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転生した名もなき侍は今日も静かに村を守る  作者: morino
第三章 スタンピードと露見
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第三十三話 シャルロッテの憂い


冬の商館は、寒かった。


前と同じ部屋に通されたが、様子が違った。机の上の帳面が、倍に増えている。地図には新しい書き込みが幾重にも重なり、算盤の珠は、はじかれた形のまま止まっていた。


シャルロッテは、机の向こうで、目の下に薄い隈を作っていた。


「呼び立てて悪いわね。……冬の間、定期便は出せない。だから今日は、仕事の話じゃないの」


「では、何の話でしょう」


「愚痴よ」


彼女はそう言って、少しだけ笑った。強がりの笑い方だった。


「……というのは、半分。もう半分は、情報の交換」


シャルロッテは、一冊の帳面を、ジンの前に押し出した。


「まず、うちの数字を見せる。……あなたが持ってる話と、突き合わせたいの」



帳面には、数字が並んでいた。


「ヴァレンシュ領内の、魔物被害の記録よ。父の代から、二十年分ある。……ここ三年だけ、形が違うの」


シャルロッテの指が、列をなぞった。


「被害の届出件数。十年前まで、年に十二から十八件。多い年で二十。ここ三年は——四十一、五十八、そして今年が、七十三」


「……四倍」


「件数だけじゃないわ。中身が変わってる。昔は、収穫期に畑を荒らされた、家畜が食われた、そういうのが大半だった。今は、人が死んでいる。……三年前、死者は年に四人。去年は十九人。今年は、二十九人」


ジンは、数字の列を、じっと見た。


「そして、これ」


シャルロッテは、地図の上の、いくつかの印を指した。赤い墨で、上から×が書かれている。


「消えた村。三年で、四つ。……襲われて全滅したのは、一つだけよ。あとの三つは、住人が耐えられなくなって、自分から捨てたの。畑を捨てて、家を捨てて、街へ流れた。……人が減った村は、守れない。守れない村は、次の被害で消える。そういう順番」


あの窪地の村を、ジンは思い出した。家が十二軒。若い男が三人。


「一つ、伺っても」


「どうぞ」


「その被害は、どの方角から来ていますか」


シャルロッテの手が、止まった。


彼女は、ジンを見て、それから、地図の上の×印を、順に指でなぞった。四つの印は、地図の東側に、きれいに固まっていた。


「……全部、東よ」


ジンは、うなずいた。


「南の谷では、獣が東から西へ移り住んでいます。鹿が下り、狼が逃げ、鳥が消えました。炭焼きの衆が四十年見てきた山が、静かになっています。……グレンツの酒場でも、東の街道の間引き依頼が、増え続けている」


シャルロッテは、しばらく、何も言わなかった。


「……そう。現場も、同じ絵を、見ているのね」


数字と、獣道。まるで違う場所から見た二枚の絵が、重なって、一つの形になった。


東で、何かが起きている。



「王都には、報せたのですか」


ジンが訊くと、シャルロッテは、机の引き出しから、束を取り出して、放った。


写しの束だった。同じ形式の、嘆願書。


「三年で、十一通。父の名で、五通。私が代筆したのが、六通。……オストマルク辺境伯様も、別途、幾度も上申しておられるはずよ」


「返事は」


「これ」


彼女は、束の中から一枚を抜いて、読み上げた。


「『辺境における魔物被害の増加については承知している。しかしながら現状、北方国境の情勢に鑑み、追加の兵力および予算の配分は困難である。各領において、従前どおりの対処を継続されたい』」


紙を、机に置く。


「三年で、十一通。……文面が、ほとんど、変わらないの」


数字を並べ、被害を訴え、村の名を書き連ねた紙が、十一通。返ってきたのは、判で押したような、同じ言葉。書いた人間の三年は、その紙の束の厚みぶんしか、王都に届いていなかった。


「北方国境というのは」


「ヴェルガ帝国よ」


シャルロッテは、椅子に深くもたれた。


「北の国境が、この二、三年、きな臭いの。小競り合いが増えて、兵が集まってる。王都の関心は、そっちに全部持っていかれてるわ。……分かる? 王都から見れば、魔物は"例年のこと"で、帝国は"新しい脅威"なの」


「……」


「それに、こういう理屈もあるわ。……帝国と事を構えて負ければ、消えるのは、国よ。魔物に襲われて消えるのは、村。……王都の帳面の上では、そういう順番になるの」


「……」


「それにね、交渉の卓に着くにも、後ろに兵が要るの。兵のいない国の言い分なんて、誰も聞かないもの。だから北に兵を並べる。並べておけば、事を構えずに済むかもしれない。……理屈としては、間違ってないのよ。憎らしいことに」



「それと、もう一つ。笑い話みたいなのが、あるわ」


「笑い話」


「西の教国が、勇者を立てたそうよ」


「勇者」


「魔王が復活する兆しがあるんですって。だから、儀式をして、別の世界から人を呼んだ。……ええ、私も書付を二度読んだわ。書き間違いかと思って」


「別の世界から」


「そう書いてあったの。教国が数百年に一度やる、と。……本当かどうかは、私には分からない。私が確かめられるのは、数字だけだもの」


シャルロッテは、返事の束を、指先で押した。


「返事の文面は、三年、変わらないわ。でも、王都の噂話のほうは、秋からずいぶん賑やかよ。勇者様がどこそこの魔物を退治した。勇者様がどこそこの領主に招かれた。……こっちの十一通より、そっちのほうが、よほど早く回るの」


「……」


「今年、うちの領で二十九人死んだわ」


彼女は、そう言った。


「その二十九人のために動いた人は、一人もいない。……いるかどうかも分からない魔王のために、王都は真剣な顔をしているのにね」


ジンは、返事の紙を見ていた。


「その勇者は、今、どこに」


「さあ。教国か、王都か。……どうして?」


「いえ」


ジンは、首を振った。


自分でも、なぜ訊いたのか、分からなかった。


別の世界から呼ばれた、という一言が、頭の中で、うまく落ち着かなかった。それだけのことだった。


「……で、噂には、必ず尾ひれがつくのよ」


シャルロッテが、思い出したように言った。


「招いた領主が、二度と招かないんですって」


「……なぜです」


「さあ。武勇伝と一緒に、そういう話も回ってくるだけ」



ジンは、ヴィオラの言葉を思い出していた。


——理屈は、一つも間違ってない。


三十年前も、今も、同じ形の理屈が、辺境の村を切り捨てている。



「だから、急いだのですね」と、ジンは言った。


「え?」


「定期便です。三月に一度の、越冬の荷。……あれを、あなたは急いで作った。算盤を弾く人が、急ぐには、理由が要ります」


シャルロッテは、驚いた顔をして、それから、諦めたように笑った。


「……見てたのね、そこまで」


「はい」


「そうよ。急いだ。……冬を越せない村が出る前に、道を作っておきたかったの。一度できた道は、消えにくいから。緊急の時に、新しく道を作るのは間に合わないけど、もうある道を使うのは、早いでしょう」


——備えは、いつも、事が起きる前にしか、積めない。


ジンは、それを、身に染みて知っていた。この令嬢は、剣を持たず、算盤と紙とで、同じことをやっていた。


「……ねえ、ジン」


シャルロッテの声が、少しだけ、崩れた。


「私、家督は継げないの。兄がいるから。私にできるのは、帳面をつけて、荷を送って、嘆願書を書くことだけ。……剣も振れない。魔法も使えない。魔物が来ても、私は、何一つ、止められない」


彼女は、机の上の、返事の束を見た。


「十一通、書いたわ。全部、同じ返事。……何をやっているのかしら、私」


部屋が、静かになった。


ジンは、少し考えて、言った。


「その荷で、冬を越した村が、三つあります」


「……え」


「一つ目の村は、去年の冬、種籾が尽きかけていました。あなたの荷が届かなければ、春の作付けができなかった。作付けができなければ、あの村は、今年の秋に、捨てられていたはずです」


シャルロッテの目が、少し、見開かれた。


「消えた村は、四つと言いましたね。……消えなかった村を、数えたことは、ありますか」


「……」


「俺は、荷を運びました。運んだ先で、人が生きているのを見ました。……それは、あなたが帳面をつけて、算盤を弾いて、荷を送ったからです。剣を振ったからでも、魔法を使ったからでもない」


シャルロッテは、しばらく、机の上の一点を見ていた。


それから、小さく、洟をすすった。


「……ずるいわね、あなた。人を、そういう風に、勘定に入れるのね」


「勘定は、あなたに教わりました」


「〜〜っ、うるさい」



帰り際、シャルロッテは、ジンを扉まで送りに出た。


「春になったら、定期便を再開するわ。……それと、一つ、頼みがあるの」


「なんでしょう」


「あなたが現場で見たものを、教えて。獣の動きでも、村の様子でも、何でもいい。……私は、帳面の数字しか見られない。数字は、起きたことしか教えてくれないの。起きる前のことは、現場にいる人にしか、見えない」


ジンは、うなずいた。


「では、俺からも一つ。……その数字を、俺にも見せてください。俺は、目の前の谷しか見られません。領全体で何が起きているかは、あなたにしか見えない」


シャルロッテは、口の端を上げた。


「取引成立ね」


差し出された手を、ジンは握った。二度目の握手だった。


商館を出ると、冬の風が吹きつけてきた。


ジンは、東の空を見た。


数字と、獣道。政治と、鳥のいない森。二人の女が、まるで違う場所から、同じ結論を差し出してきた。


ヴィオラは言った。王国は辺境を守らない。距離が遠すぎる、と。


シャルロッテは言った。王都は辺境を見ない。北の国境で、手一杯だ、と。


守る者がいない土地で、何かが、静かに膨れ上がっている。


そして、その土地の、いちばん東の縁に、リンデ村があった。

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