第二十七話 伯爵家の使い
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指定された場所は、ギルドではなく、大通りに面した商館の一室だった。
冒険者が、依頼主に呼ばれて出向く。それも、貴族の。ジンは、村の直剣を宿に置き、身なりだけは整えて、その部屋の扉を叩いた。フィオナは「あたし、貴族とか無理」と、宿で待つと言い張った。
部屋は、簡素だった。豪奢な調度は、なかった。大きな机の上に、地図と、帳面と、算盤が広げられている。まるで、商人の仕事場だった。
その机の向こうに、若い娘が、座っていた。
歳は、ジンより二つ三つ上か。上等だが装飾を抑えた旅装。背筋がまっすぐで、目に、値踏みするような光がある。机の上の書類から顔を上げ、その光を、ジンの頭のてっぺんから爪先まで、一往復させた。
「あなたが、ジン」
「はい」
「シャルロッテ・ヴァレンシュ。ヴァレンシュ伯爵家の者よ。……座って」
ジンは、示された椅子に腰を下ろした。シャルロッテは、頬杖をついて、しばらくジンを眺めた。
「辺境の村上がりにしては、面白い数字を出すのね。達成率、十割。誰も受けない辺境の札を、好んで取る。……最初は、無鉄砲な田舎者かと思ったのだけど」
彼女は、机の帳面を、指で叩いた。
「調べたら、違った。無鉄砲な人間の、達成率じゃない。慎重で、狡くて、勘定高い人間の数字よ。……あなた、見かけによらず、算盤を弾くでしょう」
◇
ジンは、少し、意外に思った。
貴族の令嬢というものを、ジンは知らない。だが、勝手に描いていた像とは、違った。目の前の娘は、剣の腕を訊かず、家柄を誇らず、開口一番、こちらの「勘定」を見抜いてみせた。値踏みの目は、傲慢だったが、その傲慢は、中身の伴った傲慢だった。
「……買いかぶりです。俺は、ただ、受けた仕事を、こぼさないだけで」
「その"こぼさない"が、いくらの価値になるか、あなた、分かってて言ってる?」
シャルロッテは、身を乗り出した。
「いいこと。うちの領は、辺境よ。魔物が出る。街道は荒れる。物流は、しょっちゅう欠ける。荷が一つ襲われれば、その荷を待っていた村が、一つ、冬を越せない。護衛を雇っても、その護衛が、荷の半分は守るけど半分は落とす。それが、辺境の"普通"なの」
「……」
「そこへ、荷を一つも落とさない護衛が現れた、と聞いたら。……領を預かる立場として、興味を持たないほうが、どうかしてるでしょう」
ジンは、この娘の言葉の底にあるものを、読み取り始めていた。
高慢な物言いの下に、切実なものが、流れている。この令嬢は、面白半分で、噂の男を呼びつけたのではない。領の物流が欠けること。荷を待つ村が、冬を越せないこと。それを、本気で、なんとかしようとしている。
机の上を、もう一度見た。豪奢な調度のない部屋。地図と、帳面と、算盤。貴族の令嬢の部屋に、宝石も絹もなく、あるのは仕事の道具ばかりだった。この娘は、着飾る暇に、帳面を睨んでいるのだ。指先に、羽根ペンの染みがあった。人に持たせるのでなく、自分で書く者の指だった。
「一つ、依頼をあげる」と、シャルロッテは言った。
「うちの領の、東の三つの村へ、越冬用の塩と薬と種籾を運ぶ隊商。その護衛。……道は悪い。魔物も出る。報酬は、弾む。ただし条件は一つ」
彼女は、まっすぐに、ジンを見た。
「荷を、一つも、落とさないこと。落としたら、報酬は無し。……できる?」
◇
「一つ、確かめても?」
答える前に、ジンは訊いた。
「その三つの村は、どんな村ですか。柵は。見張りは。冬の蓄えは、どのくらい残っていますか」
シャルロッテの、頬杖が、少しずれた。
「……なぜ、そんなことを訊くの。あなたの仕事は、荷を届けるまでよ。村の内情は、関係ない」
「荷を届けるのが、目的なら、関係ないです。ですが、村が冬を越すのが、目的なら、関係あります。……塩と種籾を届けても、その村が、魔物に柵を破られて、蓄えごと奪われたら。俺は、荷を届けた。でも、村は、冬を越せない。それは、仕事を果たしたことに、なりますか」
部屋が、静かになった。
シャルロッテは、頬杖をやめて、背筋を伸ばし、まじまじと、ジンを見た。今度の目は、値踏みではなかった。何か、予想の外のものを見た、驚きの目だった。
「……あなた、護衛の依頼を受けに来て、村の防備の心配を、しているの」
「はい。……余計なこと、かもしれません」
「余計なこと、よ」
シャルロッテは、そう言って——ふ、と、口の端を、上げた。今日、初めて見せた、値踏みでない表情だった。
「余計なことだけど。……私も、同じことを、考えていたわ。荷を届けるだけじゃ、足りない。あの村々は、届けても届けても、欠けていく。穴の空いた桶に、水を注いでいるみたいに。……穴を、塞がないと、意味がないって」
「けれど、護衛の冒険者に、村の柵の話をしても、鼻で笑われるだけだった。『それは俺の仕事じゃない』ってね。当たり前よ。冒険者は、荷を守るのが仕事。村の防備は、依頼の外だもの」
彼女は、ジンを、じっと見た。
「依頼の外のことを、勝手に心配する冒険者なんて。……初めて、見たわ」
彼女は、机の地図を、くるりと、ジンのほうへ向けた。
「話が、早いじゃない」
◇
その日、二人は、思いのほか長く、話し込んだ。
シャルロッテは、算盤を弾く娘だった。慈善では動かない。領が荒れれば、税が減る。民が飢えれば、領が傾く。だから、民を守る。徹頭徹尾、勘定の話だった。そして、その勘定の帰結は、ジンが村でやってきたことと、驚くほど、同じ形をしていた。
「守りたいものがあるから、稼ぐ。……あなた、そういう男でしょう」と、シャルロッテは言った。
「似たようなことを、私も考えているわ。守りたい領があるから、算盤を弾く。立場は、まるで違うけれど。……私は、家名と、領民。あなたは——」
「村です」
「村」
「柵と、鳴子と、うるさい幼馴染と、生意気な妹と。……飯が、うまい村です」
シャルロッテは、少し、目を細めた。それは、羨むような、遠いものを見るような目だった。伯爵家の令嬢が、辺境の一冒険者の「村」という言葉を、そんな目で見るとは、ジンには、少し、意外だった。
「いい、村ね」
「はい」
「その村も、いつか、私の領の"欠ける村"の一つに、ならないといいけれど」
何気ない一言だった。だが、その一言が、ジンの胸の底の、冷たい場所に、ことりと落ちた。
リンデ村は、オストマルク辺境にある。この令嬢が憂う、欠けていく村々と、同じ土地に。
◇
商館を出ると、日が傾いていた。
「どうだった!? 貴族のお嬢様! 怖かった!?」宿の前で待っていたフィオナが、駆け寄ってきた。
「……いや。話の分かる人だった」
「へえ。意外。……で? 仕事、受けたの?」
「受けた。……大きい仕事だ。三つの村へ、越冬の荷を運ぶ護衛。手を、貸してくれ」
「当たり前でしょ!」
歩き出しながら、ジンは、シャルロッテの最後の一言を、まだ、胸の中で転がしていた。
——その村も、いつか、欠ける村の一つに、ならないといいけれど。
ならせない。そのために、稼ぎに来た。そのために、積んできた。
だが、令嬢の口ぶりには、ジンの知らない何かが、混じっていた。まるで、"欠ける村"が、これから、増える——と、確信しているような。領を預かる者だけが知る、何かを、あの娘は、知っている気がした。
酒場の噂。炭焼きの話。ダン爺さんの独り言。辺境全域に吹く、東からの風。それらが、伯爵家の令嬢の憂いと、同じ一点を指している気がした。点は、少しずつ、線になり始めている。だが、その線がどこへ伸びるのかは、まだ、闇の中だった。
その何かを、ジンは、まだ、知らなかった。
グレンツの空に、東から流れてきた雲が、夕日を鈍く濁らせていた。




