第四十話 板きれの束
◇
村長が最初に数えたのは、生きている者の頭だった。
六十八人。全員いた。
粉屋は土間で眠っている。息をしている。リゼが何をしたのか、村長にはまだ整理がついていなかったが、少なくとも、朝が来るまでに死ぬ顔ではなくなっていた。
怪我人は、十一人。骨が折れたのが二人。あとは擦り傷と打ち身と、鍬を握りすぎて開かなくなった手だ。
死んだ者は、いなかった。
村長は、そのことを三回数え直した。三回とも、同じ答えだった。
◇
朝が白んでから、男たちが柵の外へ出た。
畑は踏み荒らされ、東の柵は三箇所で折れていた。北の斜面の杭は、半分がなぎ倒されている。
死体は、南の一本道の内側に十一。狼が六。畑の中に、四。
それから、誰かが北へ回って、大声を上げた。
「おい! こっち来てくれ!」
村長が杖を突いて着いた時、男たちは、獣道の合流点で固まっていた。
死体が、積み上がっていた。
数えようとして、村長は途中でやめた。抜け道は、もう道の形をしていなかった。ゴブリンが、崩れた土手のように重なって、隘路の入り口を塞いでいる。
「……何匹だ、これ」
「四十は、ある」
猟師が、低い声で言った。
「いや、もっとだ。下に埋まってるのも入れりゃ、五十は超える」
誰も、続きを言わなかった。
村の中で仕留めたのは、十五だ。柵の内側に入ったものを、六組の男が、稽古の通りに止めた。それは、村の手柄だった。
だが、ここには五十がある。
「……ジンが」
若い衆の一人が言った。
「ジンが、外で、やったんだよな」
「一晩でか」
「一晩でだ」
男たちは、黙って、その山を見ていた。
村長は、死体の傷を見ていた。ほとんどが、一箇所だ。首か、喉か、脇の下。二度切られたものは、ほとんどない。
一匹に、一太刀。
村の男たちが、三人がかりで、鍬と鉈で、何度も打ってようやく倒したものを。
「爺さん」
猟師が、こちらを向いた。
「あんた、ジンの稽古、受けたことあるか」
「腰がこれだ。見てただけだよ」
「俺は受けた。……あいつ、稽古の時、一回も、手本を見せなかったんだ」
「手本?」
「ああ。正面に立て、横は半呼吸待て、後ろは塞げ——手順は、うるさいくらい言う。けど、自分が斬るところは、一回も見せなかった」
猟師は、山を見たまま言った。
「見せる必要がないんだと思ってた。俺らが覚えるのは、囲み方だからな。……そうじゃなかったんだな。あいつ、俺らに、自分の斬り方を教える気が、最初からなかったんだ」
「なぜだね」
「教えても、できねえからだよ」
◇
昼過ぎ、村長は東の森の際まで歩いた。
杖では歩きにくい道だ。若い衆に肩を借りた。
北の斜面の東の端、狭い切れ込みの前で、男たちが集まっていた。
そこに、あれが倒れていた。
村長は、しばらく声が出なかった。
肩の高さが、大人の背丈の倍近い。腕は丸太だ。握ったままの杭は、北の斜面から抜かれたものだった。
「これが、村に入ってたら」
誰かが言った。
「柵なんぞ、意味ねえよな」
「一本道も、関係ねえ」
「……三人で一匹、どころじゃねえ」
首の脇に、深い一太刀が入っていた。ほかに、脇の下と、腕と、膝の裏。どれも、途中で止まっている。
「何度も、切りかかってる」
猟師が、傷をなぞった。
「通らなかったんだ。……最後の一つだけ、通ってる」
村長は、地面を見た。
岩と根の隘路。人が二人並べば、それでいっぱいの道だ。血が、あちこちに散っている。岩には、削れた跡。根は引きちぎられている。
その中に、人が転がった跡があった。一度ではない。
「……ここへ、誘い込んだんだな」
若い衆が言った。
「村と、逆の方へ。走って」
村長は、返事をしなかった。
代わりに、こう思った。
——ここは、村から見えない。
灯りも届かない。声も届かない。ここで何が起きても、村の誰も知らない。
もし、ジンが負けていたら。
村は、朝になって初めて、あの巨体が柵の前に立っているのを見ることになる。そして、何が起きたのかも分からないまま、終わっていた。
昨夜、村の全員が眠りかけていたわけではない。全員が起きていて、全員が持ち場にいた。
それでも、この場所のことを、誰も知らなかった。
◇
夕方、村長は、ジンの家の納屋に入った。
薬を探しに来たのだ。ミーナに頼まれた。粉屋の熱が上がってきて、去年の秋に干した薬草がまだあるはずだと。
棚を探していて、足が何かに当たった。
板きれだった。
積んである。棚の下の隙間から、壁際まで。手のひらほどの大きさの板が、束ねられて、いくつも。
一枚を取って、灯りにかざした。
丸が、彫ってある。
小刀で刻んだような、粗い丸だ。一枚に、いくつも。裏を返すと、そちらにも並んでいる。
数字は、なかった。
村長は、もう一枚取った。同じだった。もう一枚。同じ。
束を数えようとして、やめた。
代わりに、床から天井までの高さを、目で測った。それから、束の厚みを。
しばらくして、村長は、板きれを持つ手が震えていることに気づいた。
一枚が、一日だ。
丸が、素振りの数だと分かるまでには、少しかかった。数えるのをやめて、丸だけを刻むようになったのだ。数えるほどのことでは、なくなったから。
板の一番下の束は、色が変わっていた。何年も前のものだ。
一番上の束に手を伸ばして、村長は、そこで手を止めた。
一番上の板には、丸が、一つだけ彫ってあった。
昨日の分だ。
——あの夜の前に、こいつは、素振りをしていったのか。
◇
村長は、板きれを元通りに置いて、納屋を出た。
薬草は、見つからなかった。探すのを、忘れていた。
家の前で、猟師と、若い衆が二人、立ち話をしていた。村長を見て、口をつぐんだ。
「爺さん」
猟師が言った。
「あんた、知ってたか」
「何をだね」
「柵の外の、あれだよ。半月前の、埋めた跡」
村長は、猟師の顔を見た。
「旅の狩人だって、俺が言った。……律儀な奴もいたもんだって、笑った」
猟師の顔は、笑っていなかった。
「今朝、あの山を見て、思い出した。……あの埋め方な。今朝、あいつが片付けてた埋め方と、同じだ」
若い衆が、うつむいた。
「じゃあ、去年の秋の、南のあれも」
「……そうだろうな」
沈黙が落ちた。
村長は、杖の先で、雪の残りを突いていた。
「わしはな」
自分でも、なぜその話をしたのか、分からなかった。
「ダンの爺さんのことを、思い出しとった」
三人が、顔を上げた。
「あの爺さん、四十年、毎朝、森を歩いとった。帰ってきて、何もなかった、と言う。毎回な」
「……はい」
「あの人はな、無属性だったよ」
猟師が、目を見開いた。
「え」
「見立てで、何も出なかった口だ。本人が、酒の席でよく言っとった。何も持たずに生まれたから、足で稼ぐしかなかった、とな。……冒険者になったのも、村に流れてきたのも、それが理由だと」
村長は、雪を突く手を止めた。
「わしは、あの人の言うことを、謙遜だと思っとった。腕がねえ、才がねえ、と言いながら、四十年、村に魔物を入れなかった。……謙遜じゃなかったんだな。本当に、何も持っとらんかったんだ」
若い衆の一人が、小さな声で言った。
「ジンも、無属性だ」
「ああ」
「見立ての日、何も出なかったって……俺、覚えてます。あん時、あいつ、なんも言わなかった」
村長は、頷いた。
「あの爺さんが死んだ日から、この村は、誰も守っとらんはずだった」
杖を、握り直した。
「なのに、三年、何も起きんかった。……何も起きんかったんじゃ、ないんだな」
◇
その夜、ジンは、いつも通り家を出た。
村長は、たまたま、それを見た。
戸口から、ゆっくりと出てきた。左腕が、布で吊ってある。歩き方が、片側だけおかしい。肋を痛めているのは、傷を診た婆さまから聞いていた。
それでも、刀を背負っていた。
村長は、声をかけようとして、かけられなかった。
ジンは、大菩提樹の下で立ち止まり、右手だけで、刀を抜いた。
振った。
一つ。二つ。三つ。
腕が上がっていない。刃筋も、たぶん、通っていない。それでも、振っていた。
村長は、数を数えていた。
十まで数えたところで、ジンは刀を鞘に納めた。それから、納屋のほうへ歩いていった。
しばらくして、出てきた。
そして、村の柵のほうへ、歩いていった。
門を開けて、外へ出て、東の森のほうへ。
村長は、その背中を、見えなくなるまで見ていた。
誰にも、何も言わずに。
明日も、こいつは、何も言わないのだろう。
そう思った。




