ようとした。


肋は、まだ折れたままだ。左腕は吊っている。歩けば、脇腹に杭を打たれるような痛みが走る。


それでも、行かなければならない理由があった。


群れは終わったが、押し出す力は止まっていない。あの夜、村へ来なかったものが、まだ森にいる。散らばったものが、少しずつ集まって、また村へ向かい始める。


三日、休んだ。三日ぶんが、森に溜まっている。


戸口で草鞋の紐を締めていると、背中で声がした。


「どこ行くの」


エマだった。


「森だ」


「その体で」


「見るだけだ。斬らない」


「嘘」


エマの声は、静かだった。怒鳴られたほうが、まだ楽だったかもしれない。


「あんた、二年前からずっとそうよ。夜になると、いなくなる」


ジンは、紐を締める手を止めた。


「知ってたのか」


「知らなかった。……昨日まで」


エマは、戸口に手をついた。


「みんな、話してる。柵の外の、あの山のこと。板きれのこと。……あたし、あんたが眠れないの、知ってた。前世のせいだって思ってた。眠れないから、夜に何かしてるんだろうって。それだけだと思ってた」


言葉が、途切れた。


「そうじゃなかった。逆だったのね」


ジンは、答えなかった。


「眠らないために、夜があったんじゃない。夜に行くために、眠らなかったんでしょう」



村の中央、大菩提樹の下に、人が集まっていた。


ジンが戸を出た時には、もう二十人ほどが立っていた。松明を持っている者もいる。ほとんどが、あの夜、一本道に立った男たちだった。


先頭に、村長がいた。


「ジン」


杖の先が、雪の残りを突いた。


「今夜から、当番を変える」


「……当番、ですか」


「柵の外だ」


村長は、そう言った。


ジンは、村長の顔を見た。それから、その後ろに並ぶ顔を見た。猟師がいた。若い衆がいた。腕を吊った者も、頭に布を巻いた者もいた。


「無理です」


ジンは言った。


「森は、村の見回りとは違います。暗い中で気配を読んで、勝てる相手だけを選んで、勝てない相手からは退く。それは——」


「教えて身につくもんじゃねえ、だろ」


猟師が、遮った。


「知ってるよ。今朝、あの山を見て分かった。俺ら全員で行ったって、あんたの代わりにはならねえ」


「では」


「代わりにはならねえ。だから、代わりをやるとは言ってねえ」


猟師は、松明を持ち直した。


「森には行かねえ。柵の外を、歩く。村の周り一周だ。あんたが森の奥でやってきたのは、無理だ。だが、柵の外を歩いて、何かいたら鳴子を鳴らして逃げるくらいなら、俺らにもできる」


「それでは、村に届く数が——」


「減らねえよ。だから、そのぶんは、あんたが明日やりゃあいい」


猟師は、言い切った。


「今夜じゃなくていいってことだ」


ジンは、口を開いて、閉じた。


理屈は、通っていた。柵の外を歩いて警戒するだけなら、村人にもできる。それで減らせる数はゼロだ。だが、今夜届くものを見つけて鳴子を鳴らせれば、村は起きる。起きた村は、六組で止められる。


一晩ぶんを、後ろへずらせる。


——それだけのことだ。


それだけのことを、この二年、誰も言い出さなかった。言い出せる形になっていなかったからだ。


柵ができ、鳴子ができ、逃げ道ができ、六組ができた。全部そろって、初めて「一晩ぶんを、後ろへずらす」ということが、できるようになった。


「……ですが」


ジンは、まだ言おうとした。


「今夜、俺が行かなければ、明日の森が」


「ジン」


村長が、遮った。


「わしはな、昨日、あんたの納屋を見た」


ジンの手が、止まった。


「板きれを、数えようとした。数えられんかった。……その一番上の一枚に、丸が一つ、彫ってあった」


村長は、杖を握り直した。


「あの晩の前に、あんた、素振りをしてから出たな」


「……はい」


「三年だ」


老人の声は、震えていなかった。


「三年、一日も欠かさんかったんだろう。夜に出て、朝に帰って、寝坊して、皆に笑われて。……その笑ってた側が、わしらだ」


誰も、何も言わなかった。


「わしらはな、この村を、たまたま魔物の少ない土地だと思っとった。運がいいと思っとった。柵のおかげだと思っとった。……どっちも間違いだった。柵はな、あんたが取りこぼした分を止めるためのもんだった。それだけだったんだ」


村長は、一歩、前に出た。


「三年ぶんの礼は、言わん。言葉でどうにかなる量じゃねえ」


そして、こう言った。


「今夜は、わしらが見てる。……寝ろ」



ジンは、動けなかった。


「寝ろ」


もう一度、村長が言った。


「あんたが倒れたら、この村は終わりだ。それが、昨日はっきりした。……だからな、これは、あんたのためじゃねえ。村のためだ。そう思って、寝ろ」


理屈を、用意されていた。


断れないように、村のためだという形にして、差し出されていた。この老人が、どれだけ考えてこの言い方を選んだのかが、分かった。


ジンは、口を開いた。


何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。


「……かたじけない」


それだけが、出た。


猟師が笑った。


「なんだそりゃ」


「……ありがとうございます」


「おう」


男たちが、松明を持って、柵のほうへ歩き出した。四人ずつ、三組。夜明けまで、交代で村の周りを回るのだという。


エマが、その背中を見送ってから、こちらを向いた。


「ほら、寝なさい」


「ああ」


「言っとくけど、あたし、あんたが寝るまで見てるからね」


「……見ていても、寝られない」


「じゃあ、寝るまで見てる」



寝床に入ったのは、日が変わる前だった。


天井の梁が見えた。三年、この梁を見ながら、起き上がる時間を待っていた。


肋が痛む。左腕が重い。目を閉じても、あの隘路の岩の感触と、皮の厚さと、通らなかった刃の手応えが、瞼の裏に残っていた。


眠れるはずが、なかった。


外で、雪を踏む音がした。


四人ぶんの足音が、家の前を通り過ぎていく。低い声。誰かが咳をして、誰かが「静かにしろ」と言った。松明の火が、板戸の隙間を、ゆっくりと横切った。


——歩いている。


前世の、あの夜のことを思った。


物見の櫓の上で、十日目の夜だった。仲間は減っていた。交代する者がいなかった。ずっと一人だった。誰も来なかった。


誰かが来ていたら、と、何万回も思った。


たった一晩、誰かが「代わる」と言ってくれていたら、と。


板戸の外を、また足音が通った。今度は、反対回りだった。


——歩いている。


ジンは、目を閉じた。


痛みは、あった。梁のことも、隘路のことも、頭から消えなかった。


それでも、体が、少しずつ下へ沈んでいくのが分かった。三年、一度も許さなかった沈み方だった。


——今夜は、いい。


そう思ったのが、最後だった。



翌朝、ジンは、日が昇りきってから目を覚ました。


こんなに明るくなってから起きたのは、記憶にないほど久しぶりだった。


土間で、母が振り返った。


「あら」


それだけ言って、また鍋に向き直った。何も言わずにいてくれたことが、ありがたかった。


外へ出ると、柵のほうから、四人が戻ってくるところだった。夜明けまで歩いた組だ。皆、目を赤くして、足を引きずっている。


「よお」


猟師が、大あくびをしながら手を上げた。


「何もなかったぞ」


ジンは、その言葉を聞いて、少し、息を止めた。


——何もなかった。


ダンが、四十年、毎朝言っていた言葉だった。


「……ええ」


ジンは、言った。


「何もない朝が、いちばんいいです」


猟師は、きょとんとした顔をして、それから、はは、と笑った。


「違えねえ」

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